苦笑いを浮かべて、小父の言葉が続いた。
「都会に出れば誰にでも田舎に帰りたい気持ずは有っペ。だども、田舎に仕事も面白いごども無ければ誰も帰って来ねャ。覚えでいっぺが(いるか)?。昔はお盆にも色々な催すというが、伝統を守る行事があったもんな。
初盆を迎える家は軒先に大きな松の枝を飾って、その松葉一つ一つに片方をこよりです(し)っかり包んだお線香を吊るしたもんだ。十三日の夕方にそのお線香一本一本の先に火を点ける。百本二百本のお線香が一遍に煙んべ(煙る)。金のある家は松の枝も大きく吊るした、お線香の数が五百本にもなった。それがお仏様の迎え火だった。
十四、十五日は町民の盆踊りが夜遅くまで町中を隅から隅まで流して歩いだ。仮装盆踊り大会で賞金賞品の出た年もあっぺ(ある)。太鼓も踊りの歌っ子も夜店の出た町中に響いたもんだ。
十六日の仏様の送り火の日には、初盆を迎えた家が喜捨の一つどす(し)て自分の所に寄せられた盆提灯を欲しい人に分け与えだ。その与える方法、覚えてっか?。
午後一時頃になっと(て)初盆を迎えた家と真向いの家との間で藁縄を渡すてその藁縄に提灯を横一列に吊るしたべ。子供たちの手に届くか届かないかの具合に上下にゆすり、掴ませ、取らせる。子供は誰でも欲しくて楽しくて参加して奇声を上げたもんだ。それは、実は盆飾りを入手できなかった家庭に提灯を分け与える手段だった。亡くなった人を弔うのに貧富の差は関係無ャもんな。そんな良い風習も無ぐなった。
夕方になると各家々の門や戸口では藁を積んでご先祖様の送り火を焚いたもんだ。だども、それも消防上の問題が有るからって、とうの昔に止めさせられだべ。
野焼き祭りが盛んになるど少しはお盆に帰ってくる勤め人、出稼ぎの人の楽しみになったんだど思うけんども、それも開催の時期が旧盆では無くなってす(し)まったもんねャ。仁志君はたまたまタイミング良く帰ってきたんだもの、妻の言う通り見て行かえん。(見て行ってくれ)」
「そうか。私も長期出稼ぎの人だからね。明日は久しぶりに野焼き祭りを見に行きます」。
「そうしてけらえん。(そうして下さい)。ンだば、お昼は如何す(し)たの?。まだ食べて居ないっしょ。中華でも取るから食べて行かえん(行って)」
断る私の言葉に構わず、小母はそう言って冷やし中華三つの出前を頼んだ。
小父の店を後にしたときは午後二時近かった。外は陽射しが強い。家に戻る途中、町裏通りの役場前のJAスーパーに寄り道した。明日のお墓参りのときのために仏花を購入しようと思った。
入口近くにナデシコや鶏頭の花、矢車草などが咲くプランターが並べられてある。炎天下にさらされたコンクリートの駐車場の間を歩くといかにも暑い。入口の大きな硝子扉に藤沢野焼き祭りのポスターが貼られていた。
何判の大きさと言うのだろう、縦に六,七十センチ、横に六十センチはありそうなポスターは全面赤地で、右方に縄文の炎 第二十九回藤沢野焼祭と有り、左方に二〇〇四、八月七日(土)と八月八日(日)と開催日が書かれてある。
ポスターの真ん中に書かれている文字が私の目を引いた。こんな文字あったかな?。なんて読むのだろう、一つの字は火を書いてその下にまた火の字が横に二つ並んでいた。それで一文字らしい。またその下に「生」の字が一文字書かれている。この二文字で何と読む。左下に小さく、書・辻清明とある。首をかしげながら分からないまま購入した仏花を手に店を後にした。
裏通りから坂を下り、また上って小母が中華の出前を取った双見屋の前を通りバス通りに戻った。
家に入ると、母のお昼はどうした?の声がかかった。小父の所で双見屋の冷やし中華をごちそうになったと応える。兄の姿が見当たらない。介護ヘルパーは役目を終えてとうに帰っていた。
「兄ちゃんは?」
「昼寝だ。なに、お昼を食べると、いつものことだ」
「トイレの工事代金、支払いを済ましてきた。介護士は如何。入れてなんぼか(いくらか)良いか?」
「まあ、助かるごどもあっ(ある)けど、恥ずがす(し)いな。ジャガイモだのナス、キュウリ、トマトにキャベツだの野菜だば自分の畑で採れっから一杯あっ(ある)けども、そればっかりで料理作んの頼むのも申す(し)訳ねヤ」
「肉も魚もバランスよく採らないとね。スーパーで売ってるでしょ」
「銭この問題もあっぺけど、あそこまで買いに行くのも年寄りには一苦労だよ」
こんな物しか食材を準備出来なかったと羞恥心が先になって生活介護を断る、冷蔵庫を見られるのを嫌だと言って調理を断る。前に来た時に聞いた本家の嫁の由利さんや保健センターのケアマネの佐々木妙子さんの言葉を思い出した。
それらに加えて買い出しの問題もあるのだと知る。街の中に住んでいてさえも、お年寄りのために生鮮食品や生活必需品の巡回販売の車が定期的に必要だと思う。うん、と首を縦に頷きながら母の淹れてくれたお茶を口にした。
「もう一つ、母ちゃんと話す合わねばなんねャ秋の温泉旅行のことだけど、義子と話し合って栗駒高原の温泉宿を予約した。明日、久美子姉ちゃんがここさ来るって言ってたから、詳しいことは明日話すべ(話しましょう)」
「栗駒高原って、何処だ。一関からバスが?」
「いや新幹線で一関から東京に向かって一駅、新幹線の停まるところだ。一関に近いところでバスで行く須川温泉や一関かんぽの宿の話も有ったけど、まだ行ったことがないとこ、近いところでと義子と話し合って栗駒高原温泉にした。くりこま高原駅から約一時間車だけど送迎バスもあるし、それがダメでも、たまにはタクシーで贅沢しても良いっしょ」
「俺のために、余計な銭子使うごどねャ。温泉行けるだけでもありがでャ(たい)。智も行くんだべ?」
「勿論、智兄も一緒だ。兄弟皆に一泊する日時と仮予約した旅館を伝えて、参加を再確認してある。土日で仮予約したけど、参加は兄弟皆OKだ」
「福島も来るってが?」
母は、福島県のいわき市で夫と一緒に洋服屋を営む三女のことを気遣った。ここ数年、母や私達兄弟は嫁いだ三女から店の営業の厳しさと自身の体調が思わしくないことを耳にしていた。大型店に押されて個人商店がつぶれていく。二週間前に聞いた姉の言葉を思い出しながら私は自分をも元気づけるように言った。
「うん、来るって。楽しみだって言ってた。何年ぶりになるかな。ここ数年、姉ちゃんとは電話でのやり取りばっかりだったからね。会えるのを俺も楽しみにしてる」
「そうなっ(る)と良いな。俺も楽す(し)みだ」
「だがら行く日まで、母ちゃんも兄ちゃんも体を壊さないように気をつけてくれよ」