「何を馬鹿なことを言ってる。ここに来たばかりだよ。母ちゃんには元気で居てもらわないと」
「有難う。兄弟が一杯いるのに四男のお前に世話になるとは俺は思ってもいながった。先妻の子だの俺の腹を痛めた子だの、周りでなんだかんだ言う人もいだげど、俺はみな俺の子供だど思って一生懸命育てて来たつもりだ。
年齢取って、長男の孝一に世話になるのが本当なんだべな」
「何を言ってる。母ちゃんが皆俺の子供だって今言ったばかりだろう。それで良いんだ。世話できる人が面倒をみれば、それで良いんだ。
母ちゃんが孝一兄の所で世話になると言えば兄貴だって世話してくれるよ。だけど孝一兄も兄貴の嫁さんももう七十を超えた年齢だ。母ちゃんの面倒を見るには大変だろう。兄貴達も自分が息子娘に世話をしてもらう年齢だよ。
元気で現役で働いている俺の所に来て正解だよ。頼みたいことが三つもあるって、何?」
「うん。一つは田舎の家屋敷のごどだべ。智はあの通りだ。これからも変わらねャ(ない)。智も年齢を取るから返って世話が増えるべ。
俺が世話できなくなって逃げだしたようなもん(の)だ。だども寝る所があれば、雨露しのぐどごろがあればヘルパーでも誰かにでも世話になっても智は生きていけるべ。あの家と三反分ばかりの畑は智にやってけろ(相続させて下さい)」
一町分ばかりの山は孝一にやんべ(渡す)。父ちゃんが死んだとき、山を担保にして九十万(円)ばかり借金が残っていだ。それを払ってくれたのが孝一だ。父ちゃんの死んだ昭和四十二年当時の九十万(円)と言ったら相当な金だべ。
遺産相続で兄弟が喧嘩してはなんねや(ならない)。お前が他の子供達皆に言って、まどめでけろ」
「家や畑、山は、今は誰の名義?」
「みんな、死んだ父ちゃんの名義のままだ」
分かった。そうするよと応えて、知らない山の所在地、今がどうなっているのかを聞いた。
「父ちゃんが遺産相続で貰った山だから吉高だ。七曲りの実家の側だ。だども昭和五十年の国営の藤沢地区農地開発事業とかで持っていた山がそれに当たった。
んだから交換地と言うんだべ。町が持っていた近くの吉高の山を代わりにもらった。
町の説明では大正五年に植林した山だって言ってた。俺の産まれた年だべ。もうすぐ百年になる杉が何本植わっているのか俺は数えてみだごど無ャ。だども、切り出しにかかる金を差し引いでも孝一に払って貰った九十万(円)は楽に返せるべ」
百年杉と聞いて驚いた。町有林だったというからには枝落としも間伐もした手入れの届いた育成林だろう。幹の太さ、空を突く高さを想像した。
「それを知ったからって兄弟で喧嘩してはなん無ャ(ならない)ぞ。
もう一つ、俺が死んだら俺の葬式は田舎でしてけろ(して下さい)」
「何を馬鹿な事言ってる。元気でいてけろって、今朝、俺が言ったばかりだよ」
思わず声を高くして、母に合わせてズーズー弁になった。
「有難う。お前と義子には感謝してっぺ(してる)。
この数か月は夢を見させてもらった。だども、俺はやっぱり田舎っぺだ。こっちさ来てデイに行がさせてもらっても心底から笑えて話す人は誰も居無ャがった。
これからここで世話になるだども同ず(じ)だべ。田舎に帰ったとしても田舎で迷惑かけるだけの身にもなってす(し)まった。
いや田舎を捨てて来たんだ。今更帰れ無ャ。だども死んだとき田舎で葬式してければ(してくれれば)、お寺の本堂のどっかから皆に会えるべ。六十年も暮らした町だ。参列してくれた皆さんにお別れもお礼も言えるべ。
お前達のお蔭で東京で立派な祭壇を並べて貰っても、誰も知らない人ばかりに見送られるより良え。俺が死んだら俺の葬式は田舎でしてけろ(して下さい)。
それがらもう一つ。なすて(どうして)独り者ばっかりになったんべな。智はともがぐ、久美子も義子も信夫もみな独り者だ。仕事のあるうず(うち)は良がんべ(良いだろう)げども、義子も信夫もいずれは年金生活になんべ(なるだろう)。
一人の僅がばがりの年金だけで生活は為ん無ャ(為ら無い)べ。
ンだがら姉弟が集まって一人屋根の下に助け合って協力して生ぎろ。お前が音頭取ってそうしてけろや(下さい)。田舎のあのボロ家屋でも一緒ならば生活はできっぺ(出来るだろう)。
都会で独り生ぎる、死ぬよりも、田舎でやりたいことをやって野菜を取って、自給自足の昔の生活も悪くなかんべ。独り身の寂しさも誰に頼って良いのがも一人になって見ないと分かん無ャ(分からない)。
昔は生活が苦しいから、口減らしのために年寄りを山に捨てたつう話も有んべ。今は住んでるところが姥捨て山だべ。田舎でも都会でも自分の住んでるところで誰も知らずに死んで行く、死んで三日たって発見されたっつうことが東京でもあんべ(あるでしょう)。田舎でもあんだ(ある)。
ンだがら、久美子も義子も信夫もみな集まって田舎で暮らしたら良え。親の代から長男の代に変わって帰りずらい、帰る家も無い二男、三男、娘。故郷を失った人の話を田舎にいるどぎに聞かされたもんだ。
俺家ではボロ家屋でも智が家を継げば、智の面倒を見ながら皆が集まって暮らせば何とかなるべ」
母がそんなことを考えているとは思いもしなかった。湯飲みを両手に挟んで私をじっと見つめながら語る白髪と皺の多い顔は真剣そのものだ。
「財産の処分のことも葬式のことも分かったけど、久美子姉ちゃんも義子も信夫も田舎に帰って一緒に生活するというのは難しいな。
年金生活に入って傍にいる久美子姉ちゃんはともかく、今から母ちゃんの言うように義子と信夫に言ってもまだ十年も先のことで本人たちはピンとこないと思う。
今の生活の延長で会社を辞める時期が見えてきたら、それぞれがそれぞれに考えることだよ。都会生活を続けるのか続けられるのか、田舎に帰るのか、勿論、年金生活のことも考えて将来を考えるさ。
今の三つ目の話はその時期が来るまで聞いたことにだけにしておくよ」
腕時計を見ると午前十時半を少し回っていた。優子が出かけて二時間を過ぎている。
「そろそろ優子が帰って来る。話は分かったから少し休んだ方が良い」
母を促して部屋に行くと、写真を飾ってくれと言う。正月の母の誕生日の日に撮った記念写真だった。料理の乗ったテーブルを前に孝一兄と義姉が母を囲んで座り、孝一兄の左隣に私と優子と、うちの娘二人が立ち、義姉の右隣に姪の瑛子、義子と信夫が並んで納まっている。
義子の所でも飾っていたのだろう、縦十五センチ、横二十センチほどの額に入っていた。
ベッドの横の壁を叩いて釘の位置を決め、写真を飾ったばかりの所に優子がマフラーを外しながら顔を出した。外は寒い、と言う。昨日とはまた一転して雲天に北風の吹く日だ。
「お義母さん、お昼はパンで良いかしら」
「俺は何でも食べる。良えよ(良いよ)。あまり気を使わなくて良え」
「はい、じゃあそうさせていただきます」
優子が出ていくと、部屋を改めて見回した。母の座った肘付きのリクライニング回転座椅子の前に小さなテーブルがあった方が良い。