手に取ってみるとCDが瀬戸内寂聴の寂庵法話集で、本が寂聴の孤独を生ききる、だ。何時か母が、しゃべり口が早口で解りにくいとこぼしていたのがこのCDだなと思う。本の内容は知らない。後で読んでみるか・・・。

 ノートの表紙には心の歌とある。一ページに一つの和歌か俳句が(したた)められていた。母の細く頼りない右肩上がりの癖のある字が並ぶ。内容からして田舎にいる頃から創作していたと分かる。

 何時から創り始めたのだろう。どこで習ったのだろう、そういえばここ数年、帰省するたびに座敷の柱を飾る短冊が一、二あったなと思い出した。

 その短冊の歌が母の創作だとは思ってもいなかった。その巧拙は歌にも句にも素養の無い私にはなおのこと分からない。

読み始めると、いつしか、亡くなった母と会話しているようにも思える。

八十歳(やそ)に見る月のさやけく(かれ)尾花(おばな) 

 夫(   つま)あらずして風の(ささや)く」

 この歌が父を思う歌の中でも一番良いなと思う。しかし、読み進んでいくうちに動けなくなってしまった。

障害(さわり)ある吾子(あこ)の行く末(たれ)ぞみん 

  吾(  あ)が命をば(なが)かれと思う」

 故郷を離れる決心を固めた時に詠ったものなのだろうか。

障害(さわり)ある()が子を捨つる般若なり 

  仏の罰を重ね背負()うとも」

「恋しかるふるさとの山々(やま)友垣を 

  八十(   やそ)()に捨つる吾が身(かな)しき」

 そして次のページを開くと、右側のページに「恋しかるふるさとの山々(やま)友垣を」と再度したため、左側のページに下の句が三つ並んでいた。

「八十路に捨てし哀れなるかな」

「捨つる哀しみ誰ぞ知るらん」

「思わざる日なし涙はべりぬ」

 東京に来たばかりの頃に詠ったものらしい。それが分かって涙を抑えられなくなった。

 

 次のページを開くと、八十九歳の誕生日の祝、中華飯店から帰る。感謝感謝と記し、

「子よ孫よ祝いの吾に花なれば 

  亡きとて笑みの永遠(とわ)にあれかし」

とある。

 左のページは三月のお彼岸に一時帰省した時の歌二首と分かる。

「飾るもの無き(つま)の墓いと(かな)し 

  香れよ香れ手折りし梅よ」

「空青し詫びてぞ亡夫(つま)に語るとも 

  ただただ墓は(そう)()を残す」

 

 次のページを開くと五月なのか六月なのか、故郷を思いながら歌ったのだろう、

「緑なす故郷の山々(やま)吾が畑は 

  まだ土くれて耕人(ひと)を待つらん」

 それだけで思いを表現しきれなかったらしく、その横に故郷が恋しいと直接に吐露していた。母の望郷の思いに涙があふれた。その左のページには俳句が並ぶ。

九十(そつ)(とし) 亡夫(つま)に語りぬ 星月夜」

九十()()なれば 明日はあるらん 月さやく」

 そこで歌も句も終わっていた。次のページからは薄い罫線のある白いままだ。「緑なす」の歌と「九十(そつ)年齢(よわい)」の句との間に数か月の間がある。

 そしてまた介護老人保健施設に十月に入所して、何故母はこのノートを施設に持ってきてくれと言わなかったのだろう。

三か月間の入所だよと言われて、その間、創作を止めるとは母の性格からしてあり得ないだろう。体調が良くなかったのだろうか、心境に何か変化があったのだろうか、創作意欲も途切れていたのだろうか、私の頭の中は母の心境を思った。施設に入所させてしまったことに悔恨の念が湧く。

「コーヒーを淹れたわよ」

リビングから妻の声がした。