私は東京や神奈川、千葉、埼玉に住む中学時代の同級生の有志で夏に暑気払い、冬に忘年会と称してお互いに近況を語り励まし合う十人足らずの名無しの会を数年前から開いていた。決めた日時に御徒町駅に近い上野松坂屋の前に集合し、上野駅か御徒町駅近くの居酒屋や料理店に予約無しで行く。その日に集まった皆の意見で居酒屋の時も洒落たレストランの時も、また中華や和食の店になることもカラオケ店になることもあった。

 集まるキッカケを作ったのは中学を卒業して集団就職で上京し、今ではそれぞれに美容院を経営する二人の女性だ。彼の口にした冨美さんはその一人の後藤登美子さんのことだ。女性二人におだてられていつの間にか集まるメンバー皆の連絡調整役が私になっている。その情報が勝美君の耳に入っているらしい。

 

 私に断る理由はない。同意して、その名簿一覧を実際に作るのが誰かと聞いた。聞きながら四十二(歳)の厄年を払う会に出席した時に貰ったクラス毎、アイウエオ順に出欠を整理した同級生名簿一覧を思い出していた。

「畠山秋雄君だよ。彼は仕事でパソコンも使うし印刷機もコピー機も側にあるって言ってだ。建設会社勤めで彼は今仙台だ。ちょこちょこ田舎さ来(る)っから、その時に還暦祝いの世話人が何人か集まって名簿作りも、当日の会の運営も如何(どう)すんべってごども話す(し)合ってる(いる)。飲みながらだけどね」

 畠山秋雄の名前が出て私には懐かしいどころか近況が聞けて嬉しくなった。彼は中学高校と軟式テニスのペアを組んだ私の相方だ。

「そうか、建設会社に勤務しているのか・・・。彼にも四十年と会っていないなァ」

 勝美君は、秋雄君自身は仕事が忙しくて出席出来ないと解っていても女性の本厄の時にも男の本厄の時にも名簿作りに率先して協力してきたのだと語った。私は秋雄君が田舎に残っている友といつも連絡を取ってきた、名簿作りにいつも参加していたと知って面倒見の良い彼ならそうだろうなと高校時代の彼の顔を思った。

 

 勝美君が帰った後、姉がすかさず鉄平さんの方、如何(どう)す(る)んの?と聞く。腕時計は午後二時を回っていた。慌てて電話を入れた。小母が出た。

「あらー、何時(いつ)来たの。俺家(おらえ)の店さ寄らえん(寄って)」

 大きな声が返ってきた。小父さんが居るかどうか聞いているのに私の質問に関係無く、伯母ちゃんも智さんも元気だよ。心配ないからね。自分達の方も変わりなく元気だ、小父の商売も上手く行っていると言う。

 本人に悪気は無い。私はこの小母と話すと何時も元気を貰える気がするから不思議だ。何時も大きな声で賑やかな話し方だ。何かと気を使って季節の変わり目に母や兄の暮らしぶりを態々(わざわざ)所沢の私の家まで電話してくる。それが何時も変わりは無い。元気でやって居る、心配は要らないよと私を安心させるためのものだ。それだけに帰省する度に小父や小母には挨拶をしている。電話だけの時も有ったが千田産業ガス水道部と看板の掛かる店に極力顔を出していた。

 小父が居ることを確認すると、これから寄らせて貰う、母のために簡易水洗トイレの設置について相談したいと用件を言った。

 

 姉の運転する自家用車(くるま)で五分ぐらいのものだ。小父の店前の道路を隔てた駐車場に自家用車(くるま)を停めると、私達の姿を確認した小母が表に出て店の前から声を掛ける。

「未だ寒いべ。風が冷たいよ。早く入らえん(入りなさい)」

 そう言いながら、ニコニコして子供みたいに右手で手招きする。姉と一緒に左右を見て道路を横切った。「正月に来たねャ(来たものね)。またすぐに顔を見せて、伯母ちゃん喜んでっぺ(喜んでいるでしょう)。今お茶を淹れっからユックリしてってけろ。何時来た?」

「昨日」

 そう応えて千田産業、ガス水道部と表示されているガラス戸を引き開けた。手土産の狭山茶と菓子折の包みを小母に渡した。

「何時も頂いて。こんなごどす(し)無くていいんだよ。伯母ちゃん元気だからね。智ちゃんも心配無ャよ。うん、元気元気。二、三日前にも顔を出す(し)て、伯母ちゃんの皿貰ったばかりだ」

 右胸のポケットの上に千田産業と黄色い刺繍のある紺のつなぎ服を着た小父は長靴姿で目の前のストーブに手をかざしていた。ニコニコしながらお客様用のパイプ椅子に座れと右手で勧め、自分もパイプ椅子に座った。小母と同じように、いつ来た?と言い、昨日と応える。小母は少し離れた所にある事務机の前の椅子に座って、お構いなしに母の作った陶器の評判を語る。

 二、三年前、母は、私に断りも無く勝手に小母が棚に飾ってある陶器の作品を持ち出すと言った。家屋の建設や値の張る工事等の成約が有ると、小母はお客様への贈答品にしていると言う。母のその語り口は小母を批難した言い方では無かった。黙認している所を見ると、私の知らないところで母と小母の間に信頼関係が出来ているのだろう。小母が家族以上に母と兄の近況を伝えて寄越す電話の根底にその事があるのかも知れない。離れて生活している私には分からない母と小母の間だ。

 小母は私に取っては母と智兄を直に見守ってくれてる一人になっている。長い間持病に躁鬱病を持つ小母だ。今が躁の状態なのだろうかと思う。

 

 小母の話が一段落すると、座ったまま改めて小父に挨拶した。白髪交じりの大人しい小父は六十の年齢(とし)を超えている。私より五、六つ年上のハズだ。

「電話で聞いだがら、簡易水洗トイレのパンフレットを用意す(し)た。何処さ付ける」。

「二階に上がる階段があるっしょ。あの下。壁を壊して外に出すように造作して、そこにと思っているんだけど」

「前にお風呂場を作った並びだな?。その辺りだべ。あそこなら水も来てるな。すっ(る)と、(便槽になる)穴を掘るのと造作、壁の養生だな。トイレの陶器類は大きさも種類も決まっているがらカタログから値引きしても大体決まり切った値だ。だけど工事費は現場を見て見ないとなんとも言えねャ」

「後で現場を見てからで()い。工事費、水洗トイレ等の費用、それを見積もって俺の方に連絡して欲しい。ファックス番号は俺ん(とこ)の電話番号と同じ。郵便でも良い。総経費は百万円くらいと思ってで(いて)、俺の方で負担する」

「伯母ちゃんは、了解す(し)たの?」。

「うん、お袋もこのごどを知っている。バリアフリー棒を付けるとか、トイレの中もお袋の使いやすいように考慮して欲しい」

「分がった。簡易水洗トイレにも種類とか陶器の色とか有る。どれにする。値段は特別仕様でなければ変わんねャ」

「私が見っペ」

 姉が横から言い、予め小父が開いていたカタログ雑誌のページを見始めた。小母が一段落付いたとばかりに自分が淹れたお茶を冷めないうちに飲んでくれと勧め、田舎で起こった近況を話そうとする。それを遮るように小父が立って、実物のサンプルを見た方が良いだろうと言った。事務室から続く隣の部屋に案内された。商品が並べられて有る。

 表通りから見て部屋の一番奥に、あたかも一軒の家屋にみられるようなシステムキッチンが造作されていた。その手前の左側の壁際に沿って幾つかの流し台が並び、右側の壁に沿って水洗トイレの便器が並ぶ。部屋の真ん中には人が歩く空間を残して調理台やガステーブルの製品が幾つも並んでいた。小父の説明を聞きながら店内を一通り見て廻り、簡易水洗トイレの製品が並ぶ前に立った。右側の大きな硝子扉から表を通り過ぎる車が見えた。姉が薄いピンク色の便器を選択した。水を溜めておくタンクも同色だ。私は頷き同意した。

 事務室に戻ると、見積書を私の所沢の家に送るよう改めて小父に念押しした。話したがる小母の話を少し聞いて、店を後にしたときは三時半を回っていた。

 

「大体、取りあえずの用事は済んだね。後はまた頼むよ」

「母ちゃんの気が変わんなきゃ良いけどね。トイレの方は心配ねャけど、ヘルパーさんを(家に)入れるのは、すんなりいくかどうか」

「心配してもしょうが無いよ。ただ、今までとは母ちゃんも違うような気がする」

 前を向いたまま運転しながら話す姉の横顔を見ると、白髪も皺も増えたなと思う。

「家に着いたら少し休んで、帰る。一関まで頼むよ」

「うん。バスはないもの。今は土日は一関行きは二本しか無ャ。東京行きの新幹線に夕方の五時、六時にタイミング良ぐ繋がるバスは無ャもの。ホント、自家用車(くるま)の無ャ人はいざとなったときに一関に出るのも困ったもんだよ。タクシー代が馬鹿に出来無ャし」

 年寄りの運転は危ない、免許証の更新のあり方も考え直されなければならない。そんな社会問題を頭に思い浮かべながら、自家用車(くるま)が無いと田舎では動けない。それが現実だと改めて思う。運転する姉も六十六(歳)だ。