保呂羽山神社は上って正面、広さが余りない空き地を前庭にして鎮座していた。社は東に向いているのか南に向いているのか直ぐには分からなかった。
社の大きさを如何表現するのか私は分からない。W大学の文学部に学び大学院も終わってそのまま職員として残った熊谷君だ。全国の神社仏閣や古文書等を見ながら(日本の)中世史を研究している今の熊谷君なら、パッと見て屋根の形の特徴や拝殿の大きさを何間何間って言えると思う。
当時の私達にそんな知識は無かった。拝殿は横に五、六メートル、奥に続く本殿は横に三、四メートルではなかったかと思う。腕時計は夜、十一時五十分を指していた。一・二キロの山登りに五十分程も掛かったことになる。
拝殿の前に並んで待っている人は居なかった。周囲を見渡すと、拝殿から十四、五メートル離れた左右の所で五十センチ程の丈に切ったドラム缶で焚き火をする人の輪が出来ていた。
「上って正面、余り広さのない空き地を前庭にして保呂羽山神社は鎮座している。
私達の到着は遅い方だった。着込んだセーターや防寒着の上に消防団の法被を来た人が焚き火を管理していた。
拝殿に向かって右手の焚き火に消防団員が二人。七、八人の参拝者の輪だった。その後ろに設置されたテントの裸電球が闇の中に寒々と見えた。
私達は消防団員二人の外に参拝者が三人しか居無かった左手側の焚き火を囲む輪に入れて貰った」
熊谷君がお世話になりますと消防団員の一人に声を掛け、私達は揃ってお辞儀をした。
「寒いがら寄れ寄れ。よぐ来たねヤ。何人だべ、って聞かれたね。六人ですと私が応えた」
「エッ、それってズーズー弁?」
「そう、東北地方のズーズー弁?、いや、言い方もイントネーションも地域によって違いがあるから、私のは岩手県南地方のズーズー弁と言った方が良いかな」
「面白―い、ズーズー弁入りで話してみて」
それまで言葉少なに聞いていた百合さんが、途端に声を大きくした。
「ハハハ、ああ、良いよ。現実味が出て来るから必要なところでズーズー弁入りにするよ」
声を掛けて呉れた消防団員の顔は、側の杉の木の大木に吊るされた裸電球の明かりのせいだけではなかった。どう見ても六十の歳を超えていそうだった。寒さを凌ぐため消防団の帽子の下に頭から手ぬぐいを頬被りにして喉元で結んでいた。
「先にいた参拝者、三人にも私達はお辞儀をした。
小学校低学年の女の子を連れたご夫婦だった。三人ともマフラーにオーバーコート姿だったけど、女の子は毛糸の赤い帽子に白い耳当てをしていた。
もう一人の消防団員が目の前のドラム缶に枯れ木を追加した。火花が一瞬立ってパチパチと音を立てた。側には水の入ったバケツが二個置かれていたね。
寄れ、寄れ、と言ってくれた老消防団員が、哲君が背中から下ろしたギターケースを見て、聞いてきた」
「それは何だべ?。ギター?、歌っこ歌っぺすってか?」
私は文句を言われるのかと思った。ところが違った。
「良ぐ重い物背負って来たねゃ。
ここに居る皆がお参りする間ばダメだども、その後なら歌っこ歌うのも良がっぺ。
楽すぐなっぺよ。ンなー?」
もう一人の消防団員に賛意を促すような語尾の振り方だった。
「良がっぺ」
五十ぐらいの歳に見えたもう一人の消防団員は笑顔を見せた。
「なに、あっつ(あちら)に居る人達にあんだ達を入れても一時間も掛かんねゃで参拝は終わっぺ。後で参拝に来た人達は様子を見てがらだねャ」
言いながら、闇に浮かぶもう一方の焚き火を囲む方に目を移した。
目の先に見える参拝客が焚き火から離れて拝殿の前に移動し始めていた。新たに石段を上ってくる人影はなかった。
「皆川さんよ、俺達の方も参拝だべ。俺が火っこ見でっから案内してけろ(下さい)って言った。
言われて案内に立った老消防団員の名前はそれで分かったね」
年が変わろうとしているのに、先に見たばかりの鐘楼からも、何処からも除夜の鐘の音が聞こえて来なかった。
皆川さんに聞いた。だけど、鐘楼がここに置かれた経緯は分からないと言う。神主や宮司など管理者がいなくなって十数年になると言う。御神符授興所とあるけど、神符も絵馬もお守り等も今は扱われていないと語った。
「山並を越えて遠くからの除夜の鐘の音も聞こえてこなかったね。私は不思議には思わなかった。何時だったか、前に父から、保呂羽地区にお寺が二つあるけど両方とも梵鐘を持っていないと聞いていた。
私の生まれ育った大籠地区は隠れキリシタンの里と言われるとおりで、江戸時代初期まであったという寺が住民の手で打ち壊され、以来四百年もの間お寺は無いんだ。
また、戦時中には鉄不足のため、梵鐘さえも国に拠出したという話も聞いていた」
過去の歴史と経済的な理由もあるのだろうか、町中の上町にあるお寺にも下町にあるお寺にも徳田地区のお寺にも梵鐘は無かった。
元旦の午前零時に拝殿に向かって並んだ参拝客は私達を入れて十六人だけだった。一組あるいは一人が一分としても二十分足らず。
境内の何処かを見回りをしていたのかテントの中で休憩を取っていたのか、焚き火を管理していた皆川さん達を含め交代で初詣を終えた消防団員七人を入れても、私の腕時計で零時三十分前には皆が参拝を終えていた。
「朝方六時を過ぎっと何人か山に登って来っぺよ(来るでしょう)。
昔は道の悪い山道でも一杯の人が夜中に山さ登って来て元朝参りしたもんだども、今じゃ過疎化に、皆歳取って疲くてダメだな。
町の人の四十パーセントは六十五を越える歳だっつよ(だそうよ)」
ドラム缶の側で皆川さんが言った。首を縦に振り、頷いた熊谷君が聞いた。
「歌っこ始めて良いベが?」