「二月下旬の五日間ほどが学年最後の期末試験で、毎年三月一日が三年生の卒業式だった。百合さんの学校は?」
「私の高校は三月初旬が期末試験で、卒業式が三月七日。在校生の終業式はその後、十日と決まっていたみたい。それから春休みね」
「私の高校も在校生の終業式は卒業式の後だったな。
熊谷君から電話があったのはその期末試験が終わった平成十九年、二月二十三日、金曜日の夜も八時頃だった。電話があって、夜だけど、それから彼の家に行ったと日記にある。
彼の部屋で新聞部を辞めたいとまた相談を受けた。(彼は)新聞部の活動に取られる時間は受験対策の時間的ロスだと言った。
また、本当に自分は医者に成りたいのか、自分は一体何なんだと言いながら突然頰を伝う涙を見せたのには驚いた。
医者になる、その受験一つで彼の肩に掛かるプレッシャーは私が想像していたよりもはるかに重かった。(私は)クラス担任であり新聞部の部活担当でもある岩城先生に放課後にでも一緒に相談してみないかと誘った、とある」
あの夜、私は机に向かい始めたばかりだった。母の呼ぶ声に階下に降りて受話器を取った。携帯に繋がらなかったので自宅に電話したと彼は先に言った。私は勉強に集中するため携帯をマナーモードにして机の抽斗に入れっぱなしだった。
色々考えたけど矢っ張り新聞部を辞めると言う。その理由は前に彼の家で聞かされたことと変わりはなかった。受験勉強の立場からの不安と、予想される新聞に掲載する内容から俺達新聞部部員の生徒の役割だろうかと繰り返した。
記事の取材や編集に取られる時間は受験対策の上ではロス時間と口にしたけど、私はそれも彼が受験生で有り受験勉強の不安から出ている言葉だとしか受け止めていなかった。
電話の話が長くなった。途中、長話は止めなさいと側を通った母の忠告が入って、今時間が有るならお前の家に行くよと言った。二つ返事で、来いよとの誘いだった。
家から十二、三キロ、バイクで二十分足らず。熊谷医院兼自宅に着いたのは夜も九時近かった。音を聞きつけて外にまで迎えに出て来た。
家族に会うこともなく二階の彼の部屋に案内された。机の上に開かれたままの参考書があったから勉強の合間に私に電話したのだろう。エアコンの暖房が良く効いていた。
フローリングの床に座布団を敷いて向き合うと彼は自分から話し出した。医者になる選択枝は間違っていない、祖父も父も医者、家族皆が自分が医者に成ることを期待している。そして、新聞部の記事の取材や編集に取られる時間は受験対策に関係が無い、時間的ロスだと言った。まるで自分に言い聞かせているようだった。
そう言いながら本当に自分は医者に成りたいのかと疑問が湧くと言った。自分は一体何なんだと言いながら、突然、頰を伝う涙を見せたのに驚いた。感情の何かが堰を切ったようで、勿論、私の想定外のことだった。彼の思いの丈を聞きながら私は段々と安易なアドバイスも同調的な言葉も言うことが出来ないと思った。
受験一つで彼の肩に掛かるプレッシャーは私が想像するよりはるかに重かった。下を向いて涙を流す肩を私は向かい合って座ったまま唯々軽く叩くだけだった。暫くそうして居るより外は無かった。
彼は新聞部を辞めたいと言いながら、自分が辞めたらどうなるのだろう、無責任だと言われるだろうかと言い、辞めても事務室が編集発行するなら自分は手伝うと言った。及川は如何する?と前と同じように私の去就も口にした。
例年の事で考えれば前期後期の予定で後二回、藤高新聞と名の付く学校新聞を編集発行することになる。しかし、彼は三年生になって発行する藤高新聞は一回だけで良いと言った。当時、既に彼の頭の中では構想が出来ていたのかも知れない。
名ばかりの新聞部部員だった私は、熊谷が辞めて俺と京子だけで後二回でも一回でも新聞記事をまとめられないと思う。熊谷が辞めるなら俺も辞めるよと言った。そう応えながら、千葉さん一人になったらどうなるんだろうと頭の中は別な思いを巡らしていた。
そして、私は、来週の放課後にでも岩城先生に直接相談してみないかと言った。あの時期、先生達は期末試験の終わった私達の採点や進級試験の追試、生徒の成績の評価、卒業式や修了式の準備とやらねばならないことが多くて忙しかったろうと思う。
しかし、彼の進路指導と新聞部の活動に関することだ。担任の教師として部活担当として先生の考えもあるだろうと思った。
私の意見に頷くのを確認して彼の家を後にした。夜遅くまでゴメン。そう言って見送りに出た彼は、その頃には感情の高ぶりも少しは収まっていたように見えた。
彼の家を出たのは午後十時半を少し回っていた。家に戻ると、家族はとうに床に就いていた。家は県道沿いの一軒家で、少し離れた近くに家があっても両隣りに他人の家がない。何時もと違って家の周りも家の中も殊更に静けさを感じた。
部屋に戻って机の上に開いたままの教科書を見たけど、勉強する気にならなかった。
風呂に入り床に就くと、天井を見ながら熊谷君との会話も涙を流す彼の姿も思い出された。一緒に岩城先生に相談することにしたけど先生はなんと言うか、考えてみたけど思い浮かばなかった。
自分は一体何なんだと言った彼の言葉が気になりだして彼のことを考えているうちに、私もまた何者、自分の進学希望の学部選択に間違いは無いのか、と何時しか自分のこと自分の家族のことを考えながら眠りに就いた。
週明けの放課後に、今日は野球部の練習をカットするから職員室を覗くかと誘ったけど彼は躊躇った。そしてそれがとうとう五日間に及んだ。土曜日、学校も休日。雛祭りの日だった。妹の明子が母と一緒に白酒を造ると言いだして厨房に立ち、私は朝食を終えたばかりの食卓に居座ったまま新聞を読んでいた。彼からの電話だった。
携帯に電話したけど繋がらないのでまた自宅の電話にしたと言った。携帯をまた机の抽斗に入れたままだった。今日の午後二時頃に岩城先生の家を訪ねる。一緒に行けるかという誘いと同伴の依頼だった。
やっと先生に相談する気になったかと思いながら、この日を待っていたのかなとも思った。