「その後、学校で何度か先生の所に行ってみるか、職員室に行ってみるかと声をかけたけど迷いがあったんだろうね。先生に相談することもなく三月になった。

 先輩達の卒業式も終わった後の三月三日、土曜日。ひな祭り。学校も休日の朝になって熊谷君から電話があった。

午後二時頃に岩城先生ん()に行く。一緒に行けるかと誘いと同伴の依頼だった。聞くと、彼は新聞部を辞めると先生に言うと決心していた」

 

 午前中は机に向かい、昼食を摂った後に出かけて熊谷医院の居宅の方のチャイムを押したのは午後一時半だった。すぐに彼が出て来て、そのまま先生の家に向かった。バイクは医院の駐輪場に置いたままだ。

 町中は土曜日なのに店を開かない商店の古い看板が目立った。シャッター通りに成ってしまったなと今更ながらに思った。通りを歩く人影すらちらほらだった。

 熊谷医院から上町(かんまち)の赤坂神社前まで七、八分。そこからバス通りを外れて細い道を徳田地区までまた七、八分。そう計算しながら先生の家には約束の時間には行けるなと思った。先生には俺達が行くことを伝えてあるんだろって軽い気持ちで聞いた。いや、言っていないという返事に、正直、驚きながら彼の顔を見た。

 新聞部を辞めると言うのか、と確認した。うん、と言うだけで彼の顔は緊張していた。分かった、俺も辞めるよと同調した。歩く途中からは私も緊張感を覚えた。決意を伝えることだけでなく、先生とアポイントを取っていなかったことも気になった。

 頭の中は本当に良いのかなと繰り返し考えていたけど、緊張した顔を見せている彼に何も言い出せなかった。道端に目をやれば、田んぼはどこも水が無く枯れた稲株が幾行にも並んでいた。土色に広がる畑に一行だけ濃い緑色を見せていたのはホウレン草の畝だった。陽当たりの影になっている辺りには午後だというのに霜柱が見えたのを覚えている。

 徳田地区の新興住宅地の入り口に、一戸毎に区割りと居住者の世帯の苗字を表示した案内板が出ていた。これってプライバシーの関係から言ったら問題にならないのかなと思いながら、二人で岩城を探した。

 

 チャイムを押すと、インターホン越しに奥様の声がした。彼が普通科クラスの熊谷と及川だと伝えると、玄関のドアを開けて先生が顔を出した。白髪の混じる先生は、いらっしゃいと言っただけで笑顔を見せ、私達を招き入れた。

 案内された二階の部屋は六畳の洋室で左側の壁際に机が二つ並んでいた。一方の机の上にパソコンが置かれていた。

周りに置かれた本棚と書籍の多さに驚いた。先生が座布団を取りに階下に降りて行った間、彼と二人、本棚に目をやった。

 先生が暖房エアコンのスイッチを入れた。小さなテーブルを真ん中にして渡された座布団を敷いて私も彼も床に座った。間もなく顔を見せた奥様が(あった)かいリンゴジュースを置いて戻って行った。

 先生が、よく来たね、すぐ分かったかと言うのに、彼は徳田の新興住宅というだけで大体見当が付きましたと言ったきり訪問の趣旨を言うのに躊躇(ためら)った。そこで私が、今日は四月以降の部活について相談に来ました、新聞部を辞めたいのですと一気に言った。先生は驚いた顔もせず、またダメとも良いとも言わなかった。

 

「岩城先生の家は町はずれの新興住宅地の中だ。案内された二階の部屋に落ち着くと、二人とも今月をもって新聞部を辞めたいと伝えた。

 私達の訪問を約束していたわけでもないのに驚きもせずに迎え入れてくれた先生は、君達と私の世代とでは社会事情も受験の環境も異なるけどと、先に断りを入れて自分自身の受験に掛かる失敗の体験を語ってくれた。

 ベビーブームの団塊の世代で育った先生は受験に失敗した落第生だった。そして最後に言った言葉が今でも私の耳に残っている。

 部活を辞めて勉強一本に絞ったからといって志望大学の合格を保証される訳では無い。部活を継続したから受験に失敗するというものでも無い。受験の合否はその時に受験した(ほか)の受験生との相対比較だ。結果がどうであれ大事なのは悔いのない受験勉強をしたと自分自身が思えれば自分に納得できるし、親も含めて他人(ひと)()じることは無い、と言った。

 どうしても部活が悔いの残る材料の一つになると思うなら部活を辞めるほかは無いとも言った。新学期になったらそれぞれの気持ちを改めて聞かせて欲しいと先生は結論を保留した」

 

 大学受験に失敗し、家族に経済的支援を期待出来ない先生は東京に出てアルバイトで資金を稼ぎながら予備校に通っていた。しかし、勉強に割く時間が徐々に減って次の年も受験に失敗し、大学進学が条件に支給されることになっていた日本育英会の奨学金支給の資格も喪失したと言う。

 二年遅れで夜間大学に入学したけど、その入学金は先に上京して働いていたお兄さんに出して貰った。授業料は大学の教務課に頼み込んで毎月の分割にして貰って、アルバイトで稼いだ金で負担したと語った。

 

「後は熊谷君も私も自分の考えでの決断だったね。新聞部を辞めると一点張りに詰めていた気持ちが揺らいだのか、何かまた特別な思いが浮かんだのか、熊谷君は先生の語りかけに黙って頷いた。意外なほどに素直だった。あの時、私は正直半分拍子抜けしたよ。

 それで良いのかと心の中で彼に問いながら、先に見ていた本棚に目をやって先生に何故こんなに歴史本があるのかと話題を変えるために軽い気持ちで質問した。

 それが今の熊谷君につながるなんて、あの時、想像もつかなかったよ。医学部志望から歴史学、歴史研究を選択して今になるんだからね。

 彼は今、W大学の職員だ。助手、助教、准教授、教授の途を歩んでいる」

 

 あの場で先生は、その本棚にある歴史本は皆郷土に関わるものだと言い、郷土の歴史を良く知りたいと思って集めたと言った。

熊谷君が、本棚に結構なスペースを取っていた吾妻(あづま)(かがみ)には何が書かれているのかと聞いた。先生は鎌倉幕府の公式記録といわれている本だと言い、君達の祖先のことが書かれているよと言った。