時間の経つのは早かった。時計が十時を回っても思い出話は尽きない。だけど、座布団に横になっていつの間にか寝てしまった智兄を起こした。姉と義子と信夫に、そして智兄に遺産相続の話をせねば・・・。
「杉山は一町有る。その権利は孝一兄に、家と畑は智兄に、それが母の遺言だ。その通りに手続きを進める」
孝一兄には先に遺言の内容を伝え、相談して事前に了解を得ているとその経過も話した。
職業柄知っていながら、遺産相続の権利は誰と誰にあるのかと信夫が確認のための発言をした。兄弟の外に忠男兄の二人の息子にも相続権があると応えた。
「つまり、孝一兄と智兄以外は相続権を放棄することになる、文句が出るとすればそのあたりかな」
「そうなったら義理姉から説得してもらうよ。理解してくれると思う」
信夫の危惧にそう答える。相続の件で今居る四人に異論はなかった。
独り身の姉弟が老後に一つ屋根の下で仲良く暮らせるようにお前がまとめてくれ。もう一つの母の遺言が頭に浮かんだ。だけど、今はそのことを口にする必要も無かろう。智兄はまた座布団の上に横になった。
午前九時半をちょっと回ったところで町裏にある司法書士事務所を訪ねた。午後には私も義子も信夫も新幹線に乗る。それ故、早い時刻から相談に臨んだ。
途中、二日前の電話で司法書士に教えられた通り、役場に寄って父の名にバツ印の付いた父が世帯主の戸籍謄本を取った。
「お母さんの遺言通りに遺産相続を進めるとして、まず遺産相続の権利があるのは誰か。それを確認しましょう」
取ってきたばかりの戸籍謄本を提出した。
「先妻のお子さんが孝一さん、亡くなった二男の忠男さん、久美子さん、それからあなた達になりますね。今回亡くなられたお母さんの子が菅野良子さんに・・」
「いや、りょうこです」
福島に嫁に行った姉の読み方を修正した。
「智さん、仁志さん、義子さん、信夫さんですね。忠男さんの遺児は何人いますか?」
「二人」
「そのお二人にも相続権があります。後で相続権のある方が誰か、分かりやすいように一覧表を作成します。一人ひとりのご住所を教えて下さい」
それから、孝一兄が山を、智兄が家と土地、畑を相続するとして、遺産分割協議証明書を相続権のある兄弟等から提出してもらう必要がある、との説明だった。
財産の名義は三十数年も前に亡くなった父のままだったから被相続人は父となる。遺産分割協議書は、山を孝一兄が単独相続により取得したことを証明します、智兄が家と土地、畑を単独相続により取得したことを証明するという文面になるのだという。聞かれるままに、相続人になる孝一兄と智兄の住所を教えた。
「遺産分割協議証明書の文案を司法書士である私が作るので、仁志さんの方から、お母さんの遺言を実行したい旨の依頼文を作り、遺産分割協議証明書の書類を各自に送付して下さい。
代理で私の方から各相続権利者に送っても良いのですけど、お話をお伺いした限り今回の場合は仁志さんから送る方が皆さんから協力を得やすいし、指定する期限までに返送されてくると思います。
各自が遺産分割協議証明書に住所氏名を自署し、印鑑登録をしてある実印を捺して仁志さんの方に返送する、併せて各自から印鑑証明書を提出して貰う。それが全部そろったところで私の方に送って下さい」
司法書士の指示だった。
母の葬儀が終わって約一か月が過ぎた。明日からは三月だ。この土日に母の遺品を整理しようと心に決めていた。優子が母の衣類を洗濯して段ボールに整理し、後は貴方の番ねと言ったのが三日前だ。
部屋の空気を入れ替えようとして障子を開け、ガラス戸を開け放つと生暖かい風が吹きこんできた。曇り空に違いないがところどころに青空が垣間見える。
六畳の和室は母が介護老健と特養に入所している間、そのままにして置いた。何度も出入りはしているけど、凡そ二年半ぶりの片付けになる。
大した荷物は無い。借りたベッドは施設に入所した時点でレンタル業者に引き揚げてもらった。ベッドのあった辺りは大きな空間になっているけど、使用しなかったポータブルトイレが割と大きく部屋を占拠して見える。回転座椅子と、その前に置いた小さなテーブルが帰らぬ主を待っている。
テーブルの下にCDの入った木箱と本が一冊、ノートが一冊あった。