「もう九時半か。そろそろ高島平に着く頃だな。今日一日、母の身には堪えたかもしれないね。
俺達の勝手で兄貴達にも会うことにしたけど、九十に近い母を連れまわすより俺達の方が義子の所に行くべきだったんだろうね」
「住んでる家を見たいってお義母さんが希望したんだもの仕方無いでしょ。それにお義母さんが私たちの処に来てお兄さん達にとぼけていたら後々どう思われるか。
お義母さんも気を使っていた。お兄さん達の家にまだ顔も出していないのに、こんな立派な席を設けてくれてありがとうって、あの言葉を聞いた時、やっぱりお義母さんはお兄さんに遠慮しているなと思った。
血のつながっている親子だったら私たちの所を見たいっていうより長男のお兄さん達の住まいに行くのが先でしょう。
立派な家だし。本当ならその延長で同じ沿線に住む私たちの処に来るか来ないかってところだと思う。
お義母さんが会いたいって言ったんだから、本当はお兄さん達も私達も高島平に出向くのが筋よ。でも、いいんじゃない。義子さんは一日大変だったけど、お義母さんの希望通りにこの家に来れたし、孝一兄さん達にも上京した挨拶が会って出来たんだから」
特急池袋行き十九時五十分の電子表示板と、所沢駅で車窓から手を振った母と義子の顔が思い浮かんだ。
「問題は、これからよ。義子さんはまだ勤めているんだし、朝夕の食事は一緒に出来ても昼は団地のあの住まいの中にお義母さんが一人で居るわけでしょ。来たばかりだからまだ珍しさもあって気がまぎれるかもしれないけど、でもそれは一時よ。
目の前にある団地内の商店を覗くかもしれない。近くにある公園に行って見るかもしれない。でも、誰も知る人が居ない。今までお茶飲みに来てくれた隣近所の人、お義母さんの知っている人、友達は誰も居ないのよ。言葉を交わせる人が居て世間話が出来て元気をもらえる。それが無くなってお義母さん、耐えられるのかしら」
「あの姿を見たろう。足を引きずって家の中でも誰かの手助けが必要。台所に長い時間立つのは無理。トイレはまだ自分で出来るから良いけど、人の世話をできる状態には無いよ。今までよく智兄の面倒見てきたと今更ながら思うよ」
「そう言うことを言ってるん(の)ではないの。お義母さんにとってここで住むのが、団地で住むのが本当にいいのかってことよ。お義母さんにとって安住の地が本当に義子さんの所なのかしら」
「そんなこと言うけど、俺がお袋を引き取る、ここで面倒見ると言ったらお前は賛成してくれるのか。専業主婦だし、お袋の話相手にもなるだろう」
「そんなことでもないわよ。私はお義母さんの安住できる居場所のことを言っているの。義子さんの所でも私達の所でも無いわよ。お義母さんが田舎で今まで通り智さんの側に居られる。隣近所の人と茶飲み話ができる。生活介護を使う機会を増やしてそういう環境を整えて上げる、それが一番だと思う。
私達の所に来ると言うならそれでもいいわよ。でも、それでお義母さんは本当に安心できるのかしら。お義母さんは認知症にならない限りズーっと智さんのこと、心の中で引きずるのよ」
私に帰省する機会が生ずるたびに、優子が繰り返し話したことの振り返しだ。私はいつもそこで母が田舎で頑張ってくれること、持ち堪えてくれることを祈った。しかし今、母は義子の所に居る。田舎から決心して出て来たのだ。
「これから何があるか分からないさ。義子の所で暮らしてみてどうなるか俺にも分からない。ただお前が今言った、私達の所に来ると言うならそれでもいいわよって言葉、覚えておけよ」
何かにつけて母を引き取ることを拒否する優子としか思っていない自分だ。孝一兄の所も専業主婦と言っても七十になる義姉だ。
優子は専業主婦で町内会の婦人部でボランティア活動に精を出していると言ってもまだ五十一を過ぎたばかり。娘も一人は嫁いで独りは家を出て独立した生活をしている。優子が昼間は一人家に居るのは事実だ。母の世話を焼くらいなんでも無かろう。
「ええ、お義母さんの面倒を見ることになっても構わないわよ。でも、そのことは貴方の生活も変わる、休みの日の過ごし方も変わるってことなの。
家庭菜園にかかりっきりだの、運動不足だから少し歩いてくると言って何時間も帰ってこない。パチンコ屋で時間をつぶす暇なんて無くなるの。分かってる?。夕食時間になってさえ借りた畑でもパチンコでも夢中になって帰ってこないことがあるんだから。
私は何も言わないで来た。ストレス解消に必要だと思うから日曜日のあなたの行動にとやかく言わないで来たけど、お義母さんを引き取ったら貴方も自分の時間が無くなるの。お義母さんの面倒を見ることになるの。それを優先できる?、考えたことある?」
「母がこの家に来たら、それはそれで俺も変わるさ。面倒見るさ」
いつもそこで終わる。そう思いながら、もうすぐお風呂が沸きますの電子機器の告知を耳にした。お風呂に立った。
湯船につかりながら母と一緒に夕食を囲んだばかりの長兄(孝一)夫妻を思った。長兄が九歳のときに後妻になった母と血のつながりは無い。それでも長兄は穏やかに母の上京を喜び、元気な姿に安心したと言った。
義子はまだ五十三(歳)。八百人も職員が居る会社の総務課の総務係長だ。予算、決算期だけでなく会社の重要な会議の開催に掛かる資料作りにいつも追われていると言っていた。年がら年中残業も多くてと言っていた。
信夫は国の税務署の職員だ。千葉(県)の船橋市に勤め先があり、官舎住まいだ。未だに独身だ。母に会いに来させねば・・・。そして、母はいずれこの家に来るようになるだろう。そんな気がする。頭から湯をかぶった。