「町民の思いのこもった作品を一同に介す(し)て十数基の窯を使って一晩で焼き上げるなんて、全国外に何処にも無ャ(い)行事だべ。作品は縄文土器風から現代作品まであっぺ(ある)。小さい物は縄文時代の土器や土偶をまねた物から壷や花瓶、皿にお椀、湯飲み、それに牛、馬、ウサギや犬、猫、豚なのかイノスス(イノシシ)なのが縄文時代(ずだい)にも生活の中で身近(みずが)にいだ動物の飾り物が多いべ。クジラとかイルカなどもあっぺよ。

 大きな物は、一メートル大の物もある。大きな瓶、大きな造りの埴輪、人の顔などもある。皆出来た作品は素焼きのままだがら焼けた土色のままだす(し)、付いだ(すす)が何とも言えねャ味わいを(かも)す(し)出すもんねャ(ものね。)。出品は釉薬(ゆうやく)を使っていねャ(いない)のが条件だ」

 彼の言葉から、会場に歩いてくる道々、街中の各家々の前に飾られていた過去の素焼きの作品を思い出した。陶磁器の町は全国至る所にあるけど、出来上がった陶器が土の焼色のままで装飾が黒く焼け焦げた煤という素朴な作品を街中に連ねて見られるのはこの町だけだろう。丈が一メートルを越す大型の土偶みたいな作品からユニークな現代的な作品や、家をかたどった二、三十センチの小物、家畜の塑像の類いまでが軒下に並んでいた。それが縄文の野焼きを彷彿させていた。

 

「ポスターに火止めが午後十時って有ったけど、それで作品が焼き上がるの?」

 この際と思って私は質問した。

「午後四時(よず)から十時だがら六時間だべ。その時間(ずかん)、どの窯もバタ材を継ぎ足してまた継ぎ足して燃やし続けんのっしゃ。夜十時までだけど、その後は明日の朝まで残った火と灰の中に作品をほったらかす(し)にして自然に冷めていくのを待つのっしゃ。

 雨が降ったら大変だけど基本的にはそのままほったらかすだ。風が吹いて残り火で火事にでもなん(なら)ないように見張りは付くけどね。自然に冷ますがら良いのよ」

 言葉にしないまま頷いて腕時計を見ると、まだ五時に少し前だった。会場を一時濛々と覆った煙はとうに消え、中央の縄文の炎は赤みの炎を空に向かって突きだし燃え盛る。各窯も炎をむき出しにして薄い煙に変わっていた。

「今年は、どれくらい応募作品があったの?」

(おら)はまだ分かんねャ(分からない。)だども毎年(まいとす)千点はある。多い年は二千点も集まっかん(集まるから)ね。窯の数もその(とす)によって違うのっしゃ。今年(こどす)(たす)か十六基だったべ」

「さっき数えてみた。十六だね」

「窯の大きさも地区に寄ってまづまづ(まちまち)だべ。地区の人の誰が何を造っでいるか、応募するが、そんな情報を先に入手す(し)て窯の大きさも数も自治地区で決めでッペ(決めている)」

「冊子には標準なんだろうけど、作品を並べる空間が深さ約六、七十センチ、幅約三メートル、長さ約七メートルと有ったね」

「ンだども、窯の周りを台形の土手状に土を盛って補強すっぺ(する)。ンだがら外形は窯の高さ一メートル、幅も長さも図の数字より更に一メートルは大きいべ。仁志君、(めし)はどうすんだ。夕飯(ゆうめし)

彼の眼の先に私も一瞬目を向けた。特設舞台とパイプ櫓の手前の二、三のテントで食事になるものを販売しているらしい。テントの前に人が並び、その側に並べられたテーブルと椅子で多くの見物人が既に口を動かしていた。

「うん、一旦家に帰って食べる。ここに来る時、姉に夕食は六時って釘を刺されている。なに、その後、六時半から二日町の陣太鼓とか本郷のお神楽とか、津軽三味線とかイベントがあるでしょう。母が楽しみにしているからそれを見に母を連れてまた来るよ」。

「そっ(う)か。いや、祭りの食事(しょくず)に縄文の食と言っで、今年は五穀米のご飯とはっと汁、焼き鳥など売ってん(いる)べ。町内の婦人部が引っ張りだされて作ってんだ。ビールでも飲みながら仁志君と一緒にどうがど思ったんだども、予定が入っていん(る)ではしょうが無ャ(い)な。奥さん、子供も一緒?」

「いや、帰って来たのは俺だけ。娘二人はもう社会人で家を出てるし、女房は留守番だ」

「子供の育つのは早いもんねャ。何時(いづ)帰るの?」

明後日(あさって)、月曜日だね」

「明日は(なん)が予定あん(る)の?」

「いや、特にないけど。いつも田舎に帰ってきても一泊とかせわしなくて親孝行もしていないから、自分の骨休めもあるけど親に顔だけは見せないと、と思ってね、三泊だ」

俺達(おらだず)明日(あすた)も表彰式とが、後片付けの作業があっ(る)からここがら離れられないけども、大籠にキリシタン公園が出来でるよ。隠れキリシタンの資料館もできているがら行って見てけろ(下さい)」

「えっ」

(はず)めで聞くが?」

「うん、知らなかった」。

「今の町長さ。故郷、田舎の歴史(れきす)を大事にしたいってキリシタンにまづわる関係資料を集めで整備したのっしゃ。町興す(し)の意味もあるー。伊達政宗の時代だもの四百年前のことだもんね。江戸時代(ずだい)の初めだって(頃)か。踏み絵を踏ませた場所とか処刑場とか、当時の(ひと)(だず)が隠れで信仰を続げだ洞窟跡とかもあるよ。寄って見で行ったら」

「そうなんだ。行ってみようかな」

「仁志君も歴史()きだべ。どれ、(おら)は休憩時間(ずかん)だどもなんだかんだ仕事があっぺ。テントさ覗いてみっぺ。還暦祝いの会、小野寺君たちと(おら)も一緒に準備す(し)てんだ。また会えっぺど(会えるでしょう)。身体ば大事にして元気でな」

「うん、ありがとう」

直ぐ傍の消防団のテントに向かう彼の背を見送った。見ると私の腕時計は午後五時十五分を指していた。家に戻ることにした。

 

 台所に立つ姉に、キリシタン公園のことを聞いた。振り返った姉は、黄色いパッケージの箱を持ったままだ。

「何だべ。十年も前に出来てんだよ。言わ無かったべが。んだ(そうよ。)。公園にも成っているす(し)、資料館もある。山さ登っとクリス館と言ったべ、キリスト様の彫刻がある。名前何て言ったがな?。有名な彫刻家だっつよ、作ったの。そんなのが出来るまでこの町が隠れキリシタンの町だったなんて俺達(おらだず)も余り知らなかった。大籠の人達は地元だから分かっていたんだべげど。矢っ張り町長さんの町おこしの一環だべ」

「町おこしの一環でも何でも、自分の町の歴史を語る物を後世に伝えるって大事なことだよ。明日、見に行って来ようかな。姉ちゃんは見たことあるの?」

「あるよ。町の話題にも成ったす(し)、岩手日報だの河北新報だの新聞にも載ったもの。テレビでもやった(放映した)よ。行ぐなら運転すっぺ(る)が」

「うん、頼むよ。見て見たい」

「明日、何時頃に出かける?」

「何時でも、姉ちゃんの都合の良い時間で良いよ。どのくらい時間がかかる?。母ちゃんも連れていくか」

「母ちゃんは如何(どう)かな。母ちゃん、一緒にいくが?」

(おら)は一回見てっ(る)から()え。智も一回連れて行ったべ。二人で行って()(来い)」

「じゃ、お昼家で食べてからだね。午後一時頃にでも行くべ。大籠まで十二、三キロ有っ(る)けど自家用車(くるま)で行けば十分、十五分ぐらいのもんだ。母ちゃん達のお昼(昼食)終わってなら()がんべ(良いだろう)」。

「うん、頼む」

ルーを入れたのだろう。

「カレーにした。その方が手っ取り早いし、母ちゃんも智も好きだから」

振り返って言う姉の言葉よりも先にカレーの良い匂いが周りに漂った。