ニ 学校新聞発行スケジュール
「四月二十五日、水曜日。二回目の新聞部の打ち合わせと日記にある。生徒の未来に向けた発信を掲載するために生徒全員に将来の夢と目標をアンケートで回答して貰うことにしたとも書いてるね。
日記に記録して有る新聞発行作業スケジュールはこれだ。見てご覧。
*藤高新聞最終号発行作業スケジュール
一 五~六月 学校の歴史を拾う。過去の学校新聞の点検。三十周年誌など各周年記念誌を活用。写真も活用、収集。
一 六~七月 先輩達の事跡で、活躍の記録を抽出。運動部も文化部も地区大会や県大会以上で優勝~三位入賞を対象。地元同窓会や関東同窓会を通じて先輩達のコメント、思い出を募る。
一 八~九月 在校生の夢、将来の目標を、様式を決めてアンケート調査し回答を得る。全生徒を対象とする。要説明と理解。
一 十月 学校新聞に載せるものの選別。大まかな編集レイアウトを決める。
一 十一月 校長、現教諭、職員から廃校に当っての言葉をもらう。
一 十二月 レイアウト確定、最終編集、印刷・発注、ゲラ校正
一 一月 校正
一 二月 発行
*生徒の未来に向けた発進」
「この予定表だと受験対策、最も勉強しなければならないときにそれこそ時間を取られることにならない?」
「流石、百合さん。後で岩城先生からも、そう指摘されたんだ。そのためにまた後で先生から修正案が提起された」
あの時、アンケートの依頼文、回答様式、回答期限は別途検討する、と部活ノートに記録して岩城先生に提出することにした。
職員室前の廊下で先生にバッタリ会った。熊谷君が検討内容を報告する一方で、吾妻鏡をまだ借りますと言った。先生は、構わないけど受験勉強優先だぞと言った。
私も彼も、有難う御座いますと頭を下げながら藤高新聞最終号発行作業スケジュール案を先生に渡した。話の流れが分からない京子さんが黙って不思議そうな顔で私達を見ていた。
「あの日は、作業スケジュール案を先生に提出して、それから昇降口に回った。校庭に出ると京子さんが、咲いてる。春よねと言ったのを覚えている。
東北人は厳しい冬が抜ける春が待ち遠しいんだ。梅の花も菜の花も、桜の花も一遍に咲く。それが分かって春なんだ。あの時、校庭の桜が咲き出していた」
あの後、熊谷君の誘いに乗って彼の家に私と京子さんが立ち寄った。京子さんは初めて見る彼の部屋を珍しそうに見回した。六畳間の洋室だ。
彼は部屋の真ん中に折りたたみのテーブルを広げて、時間が遅いから簡単に説明すると言って、先生に借りた吾妻鏡のページを開いた。京子さんに平泉藤原氏が滅亡した後、葛西清重が貰ったという所領と清重が検非違使として活躍したことを説明した。そして、彼女の興味を引き易くするためだろう、手っ取り早く、葛西氏は千葉一族でもあったと言った。
鎌倉時代に江刺・水沢辺りから宮城県の石巻、栗原辺りまで所領を貰った葛西清重の領地に千葉一族が徐々に下向して来たと話した。説明を聞いても京子さんは、ちんぷんかんぷんで何が何だか分からなかったみたいだった。
私が伊達の殿様より前の鎌倉時代から約四百年もの間、葛西一族がこの町近在に繁栄してきた、それが千葉一族でもあると言ったら、少しは理解が出来たみたいだった。
伊達じゃないの?と聞いた。俺達生徒仲間も町の人々も此所は皆伊達藩と思っている。でも鎌倉時代から江戸時代までの間に約四百年続いた葛西一族があった。その初代が葛西清重で、彼から十七代も続いた葛西氏は豊臣秀吉の奥州仕置きで滅亡する。そこに隠された謀略と悲劇があったんだ。
ブログで葛西一族物語とか奥州千葉氏を立ち上げている人が居る。見れば自分達のルーツ、奥州仕置きが何か、葛西氏最後の殿様、葛西晴信がどうなったのか大筋が分かる。自分達の住む町と周辺の歴史を教えている。熊谷がネットからプリントアウトした葛西一族物語、奥州千葉氏関連がこっちだ。
そう言って私は彼が本棚の一角に吾妻鏡と一緒に並べていた緑色の事務用ファイル二冊を引き出した。資料が丁寧に綴じられていた。
京子さんは奥州千葉氏と黒マジックで表紙に書かれた厚みの少ない方を手に取って暫く見ていた。顔を上げると、凄い、知らないことばかり、葛西清重が貰った土地に残るお城っていうか、城址って今でもあるのかしら、行ってみたいと言う。
だろう?、郷土の隠れた歴史を探れば新聞部の記事になる。熊谷君がそう言いながら壁時計を見た。今日は終わりだと言った。あの時、京子さんがある程度分かってくれたことで満足したみたいだった。
彼が家まで送るよと言ったけど、灯りのある町中を歩いて行くだけだから大丈夫と彼女は断った。私は学校の駐輪場まで戻った。六時半を回っていた。周りは薄暗くなっていた。
それから四月二十七日の夕方と日記にある。練習から上がって着替えを済まして廊下に出たら部室の前で熊谷君が待っていた。哲君と外の三人が先に帰ると軽く手を挙げて振って昇降口に向かった。
私の方からなにしてた?と聞くと図書館で本を読んでいたという。図書館が開いている午後六時をとうに過ぎていた。
当時、野球部の部室は校舎の一階の一番奥の音楽室の横の階段下にあった。昇降口に向かって歩きながら、彼は明日、岩城先生の所に十時に行く、時間を貰った、一緒に行かないかと誘った。それが待っていた理由であり用件だった。
彼は葛西清重だけで無く奥州のどの地域に鎌倉幕府の御家人の誰が所領を貰って下向してきたのか教えて貰おうと言った。また葛西一族の滅亡について詳しく聞こうと言う。それを聞いて私は、行くよと応えた。
消えているハズの普通科教室の灯りが未だ点いていた。教室を覗くと京子さんと高橋梨花さんに佐藤美希さん、農業科の佐々木愛さんが居た。
入口に立ったまま、私が遅くまで何してる?と声を掛けた。四人が一緒に私達の方に顔を向けた。梨花さんが新しく活動するソーラン部の運営について話し合っていると応えた。廃校一年前なのに生徒有志のたっての希望から職員会議で認められ予算の配布も受けるソーラン部だった。
熊谷君が京子さんにちょっと来てくれ、新聞部のことで話があると声を掛けた。立ち話で先生の家に三人で行くことになった。待ち合わせを上町の赤坂神社の階段下に午前九時四十五分とした。彼が京子さんに先生の家を訪問することを他の生徒に言わないようにと釘を刺した。
昇降口で靴を履きながら、彼が先生には及川と二人で行きますと言ってあると言った。えっ、と思ったけど、聞くことも詮索することも止めた。周りが暗くなっていたから坂道の五分咲きの桜の花が余計に白く見えていたのを覚えている。