哲君が調律するために弦を(はじ)くと、静けさの漂う杉林の中に澄んだギターの音色が思いのほか響いた。周りの闇の中に音だけが吸い込まれていくようだった。

 もう一つの焚き火で暖を取っていた参拝者達が一斉に私達の方を見たのを覚えている。

「初っぱなだべ。何を(うだ)うべが?」

 哲君の問いかけに、一瞬、誰も応えることが出来なかった。少しの間を置いて女の子のお母さんだった。

「幸せなら手をたたこう、お願いします。その曲が朝六時頃までの長くも有り短くも感じた野外コンサートの始まりだった。

 前奏が入って、歌い出す頃には一方の焚き火側から参拝者全員七人が私達の輪の中に駆けつけてきた。消防団員二人は置き去りだった。

 三十代だろう女の子のお母さんの、あの年の、あの時の感情が、あの曲目を選択させたのだろうね。また、小学生の我が子が歌える歌をと思ったのかも知れない。

 ギターの伴奏と、皆が叩く手や土を踏む足、隣の人の肩を叩く動作に焚き火の周りは一遍に大盛り上がりになった。

 移動してきた七人は、結婚しているのか恋人同士だったのか分からないけど若い男女のカップルが二組、四十代ぐらいに見えた中年の男性一人、毎年来ているという五十代後半らしいご夫婦だった。

 二曲目はあの時の二、三年前からだったろうか、子供でも歌うカンの「愛は勝つ」だった。歌って、最後に愛は勝つのフレーズでは皆が拳を作って笑顔を見せながら天空に腕を振り上げた」

 

 それ以降、午前六時を過ぎるまでの間は各世代の歌、世代を超えた歌、民謡が次から次と歌われた。私が皆と一緒に歌える歌もあれば、手拍子だけの物もあった。

 歌詞が分からなくても、誰かが一小節ごとに先回りして歌詞を声にして伝える事もあった。いつの間にか、七人の消防団員も交代で歌の輪の中に入っていた。

「時々の小休止は曲目の選択の時だった。何を歌うか皆が希望曲を出し合った。

 そうした時、持参してきたあめ玉やチョコやミカンなどを皆に提供したけど、反対に貰う物も多かったね。

 求められて弾く曲のレパートリーは幅が広かったと思う。それでも哲君は良く知っていた。その頃に流行(はやり)だしたAKB48の「会いたかった」を明子と由美さんと若い女性二人が着の身、気のまま振り付け混じりで歌い、彼は伴奏した。

 私と熊谷君と篤君と哲君とでカツーンの「リアルフェイス」を歌うと、その後に女の子も知っている曲をと言って「好い日旅立ち」、「翼を下さい」、「上を向いて歩こう」、「明日があるさ」を皆で合唱した。

 お揃いの赤いダウンジャケットを着たカップルが六月に結婚すると話して、皆が拍手した。二人の希望で長渕剛の「乾杯」の歌にもなった。女の子とお母さんが「月の砂漠」の合唱を主導した。

 その後も、休憩を挟みながらアットランダムに選曲して合唱が続いたね。

 午前三時をちょっと過ぎたところで大きなアルミ製の薬缶が二つ、皆の輪の中に運び込まれた。三十メートル程先の張られたテントの中で作られた甘酒だった。

 紙コップを順送りに一個ずつ取って、皆川さんともう一人の消防団員、佐藤さんが甘酒を注いで回った。手袋を通して紙コップから手の指先に温もりが伝わる。冷える身体に胃の中から暖まるのが良く分かった。

 皆の生き生きとした顔が焚き火に照らされ、談笑が絶えなかった。そんな中で、皆を前に皆川さんが保呂羽山神社の由来を語ったよ。

 上手く話せるかな?ズーズー弁交じりで話してみようか」

「あら、面白そう。普段聞いていても及川君の話し方には東北訛りがある。私だって時々出身の島根県の訛りが出るし、山口君は長崎訛りが出る。

自分ではそうは思わなくても皆、テレビのアナウンサーの標準語とは微妙にイントネーションが違うのよね」

「よし決めた。天下のズーズー弁で話す。

 保呂羽山の名は日本書紀に出てくるべ。保呂羽山は、天と()を分けで日本を(つぐ)った三人の神様の一人、高皇産(たかみむす)(びの)(かみ)の命令を受けで来た(きず)を祭っているのしゃ。

 天上の高天原(たかまがはら)におわす(あま)(てらす)大神(おおみのかみ)が三種の神器(すんき)(あだ)えで地上(つじょう)日向(ひゅうがの)(くに)、今の宮崎県だべ。その高千穂(たかちほの)(みね)に孫の瓊瓊(にに)(ぎの(みこと)を使わすべ。いわゆる天孫(てんそん)降臨(こうりん)だよ。

その降臨の前に高天原の高皇産霊尊と天照大神とが(はな)すあって、使者として天稚彦(あまのわかひこ)ってゆう神を地上に使わすた。

天稚彦は地上の神々についで調べ報告するようにど命令されていたんだども出雲(いずもの)(くに)、今の島根県に降りだ稚彦(わがひこ)大国主(おおくにぬす)(のみこと)の娘の下照比売(したてるひめ)を嫁にすたもんで八年(はずねん)もの間、天上に(なん)も報告すなかったのしャ。

 ンだから鳴女(なきめ)という二羽の(きず)が稚彦の様子を探ってくるよう命令されで(きず)は稚彦の家の門の楓の木に(とま)り、何故(なんで)報告しねャのしゃ(しないのか)と尋ねたど。

 そすたら稚彦に仕えていた天探女(あめのさぐめ)って女子(おなご)が側で聞いでで(いて)、この鳥の鳴き声は不吉だと言う。稚彦は天探女のお()げの通りに、その二羽の(きず)を矢で射殺してしまったー。

( きず)の胸を射貫いた矢は天上の高天原に達す(し)たど。高皇産(たかみむす)(びの)(かみ)(おご)ってその矢を地上に投げ(けやー)す(し)た。天上に(そむ)ぐ気持ちが稚彦にあれば矢は当たっぺす、そうでながったら矢は稚彦に当たらないのしゃ。

 だども、稚彦はその矢に当たって死んだんだど。保呂羽山は、稚彦に殺された(きず)を祭っている。ンだから参道の入り口にある保呂羽山神社の標柱のてっぺんに二羽の(きず)が留っているんだ。

どう、私の話、解った?理解できた?」

「うん、面白い、十分に解るわよ」

「神話の世界だったね。皆川さんは神社の祭神として大国主命ともう一人の名を言っていたけど、もう一人が誰だったか私はもう覚えていない。