「受験が一年後。当時、机の前に一日十四、五時間向かっていた。その二〇〇六年も十二月、末の三十日の夕方だったね、熊谷君から元朝参りの誘いがあった。

 明日(大晦日)の夜中に保呂羽山に登って、年が改まったところで神社にお参りし、初日の出を見ようとの提案だった。

小学校低学年の頃、父に連れられて元日の朝に保呂羽山神社にお参りしたことがあったけど、あの頃、私の家では大晦日はNHKの紅白を見て、その後に、行く年来る年の除夜の鐘を聞くのが当たり前だった。

だけど私は、父や母に都合を聞く事も無く、二つ返事で良いよと応えた」

 保呂羽山は熊谷君の住む町中と私の住む大籠地区との間にある標高四百四、五十メートルの山だ。登り口までは町中から約五キロ、大籠地区の私の家からは約九キロ有る。

町から大籠地区への一本道を進んで保呂羽バス停の先にある二股の道を左側に曲がると保呂羽郵便局と駐在所が有る。私の進行方向から見れば右側に曲がることになる。その郵便局前で夜の九時四十五分に待ち合わせることにした。

 有名な神社仏閣の整備された参道と異なり、保呂羽山神社へは茂る杉木立や雑木林の中の砂利道を登ることになる。

ぽつんぽつんとかなりの距離を置いてコンクリート製の電柱が設置されているけど参道を照らす照明が何時も点いている訳では無い。また社の周辺に出店があるわけでも無い。 

 

「電話口で行くと応えながら、私は山道を思い浮かべて懐中電灯が必要だな、権現様に初詣をした後、初日の出までの待ち時間をどう過ごすのだろうと思った。

 ご来光が朝七時だとしても約七時間近く何もない杉林の中で待つことになる。

 彼は、元日の朝の天気予報は晴れ、朝六時台の最低気温がマイナス三、四度だと伝えてきた。

 翌日、大晦日の朝。朝食を食べながら家族に自分の夜の行動予定を話した。父母は聞いて反対しなかったけど、妹の明子が一緒に行くと言いだした。

 出かける時刻にはNHKの紅白は未だ終わっていないぞと言ったけど、それを見ているより一緒に元朝参りした方が楽しそうと言う。

 明子が一緒だったら熊谷君がどう思うかと少しばかり思いもしたけど、明子も変化の無い新年を迎えるより良いかもと、同行を反対する気は無かった。

 ただ、寒いぞ、朝方の気温がマイナス四度だって、お参りが済んでも日の出まで七時間ぐらい有る。あの森の権現様の前でただ立っているだけだぞと言った。

 明子は、平気、平気、面白そうと言った。

 それに反応して父が、保呂羽山権現社は女人禁制の山だと言った。そう言っていながら、一拍おいて、まあー良いか。昔と違うからな、寒くない格好をして行けと言った」

 あの日、昼前に熊谷君に、妹が同行すると電話した。彼は、俺の方も篤と由美が一緒に行く。予定していなかったけどね、と小さく笑いながら言った。

その後で、持ち物で特に用意する物が何かあるか?って聞いた。特にないけど、女性二人も同行となると敷物を持って行った方が良いべ。立ちっぱなしと言うわけにも行かないだろう。それに、俺達も必要だけどホカロン、水分、あめ玉ぐらい持っていた方が良いべとの返事だった。

 

 夕方五時前だった。筆箱の横で鳴り出した携帯を、椅子に座ったまま窓の外を見るとはなしに見ながら手にした。家の周りはとうに陽が落ちて真っ暗だった。頭の中の切り替えがついていなかったけど、声の主が哲君であることはすぐ分かった。

「出かける準備もして、机の前に座っていた夕方、五時頃だった。クラス仲間であり、野球部の仲間でありキャプテンをしている千葉(ちば)(さとし)君から電話があった。

 今何してる?って聞いて来た。勉強してたって答えたね。

 年越しそばを食べたか?って聞いてきた。

 まだ時間が早いす(し)、これからだって答えた。

 彼は、俺の家に遊びに来ないか?。期末試験のアドバイスのお礼もしたいす、夕食を食べて大晦日の夜を一緒に過ごすのも良いべ。一緒に新年を迎えよう、泊まれよ。両親は、お前(及川俊明)さえよければと、了解す(し)た、と言った。

 それで私は、(熊谷)準君や妹達と保呂羽山神社の元朝参りを予定していると告げた。

 すかさず彼は、俺も行くと言ったね」

 哲君の家は徳田地区にあり私の家からバイクで二十分程だ。夏の野球県予選大会の後に誘われて一度遊びに行ったことがある。二股道まで出て保呂羽郵便局、駐在所の前をとおり保呂羽山の裾野をグルッと左に回って登り降りして行く道の先だ。

徳田地区に行くには他に町に出て上町(かんまち)の赤坂神社の方から回る道もあるけど、徳田地区の何処に行くかで道順の選択が違ってくる。

 

「テレビは紅白歌合戦を映し出していた。私と明子は身支度をして玄関に回ると、母が追いかけてきた。

今年は雪はないけど、山道は濡れているから気を付けて。俊明、ちゃんと明子(の面倒)を見て。熊出没、要注意の看板も出てんだがらと言った。

 中二の明子は、小さい子供じゃ無いんだから心配しないでと笑った。通常なら熊は冬眠している時期だね」

 私はリュックサックに家族で使うこともあったビニールの敷物と黒糖のノド飴、ポテトチップ、裂きイカ、ベビーチーズにミカン、明子が用意した板チョコとビスケットにグリコのポッキー、携帯用のホットジャーと懐中電灯等を詰めて荷台に括り付けた。

私も明子も毛糸の帽子をポケットに仕舞い込み、ヘルメットを被り、ダウンジャケットと防水ズボンにマフラーを首に巻きホンダPCXに跨がった。靴は勿論、登山靴にした。