七

「ごめん。夏にも暮れにも十分な連絡も出来なくて」

「一年間会わなかったなんて、皆が集まるようになってから無かったのに」

「ごめん」

「そりゃ仕方ないよ。この一年、仁志はそれどころじゃなかったろ。その後、お母さんは如何(どう)した?」

「うん、去年の一月に胃ろうの増設手術をして、三月末から狭山市にある特別養護老人ホームに入所した、早いものでもう一年と三か月になる」

「狭山市市って近いの?、お母さん歩けるの?、話せるの?」

「隣の市だけど、俺の所から電車とバスで施設まで四十分。高島平にいる妹が俺の家に寄って、一緒に行くから車だと二十分だね。

脳梗塞のダメージの範囲が(ひど)くて今は話すことも、歩くことも出来ない」

「ええー、そんなに悪かったの?。お母さんが東京に来たのは何時だっけ?」

「倒れる約一年前だね」

「可哀想。少しは親孝行出来た?。東京見物させた?」

「まあ、俺は何もしてないけど、妹が亀戸天神とか浅草とか東京タワーに連れて行った。

亀戸は戦前に母が働いていた紡績工場のあった所らしいけど、六、七十年も前のことだよ。

知ってるものが何も無くて、帰って来て、自分で浦島(太郎)だって言ってた」

「もっと親孝行すればよかったのに。皇居だって明治神宮だって後楽園だってあったでしょ。男の人はそういうのって駄目ね」

「仁志はそれどころじゃなかったんだ。お母さんが倒れたうえに、去年の三月は予定より一年早い退職だったものな。

まだまだ現役でやれるのに何十年務めたって肩たたきされれば、はいサヨナラだもんな。後進に道を譲れとか何とか言われて・・・」

「何処か社会福祉法人の施設に勤め始めたって博さんから聞いたけど、今は?」

「うん、去年の四月から今も同じところで働いている。特養だよ。小平市にある特別養護老人ホーム」

「じゃ、役所の時と同じじゃない。経験が買われたんだ」

「仕事としてはまずまずだね。だけど役所の施設の時と違って介護士の確保に苦労している。介護士の賃金が安いからね」

「いよ!、仁志。元気か?」

 後ろを振り返ると、畠山秋雄君だ。

「東京グループだね。皆の住所確認を千田に頼んだんだ。盆暮れに集まって元気確認してるって勝美から聞いたんだ。

皆変わん()ャな。真知子に冨美、末吉に博、(じゅん)、庄吉、(みのる)だべ。皆頭の毛は薄くなったし、白髪があるけど皆の顔、誰が誰だが分かるよ」

「秋雄さん太ったわね。建設会社の部長さんだって仁志さんに聞いていたけど貫録がある。中学の時は(ほっ)そりしてスポーツマンだったけど、今の方が貫録があって良い」

「腹も大分出たしな。何、大した会社じゃないよ。そろそろ皆集まったみたいだな。もう五時半だ。積る話は後にしてだ」

 周囲を見渡した彼だ。写真屋の姿を見つけると近づいて行って何やら話しだした。その側にいた小野寺勝美君が振り返ると、大きな声が響いた。

「これから集合写真を撮る!、壁時計の前に全員集合」

 三々五々に出来ていたグループは指示通りに動いた。ロビーの奥の壁際に予め用意されていた撮影用の木製の段々に上った。

後ろの壁の時計の下には、昭和三十八年三月藤沢中学校卒同級生還暦祝い、の張り紙がある。全員が受付の時に手渡された赤いタスキを首に掛けるよう指示された。それが還暦祝いの赤いちゃんちゃんこの代わりと分かった。

 

 二階の宴会場の座る席は中学三年の時のクラス別にまとめられていた。定刻の午後六時から始まった。

司会を務めるのは皆川弘君らしい。良く集まってくれたと感謝の言葉を述べ、役所主催の成人式から自分達で始めた男性の二十五、女性の三十三、男性の四十二(歳)の厄払いに次いで今度で集まるのは五回目、還暦の祝いの席だと語る。

そして、三クラス百四十七名の同級生で今日集まったのは百十人と報告した。

 幹事を代表して挨拶に立ったのが勝美君だ。恩師で参加してくれた三年B組の担任だった高橋ユミ先生を改めて紹介する。

勝美君が御出席、有難うございますと続けた。直接の担任では無かったけど私の目も小柄な先生の姿を追った。

 先生との再会は凡そ半世紀ぶり近くにもなる。細身になり大分に白髪の混じる先生は、かつての生徒皆に向かってゆっくりとお辞儀をした。

 皆の拍手が収まると、A組の佐藤先生もC組の遠藤先生も既にお亡くなりになったと告げられた。そして、他界した同級生十四名を含めて黙祷したいと語る。

 全員が立ち上がると、亡くなった同級生一人ひとりの名前を読み上げた。私は一分間の黙祷の中で、もうすでに一割の人が亡くなったのかと数えた。

 

 乾杯の音頭は藤沢の町で農業に従事している畠山京子さんだった。

還暦を迎えられたこと嬉しく思います。これからも皆さんが健康で活躍できるよう祈念して乾杯をしますと言う。唱和する皆の声が会場のボルテージを上げる合図だった。

 まだまだ元気が有り余っている六十歳だ。最初は自分の席で出された料理に舌鼓を打っていたけど、ビール瓶や徳利を持って座を動き出すのに時間を要しなかった。

 声が大きくなる。笑い声があちこちから起きる。クラス別だった席を離れ、小学校を分校生活で送った同じ地区の者同士で輪が出来た。部活の仲間同士が集まった。どの顔も顔を赤らめて笑顔が絶えない。

高橋先生を京子さんと合唱コンクールの県大会に出た仲間達が囲んでいる。

 

 今回も住所録名簿をまとめた秋雄君は黒子だ。私の横に来てコップ酒だ。

「ちびちび飲んで無ャで、コップにす(し)ろよ。ビールより酒だ」

 私にもコップ酒を進める。今の生活の近況をお互いに語りあった後、住所録づくりは大変だったろう、出来た住所録は貴重だねと(ねぎら)った。

 彼は、それほどでもないよと言いながら語った。

「作っていて気づいたのは同級生の約半数がこの岩手県内、宮城県側でも藤沢の町に近いところに住所を持っていた。その(あたり)で仕事見づげで働いているんだべ。意外だった。ホッキコウだよホッキコウ。小林旭さ」

「小林旭?、あの歌の北帰行?」

 私の言葉に黙って頷く。

「それでもまだ良い。帰って来れたんだから。それよりショックを受けたのが亡くなった同級生十四名の原因だ。十名が自殺だ」

えっ?。思わず声を出した。同じ地区の同級生や確認のために連絡を入れた元の勤務先で知ったのだと言う。

「ご家族は隠して言わねャ(言わない)。だども分がった。

病気よりも自殺と知ってショックだった。世の中を生きて行くって厳しいよ。歌の文句じゃないけど、夢破れて、北へ帰る旅人一人さ。

 俺達の半分の仲間は金の卵と(おだ)てられて集団就職だったろ?。早くに都会に見切りをつけて帰って来れたのは良いさ。

故郷があるうちは良い。だけど望郷の念があったって、親の代から長男の代に変わって帰るところも相談する相手も居なくなって、都会に浮遊している仲間の居ることも()った。

 自己破産して何処に行ったのか分がら無ャ。蒸発す(し)た話も入って来た。連絡の取れなかった数は卒業者数から参加者の数と亡くなった数を引けば分かるべ」