八月二日、月曜日、介護課長が午前十時を回ったところで生活相談員の竹山君と一緒に施設長室に来た。福島県磐城市たいらに有る佐藤己代治さんの家族が眠るお墓にお参りをしてきたと言う。座りなさいと右手で指示して自分も応接セットに座った。
「ご配慮、有り難う御座いました。土曜日に福島県の平豊間と言うところまで行ってきました。お寺は西浄寺と言うところでした」
「用は足りた?」
「はい、中学を終わって都会に出て、約七十年ぶりの故郷ですからね。嬉しかったと思います。お墓に行く前に佐藤さんの家のあった所と言うところに行きました。人里から離れて段々畑の中の木造の一軒家でしたけど一人っ子で育ったという家には当然誰も住んでいる人は居なくて、外から見ても雨風に大部痛んでいましたね。
彼を車から降ろそうとしたら、降りなくて良いと言うんです。離れた所にもう一軒の家があったんですけど人の目を気にしたんでしょうか。車の中からじーっと見るだけでした。
そこから五分程で目的地のお寺でした。小さい時の記憶って、町並みは変わっても山間の景色が変わらず覚えているものなのでしょうか。彼の弱々しくたどたどしい道案内はそれでも確かなものでした。
お寺は小高い山の途中にあって、振り返ると太平洋が一望に見える眺めの良いお寺でした。寺の前の道端に車を停めてお墓まで佐藤さんを負ぶって行くようになりました。砂利道に草が生えている坂道で、とても車椅子を使えるような所では無かったです。
本堂の右側が墓地になっていて、各家々の墓は山の斜面に段々に並んで作られていました。佐藤家の墓の場所は彼の記憶ですぐ分かったんですけど、佐藤さん自身が驚いていました。己代治さんの記憶は故郷を離れる前の小さな墓石が幾つもあったお墓でした。それなのに墓地を石で囲み、御影石で作られた三段構造のお墓に変わっていたのです。
墓石の後ろに回ってみると、昭和三十九年三月彼岸建立、施主、佐藤己代春と有りました。彼のお父さんが立派なお墓に作り替えていたんですね。
側にあった石の墓誌に刻まれた記録から彼のお父さんお母さんの亡くなった日を知ることが出来ました。戒名の次に昭和四十年十月の何日だったかにお父さんが亡くなっていました。墓石を立派に作り替えて一年半後にお亡くなりになっていて、己代春、七十歳とありました。約四十年前ですかね。その横にお母さんの亡くなった日が並んでいました。昭和五十二年七月三十一日、キク、八十歳とあり、たまたま行った日が彼のお母さんの命日だったん(の)です。
持って行ったお花とお線香を上げ手を合わせた後、彼は墓誌に刻まれた戒名、没年、父母の名前、享年に手をやって号泣していました。すっかりやせ細った背中が波打っていましたね。思わず、私も遠藤君ももらい泣きしました」
「うん?、遠藤君も一緒に行ったの?」
私は介護課長の方をチラッと見て、竹山君に確認した。
「はい、もともと己代治さんのお墓参りを言いだしたのは彼女ですからね。
彼女は四月に入職したばかりで現場に慣れるのに大変だったと思いますけど、普段から己代治さんを良く面倒見ていました。末期癌の状態にあると知って、己代治さんの希望どおりに故郷を見せてあげたい、一緒に行きたいという思いが強くなったのでしょうね。何かと行き帰りの己代治さんの世話をしてくれましたし、お墓で水桶に水を汲んできたのも彼女です。
私が己代治さんを負ぶって墓まで行ったくらいですから、私一人では十分な世話は出来ません。彼女が同行してくれて良かったです」
「佐藤さんに喜んで貰えて、君達に事故も無く行って来れて良かったよ。時間が掛かったろう」
「はい。行きは三郷のジャンクションから常磐自動車道でいわき湯本インターまで行って一般道に入りました。ナビと地図を見ながら、途中、休憩を入れて約四時間、朝八時に施設を出て丁度お昼を過ぎたところで平豊間という地区でした。お腹が空いていたので先に昼食を摂ろうと言ったんですけど、己代治さんは興奮状態でしたね。まず生家を見たいと言い、それからお寺に行きました。
墓参りが終わってから諏訪川と言う川沿いに近いところに中華店を見つけて食事をした時は午後も一時を回っていました。ユックリその店で休んで、向こうを出発したのは午後二時です。
帰りは行きよりもパーキングで時間を取り、ユックリ休み休み帰ってきました。途中のパーキングで何を食べたいか聞いて夕食を摂りましたけど、チーズハンバーグと言うのに驚きました。ご飯を少し残しましたけどよく食べました。施設では何時もおかゆですからね、驚きです。
施設に着いた時は午後七時を回っていました。往復約十一時間。それでも佐藤さんは腰が痛いとも疲れたとも何処でも口にしませんでした。施設に到着してすぐにお風呂の準備をして、遠藤君と一緒に体を洗ってあげて彼が床に就いたのは夜も八時を過ぎていましたけど、そうなって初めて私達二人に有り難うと言いました。布団から出した手を遠藤君も私も握り返しました」
お疲れさんだったね、と改めて言って竹山君を送り出し介護課長に残るよう伝えた。そして、普段から職員の勤務状況をきちんと把握するように、遠藤君の勤務スケジュールの変更を介護係長と相談して考慮するようにと指示した、人手のぎりぎりの所で構築されている介護士の勤務表は早出、遅出、日勤、夜勤、休日のある変則勤務だ。遠藤君を単純に振り替え休日にするとはいかないだろう。時間外勤務の対象にして手当を出すのか、他の職員の勤務予定も考慮しながら何とか振り替え休日を与えることが出来るのか、検討が必要なのだ。
また佐藤己代治さんの食事代の取り扱いはどうなると聞いた。誰でも食事を取るから職員の食事代は自己負担にしても、佐藤さんの食事代を竹山君が払っているとしたら自己犠牲だろう。介護課長が、済みませんという。済みませんでは無く、如何処理すべきなのか、どうできるのか、それを確認して報告しなさいと指示した。