場内アナウンスが流れた。

「これから間もなく火入れ式を行います。会場のグランド内におられる方は、一旦、お近くのテント等場外に出られるよう、ご協力下さい」

 私も皆と同様に従った。腕時計はもうすぐ午後四時だ。会場入り口付近に戻って振り返ると、特設舞台と本部のテントがある間から四、五十人もの男女が出てきた。皆、布丈が足下まであり袖口が広い赤色地か黄色地の布地を身に纏っている。頭からすっぽり被って着るものらしい。布地の前の方にも背中の方にもシャネルのマークのような模様が太く黒く上下に二つ重なっている。

 よく見ると、炎の字を具象化して染め抜いたものらしい。ラッパ状の袖口にも太く黒い輪が左右に染められている。赤色地の布を纏った者は赤と黒の太紐を、黄色地の布を纏った者は黄と黒の太紐をねじりハチマキにも腰の辺りを二重に巻いて締める帯にもしていた。赤色地と黄色地の布に黒がよく似合う。彼等は会場の中央に積み上げられた六角井桁の櫓を大きく取り囲んだ。

 

 すると、またアナウンスされて今度は麻のカマスで出来た着物を身に纏い、腰を(わら)(なわ)で絞め縄文人に扮した子供が十五、六人出てきた。彼等は赤色地と黄色地の布を纏った者達が作った輪を通り過ぎ、六角井桁の櫓にもっと近づいて横一列に並んだ。

 午後四時丁度だった。只今から火入れ式を行います。火起こしは藤沢中学校の生徒の有志ですと紹介があった。「火起こしを始めます」のアナウンスを合図に現代縄文人の子供が二人一組になる。しゃがみこんで火起こしが六角井桁の前で始まった。

 遠く離れているので手元は見えないけど、一人が動かないように凹みのある火きり板を抑え、一人は火きり棒を凹みの中で懸命に回転させている。その周りを囲む赤色地と黄色地の縄文人はある者は立ったまま、ある者は(ひざまず)き皆胸の前に両手を合わせて祈りを捧げている。初めて見る光景だ。

 

 三分も経たず会場中央で一筋の煙が立った。見物客のあちこちから拍手が湧く。何時の間にか私の周りもグランドの周囲も人だかりになっていた。二本、三本と現代縄文人の手元から立ち上がる紫煙の数が増え、拍手が大きくなる。

 間もなく現代縄文人の子供達の手で六角井桁の櫓に積まれた藁とバタ材に火が移された。一段と大きな歓声と拍手があちこちから湧き起こった。口笛がピーピーと鳴る。縄文の炎と呼ばれる巨大な櫓に火が入った瞬間だった。

 暫し見とれていると、大きな煙がもうもうと先に立ち、五分と立たず十メートル近くにもなる巨大な火柱となって縄文の炎が燃えだした。大きな歓声と拍手が再び湧き起こった。縄文の炎、今は亡くなられた彫刻家の岡本太郎さんの命名だと聞いている。

 

 各窯に火入れを行いますとアナウンスされた。会場は一気に慌ただしくなった。縄文人が退場し、変わって各自治区等のテントの中から二、三メートルほど有る長い棒を持った小父さん小母さん達が幾人も出てきた。そして盛んに燃え始めた縄文の炎に棒の先を突き当てる。棒の先には油をしみこませた布か何かが巻かれているらしい。棒の先に燃え移った火を各自が自分の地区の窯に持ち帰るのだった。

 立ち見をしていた私の側にある徳田地区の窯にも火が入った。空気穴近くに重ねられた藁と小枝に火が移され、程なく窯の土手に井桁に積み上げられていたバタ材が燃えだした。バチバチと音を立てて燃える勢いが徐々に増していく。高さ二,三メートルの高さにまで燃えさかる炎と飛ぶ火花はバタ材を燃やす人だけでなく、見ているだけの私のようなものにも緊張を生む。

 会場に目をやると、あちこちの窯も火と煙が立ち上がっていた。中央で燃え盛る縄文の炎と十六基の窯がグランド全体を炎と煙のるつぼにしていた。凄い。興奮を覚えた。見に来て良かったと思う。

 

「千田君」

 振り向くと、及川君だった。

「やれやれ、やっと交代の時間になった。炎天下に立っているのは楽で無ャ。如何(どう)?。火が入っ(る)と興奮すんべ(するだろう)」

 私の心を見透かしたような言葉だ。彼は帽子を取って汗を拭う。

「何時から交通整理とか、冊子の配布をしていたの?」

十二時(じゅうにず)からだ。午後一時(いつず)から窯焼きする作品の受け付けが始まっぺ。ほ(そう)だがら(まず)の人は勿論(もずろん)(まず)の人以外の遠ぐがら作品を持って来で応募する人のためにはその時刻(ずこく)からだ。四時で交代す(し)たがら、(おら)がまた案内に立つのは後は夜八時からだねャ。初めて見っか(見るのか)?。夜になると闇の中に燃える炎がまた一段(いずだん)と映えんべ(える)」

「うん。夜の窯焚きは過去にも二度見ているけど、火入れの儀式はこれが初めてだ」

「第十五回の野焼き祭りを計画すっ(る)ときに、町長が彫刻家の岡本太郎さんを呼んだのっしゃ。岡本さんを中心にして祭りを計画す(し)たし、あの火入れの儀式もそっ(そこ)から(はず)まった。

 あの年の四月に縄文野焼きサミットとか言って、岡本太郎さんに池田満寿夫さんや陶芸家だべ辻清明さん達十四人が文化センターで縄文時代の陶器だの埴輪だのの素焼きの方法とか、その時代の人々の生活とか豊かな心とかを二時間ばかり語り合ったのっしゃ。あん(の)時は、文化センターに人が溢れて凄かったよ。五百人も入れば一杯のちっこい(小さい)センターに千五百人もの人が集まってさ。岡本さん達の話も面白がったす(し)勉強にも成ったけど、池田満寿夫さんの奥さんだべ佐藤陽子さんのバイオリン演奏もあって聞いでる皆も感動したもんねャ。

 旧盆に行われた祭りの本番は大成功だったす(し)、お陰様であれ以来、田舎にも一つ誇れるものが出来たよ。何もかも無くなって残されたのが年寄りばかりでは寂しいよ。あの中央で燃えている縄文の炎、彫刻家の岡本太郎さんの命名って、()ってっか(いるか)?」。

「うん、前にいつか来て見たときに姉に聞いたね。焼き上がった皆さんの陶器の品評に野焼き祭り創始者の考古学者、塩野半十郎先生の大賞の外に今も岡本太郎賞とか、池田満寿夫賞が有るのはそれでだね?」

「ンだ。岡本さんは次の年にも参加してくれだがらね。皆の作品は縄文土器風から現代作品まであるよ。隣の縄文ホール、行って見だが?あの文化センターの舞台の緞帳(どんちょう)は岡本さんが俺達(おらだず)の藤沢野焼き祭りに感動す(し)て、その感動を表現す(し)て書いたっていう炎の絵、それを元にす(し)て作られでる(いる)。センターの前庭には岡本さんの作品「縄文人」が寄贈され置がれでる(ている)。見だべが?」

「ウン、緞帳の話は初めて聞いたけど、縄文人の彫刻は前に見た」

「あの縄文人の大きさ、()ってっ(る)ぺか?」

「いや」

「高さ一メートル六十、重さ四百二十キロだ。今じゃ町の宝物だよ。皆が文化センターって言わねャ(ない)で、縄文ホールって呼ぶようになったもんねャ」

なるほどと思いながら私は首を縦にした。

「所で、火入れ式と言うから火を燃やすのは午後四時からと思っていたけど、来て見たら各窯の土手で既に藁が燃やされていたね?」

「うん、アレは藁焼きだ」

「藁焼き?」。

「うん。応募のあった出品作品は午後一時(いずず)以降に窯の底地に並べられる。けんど、それをそのまま焼ぐど作品はひび割れを起こす(し)たり、割れです(し)まう。ンだがら並べる前に窯の土手でバンバン藁を燃やして灰を一杯作り、それを窯の底地に敷き詰めるのっしゃ。午前(つう)から藁を燃やす(し)でいる地区もあるくらいだべ。

 灰を敷き詰めて、作品は底地への接着部分を少なぐ並べるのが良い作品を(つぐ)るコツだ。火入れは、その窯を本格的に焚くどぎの言葉だ」

「そういうことか。会場についたらあちこちの窯で既に煙が立って燃えていたから、アレッて思ったよ」