三、四十分見て回って展示室を出ると、容赦ない夏の光だ。
「私は何度か登ってっ(いる)けど、山に登んべ(登るでしょ)?」
「うん、初めて来たしね。その前に水分補充だね」
「伝習館の方に自動販売機があったベ。行ってみべ(みよう)」
道路を横切り殉教公園より少しばかり下った所に郷土文化保存伝習館がある。
「名前は文化保存伝習館だけど、震災時のいざとなったときの地区の避難場所だ。普段は大籠の人達の冠婚葬祭の場だべ。
大籠にお寺は無ャ(い)。四百年も前、キリスト教が広まってお寺は住民の手で壊されたんだって。当時の住職は逃げ出したんだっつ(て)よ。
販売機有っと(有る)。何にする?。お茶がポカリが?」
「冷たいお茶だね。渋い方が良い。お寺が無いって本当?」
「んだ。この地域に四百年もお寺は無ャ。んだから、今は誰かが亡くなったら此処さ坊さん呼んで葬儀の場になっぺ(なる)」
自動販売機の横に有った長椅子に腰掛けて休息を取った。姉の話を聞きながら建物の奥の方を見ると、和室と表示されたところも見え集会所らしい造りに見えた。腕時計を見ると二時半を回ったところだ。
「上までどのくらい時間が掛かる?」
「十五分ぐらいだべ。途中ユックリ見で歩ぐと三十分も掛かっ(かる)けど」
「今二時半だから三時半までに下りてくれば良いんだ」
「四時には家に帰んべ(帰れる)。行って見っ(る)か」
姉の言葉を発端に、登る坂道はコンクリート製の土留のある段々が暫く続いた。
「なんぼだっけな(幾つだったろう)。殉教者の数だけ階段があるって聞いで(て)っけどな」
階段に敷かれた砂利の間から負けずに雑草が伸びている。坂の途中に作家の加賀乙彦氏や田中澄江さん、遠藤周作氏から公園完成の時に寄せられたという喜びの言葉がレリーフとして建てられていた。三人のそれぞれの洗礼名も刻まれて有る。それだけでも私には驚きだったのに、五十メートル程登った途中から「十字架の道行」と有って大理石に刻まれた十四枚の絵図が頂上に至るまでの坂道に建てられていた。
第一の絵図は縛られたままのキリストが裁決を受け、死を宣告される所だった。自ら十字架を背負うキリスト、十字架を背負ったまま倒れるキリスト、それを見守る母、助ける人、刑吏が傍に居るにも関わらずキリストの顔を拭う人、坂を登る私にもこの道行きがキリストが処刑されたゴルゴタの丘に模して作られている事が分かった。
十四枚目の最後の絵図は信徒に囲まれ棺に横たわるキリストだった。クリスチャンでも何でもないのに神妙な気持ちにさせられた。
そこから姉の言うクルス館と呼ばれる塔屋の建つ丘はすぐだった。三十メートル四方ほどの丘は三百六十度、近隣の山々を見渡せる素晴らしい景色だ。山は緑濃く青空に白雲が一つ浮かんでいた。丘の端に鎮魂を奏でるという三角屋根の鐘楼が建てられてある。
まん中の広場にはローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の掩祝の石碑が有った。殉教公園の竣功に神の加護を祈るとともに殉教者を尊んで寄せられたとある。
その近くには一メートル四方にもなる大きな石が置かれていた。刑場に引き立てられ今まさに露と消える母親に、ひと目姿を見せようと乳飲み子を乗せた石で今回の公園整備に当たって刑場からここまで運んで来て設置したとその謂れが書いて有る。そこから見上げた大籠殉教記念クルス館は教会を模して造られたらしい。屋根に十字架がある。
中に入るとすぐに十字架の上のキリスト像だった。ハッとした。ガラス窓から射す薄明かりに浮かぶキリスト像の繊細な伸びた手、足、顎の細い顔。イブにそっくり。瞬間的にそう思った。同時に舟越保武さん、と彫刻の作者の名前が頭に浮かんだ。
イブの像は、今勤務する特別養護老人ホームに隣接する病院の正面玄関入り口の植え込みの中にある女性の裸像だ。作品名だけでは分からず、かつてずインターネットで検索した。舟越さんは岩手県盛岡市出身、長崎市にある殉教者二六聖人の像の作者、クリスチャン、親しい友人に同じ彫刻家の佐藤忠良氏とあったのを思い出した。右手の壁際に飾られ額に舟越保武の名前を見つけてやっぱりと思った。と同時になぜか身震いした。
額はこのキリシタン公園の整備から現世の平和を希求すると舟越氏のメッセージを伝える。それには奥様と共に洗礼名を記し、署名してある。
全体五坪ほどの広さの中に十字架と細面のきれいな顔をしたキリスト像だ。十字の切り方を私は知らない。両手を合わせた。傍には舟越氏の手になる聖クララ、聖マリア・マグダレナの胸像もある。
歩を進めて室内の十段ぐらいの階段を上った。扉を開けると目の前に教会の鐘だった。視界に緑の山並みが大きく広がった。
【付録】前作、サイカチ物語の最終章・遂志・22等に掲載したものの再掲、一部になります。





