「おはよう。良く寝れだが?」
「うん、寝たよ。天気は今日も良さそうだね」
「んだ。でも明日は朝から雨だってよ。今テレビで言ってだ。明日帰(る)んだべ?」
「うん。明日帰って、中一日、十日は家で休んで水曜日からまた仕事だ。悪いけど、明日の午後二時台か三時台の新幹線に乗れるよう一関まで頼むよ。夕方には所沢に帰りたいと思っているんだ」
「ああ、良いよ、次兄ちゃんのとこ(所)寄らないの?」
「ここに来る前に一人で兄貴のお寺に寄って、お墓参りをして来た。家の方には帰りの新幹線に乗る前に寄って見ようと思っているけど、子供たちは皆仕事だろうし義姉さん一人だろ」
「一人だって、たまには顔をみせた方が良いんだ。自家用車だもの俺も一緒に行くだべ」
「分かった。一時頃に行って小一時間も話せれば良いっしょ」
「今日はお昼を食べた後、大籠に行くんでしょ」
「うん。見たことが無いからね。それも頼むよ」
「分がった。先ずは顔を洗って来。ご飯にすっ(る)から」
母に挨拶する前の姉との会話だった。堀炬燵式のテーブルの上には、昨夜冷蔵庫に保存した五穀米を電子レンジで温めたらしく大皿一つにまとめてある。味噌汁や野菜サラダが並び朝食の準備を終えてテレビを見ていた母と姉だった。
兄も起きだして朝食の席に家族が揃ったのは七時半。朝食を終えても時刻は八時に少し前だ。
「インスタントだけどコーヒーを飲むか?」
聞く姉に、貰うよと応えた。
「今日はもう少しして居宅介護支援事業所に電話してみて、ケアマネの佐々木さんが居たらお礼の挨拶に顔を出して来る。
前にも言ったかもしれないけど俺の同級生だ。その後、野焼き祭りの表彰式というの?、どんなことをするのか見てくる。というよりどんな作品が出来上がっているのか見てみたい。
家に戻ってお昼を食べて、その後に大籠だね」
自分の今日の午前中の行動予定を姉と母に言った。テレビに目をやっていた兄が甲子園が始まると言ったのは確かだけど、その後は横にいる私でさえ聞き取れない言葉を吐き、ぶつぶつと独り言が始まった。テレビ画面とは関係なく、時々、声を出して笑う。
不意に通りに面した表戸が開いて、おはようございますと言いながら斜め向かいの家の元小学校の先生が入って来た。
「お茶コ、有難うね。何時も貰うだけだけど有難う。良がったね。まだ帰って来て」
私が今回も隣近所に配った狭山茶のお礼を言いながら、土間口に立ったまま母に挨拶をする。今度こそゆっくりしていけと私に言う。二晩泊ったこと、昨夜は野焼き祭りを見たこと、明日帰る予定だと三泊であることを伝えた。
居間の床に姉の勧めるままい草の座布団を敷いて腰を下ろした元先生は、母の淹れたお茶を飲みながらもっと休めっ(る)と良いのにねと母に言う。
「人が居なくなっても、田舎は良いでしょ。今、俺家の息子も娘も顔を見せに孫を連れで来でん(る)の。孫たちの世話もあって挨拶が遅れで申す(し)訳無ャがったー」
私と母の顔を半分半分に見ながら言う。私と十歳以上も離れている元先生の息子や娘さんの顔を思い出せなかった。元先生が帰った後、田舎は朝が早いからな、と姉が言う。
柱時計が八時半を回ったところで居宅介護支援事業所に電話をしてみた。ケアマネの佐々木さんは居るかと尋ねると、彼女は今日はお休みの日だとの返事だった。
野焼き祭りの会場に直行した。祭り会場の入り口に立つと、グランドは嘘みたいに静かだ。幅が百メートルを優に超え、正面の祭り本部のテントまでも百メートル近くあるだろう。改めてグランドの大きさを思った。
縄文の炎を見せた櫓は井桁姿のまま所々黒くなって中央に立っている。また各自治地区のテントもそのままに十六基の窯はひっそりと静かに横たわっている。
作品を窯の中から出している人の動きは緩慢だ。作品をその周辺に並べている。左に目をやると賑やかだった特設舞台とそのパイプ櫓も静かに朝の光の中に浮かんでいた。売店だったテントとテーブルや椅子を片付ける人影はまばらだ。
青空が広がっているけど、朝の涼しさを感じる。高さ十メートルにもなる火柱を立てた櫓に近づいてみると、所々木肌の内側を焦がしているもののまだがっしりしていた。逞しい。バタ材が燃えて出来た灰が櫓の中に四、五十センチも積もっている。
一部の作品が祭り本部の有ったテントの前に集められていた。縦が一メートルにもなる大きな作品を運ぶには慎重を期さねば成らないだろうが、大概の作品は各窯の前に並べられて有る。
審査員の一団が順番で各窯を回って作品を見ていると気づいた。審査員や関係者のジャマにならないよう、彼らの歩く順路と反対回りで各窯の作品を見て歩くことにした。
素焼きのままの土器や土偶に付着した黒い煤が作品の素朴さを語っている。千を超える作品の中にはハッとするような作品も有る。小さいけどユニークで面白いと思う作品も目に付く。塩野半十郎大賞や岡本太郎賞、池田満寿夫賞などが決まるまで審査は相当時間がかかりそうだ。そう思うと、一通り見学して会場を後にした。
腕時計はまだ十時半を回ったばかりだ。久しぶりに山に登ってみよう。登り口は町中に戻る途中にニ、三か所ある。会場から一番近くの道を選んだ。
かつては自分家の畑の一つが山の中腹に有った。足腰が弱り登ってまで畑を耕すのは出来なくなったと、母から畑に杉を植えたと聞かされてもう三十年になるだろう。今ではどこから何処までが自分家の所有なのか、他所ん(の)家の杉も続く杉林に外見からは分からなくなっている。標高二百メートル程の館山を、野良仕事を手伝わされたな、登ってよく遊んだな、明治時代になるまで伊達藩の館の一つがあったなと思いながら登った。
坂道は途中から砂利と夏草の茂る道になった。一息ついて振り返った。県南で一番大きい室根山が遠くても大きく見える。胸一杯に吸い込む空気が美味い。
何十年ぶりかに葉桜の木に囲まれた二の丸の跡に立つと、友達とかけっこをしたり、相撲を取ったり、寝転んだりした幼い頃が蘇る。
そこから三の丸に抜けると、ゴールデンウイークに町民を目の前にしてブラスバンド演奏を披露した高校生時代を思い出した。下手糞なトランペッターだったなと、思い起こせば今でも恥ずかしくなる。演奏した辺りの葉桜の木の下にヤマユリが二輪咲いていた。
三の丸の端に立つと、眼下に町並みの屋根々々が見える。その後ろにはかつて自分が通った高校があった愛宕山が目の前だ。その左後ろ側に標高四百五十メートルと覚えている保呂羽山が裾野を大きく広げている。白雲が一つ浮かぶ青空を見ながら山河に大小の違いはあっても自分の生まれた育った所が一番だ。啄木の歌を思い出した。ふるさとの 山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな、
三の丸、二の丸の雑草の茂る小道を戻って本丸に行く。本丸跡には神明造の神社が祭られてある。周りを大きな杉の木が囲み鬱蒼と茂った枝が空を遮っていた。夏だと言うのにここだけは昔も今もヒンヤリとする。
参拝した後、近くにある筆塚に寄った。側にある石碑には「鶯の声滑らかに丸く長し」東皐とある。子孫の方の住む家と私の生家とは十軒と離れていない。父の使いで何度か行ったことのあるその家に、新聞部で活動していた熊谷準君に頼まれて一緒に行った。大学受験も卒業式も終わり、クラス仲間が次々と故郷を離れて行く三月半ばだった。同行して初めて高橋東皐のことを知った。
東皐は同じ時代に西の良寛、東の東皐とまで評された人だと知って驚いた。生涯田舎に在って句と書を愛し、人々に慕われた人、江戸に居る与謝蕪村の指導を受け、蕪村から蕪村自身の俳号である「春星」を贈られた人、雨月物語を書いた上田秋成に東皐の句集「奥美人句集」を評して「一声に千里の春や奥美人」と一句詩われている人だと、熊谷君から聞かされたことを石碑の前で思い出した。
そこから城跡の西の外れに行くと、杉木立の間から遙か彼方に北上山脈が見えた。昔はもっと見晴らし良く見えたのにと思いながら、登った道とはまるっきり反対側の野道を下る。斜面の杉林が途切れると段々畑が陽を浴びていた。昨日の栗の木の枝落しをした自分家の畑が、途中、右に見えてきた。