用件が一段落すると、彼女の方から田舎に残っている同級生の話になった。時間が有ったら誰々に顔を見せた方が良い、喜ぶよと言われたけどその時間はなさそうだ。母の説得に時間を要するかも知れない。そう思いながら居宅介護支援事業所を後にした。
来る途中には気付かなかったけど、帰り道の坂を下りながら此処にはかつて写真館があったはずなのにと町並の移り変わりを感じた。
家に戻ると母が堀炬燵に入っていて、その後ろの流し台に姉が立って居た。私の帰宅に気付いた姉は、昼食に暖かいうどんを用意している、相談は如何だったと手を休めずに聞いた。
「担当のケアマネが中学高校の時の同級生だったよ。良く母ちゃんと兄ちゃんの生活状況を知っていて、週に二、三回、生活介護、生活支援で食事作りと洗濯を支援して貰えるよう頼んだ。対象者だと了解してくれた」
姉の質問に応えた私は母に向かって言った。
「お袋。今、保健センターに行ってきた。お袋と智兄のためにどんな介護支援が使えるか、どんな生活支援が得られるか相談して来た。夕食作りも洗濯も支援してくれるって。そういう制度が有るって保健センターの担当者が言っていた。
昨夜ここで言ったように、まずはヘルパーさんに週に何回か家に入って貰おう。母ちゃんも兄貴も一緒に生活してて良い。その上でヘルパーさんに助けて貰おう」
母は私の顔を見た。その目は、また余計な事をしたと批難しているようでも有り、私の次の言葉を待つようでもあった。
「お袋も兄ちゃんも此処で少しでも長く生活出来るように支援は必要だべ。そっからまず始めっぺ(始めましょう)」
母は今まで通り二人が一緒に生活出来るならばと思ったのかも知れない。反対する言葉は無かった。
「ケアマネは介護計画、支援プランを作る担当者だ。俺の中学高校の時の同級生だった。
佐々木さんというケアマネが明日にでも電話してから来る。俺からは夕食作り、洗濯の支援に入って呉れるよう話したけど、母ちゃんからちゃんとどんな支援をして貰いたいのか話して見らいん(見てくれ)。
支援プランが出来ると、実際にサービスに入るヘルパーの所属事業所と契約を交わすようになる。母ちゃんの分も兄ちゃんの分も経費は一割負担だ。一回一時間程度のサービスで三百円から四百円の自己負担だ。週に二、三回サービスを受けるとして、一ヶ月五千円ぐらいになる」
母は首を縦にした。初めてのことだった。話す私の方が意外に思った。それだけ母の気力、体力が衰えている証でも有った。
「智は生きていがにゃ何ねャ」
母は自分に言い聞かせるように呟いた。順番から言ったら母ちゃんの方が兄貴より先に死ぬ。母ちゃんが亡くなっても智兄は生きていがにゃ何ねャ。昨夜の私の言葉を反すうしているような母の姿だ。
母と私とのやりとりを背中で聞いていた姉が振り返った。
「うどんが出来たよ。話すっこ片付いたベが?」
私は殊更に声を大きくした。
「明日、ケアマネの佐々木さんが来る前に電話を寄越す。午前十時頃になると言っていた」
そう言って母の気が変わらないことを祈った。
「姉ちゃんも今日は泊って、明日は同席して一緒に母ちゃんと佐々木さんと話しをしてけろ(くれ)。結果は俺の方に連絡してけろ」
意外なほどに当面の対応が決まると、ほっとした。同時に時間が有ったら同級生の誰かに顔を見せた方が良い。喜ぶよと言った佐々木さんの言葉を思い出した。高校時代の同級生の小野寺君に電話を入れてみる気になった。
夕方四時頃に姉に自家用車で送ってもらって一関で五時台の新幹線に乗る。七時台に大宮駅に着くとして夜の八時。遅くとも九時前には小手指の家に着くだろう。うどんを口にしながらそう計算した。四時までにはまだ三時間以上もある。
「おうおう、久しぶりだねャ。何年ぶりかな。今どっから電話してんの。実家?何時来た?」
電話口に出た勝美君に昨日、今日の予定できた。今日の夕方には帰ると言った。
「相変わらず忙しいね。まだ現役だもんな。なんの用事があって来た?」
母も年齢をとった、介護の手が必要になったと応える。
「俺の家もそうだ。親父はまだ元気だども、ばあ様が寝込んでしまって困って(い)る。女房が大変なのよ。牛の世話にばあ様の世話。食事も二通り準備しなきゃなんねャ(しなければならない)。それに掃除、洗濯。女房にますます頭が上がんねャ」
電話の向こうは小さな笑い声を聞かせた。
「今日、夕方に帰んの?。まだ時間があっぺす、顔を見でャ(見たい)なァ。お昼は食べだの?。朝がら牛達の乳ば搾って餌ば入れて、俺達も今お昼食べでだどごだ。少す時間があっから町さ行くべ。会えっぺが。何、仁志君の家まで俺の車で十分が十五分のもんだよ」
私は俺も会えたら嬉しいと告げた。彼が私の生家の前の道路にタウンエースを停めたのはその二十分後だ。
「元気だったが。変わんねャな。頭の毛だけまた薄くなったべが」
玄関口に回らずに通りに面した表のガラス戸口から入ってきて、私を見た彼の第一声だ。
「久しぶり。年に何度か生家には帰ってきているんだけど、すっかりご無沙汰して。誰にも声を掛けずに行き来しているもんだから会うのは十五年ぶりになるかな。男の四十二(歳)の厄払い兼ねて、町の公民館に皆が集まった時以来だかん(ら)ね」
「ンだべ。あん時は、仁志君は係長だったべ。今は何だ。課長か部長になったべが?」
土間に立ったままの彼に私は苦笑いして座布団を差し出す。堀炬燵に入れと促した。母に黒木の小野寺勝美君、同級生だと説明する。
「黒木?、俊造さんのとこの息子さんが?、今は牛飼ってんべ」
「ンだ。ンだ。その節、俺家の親父もお世話になりゃす(し)た。お陰様で今は牛の世話でがす」
母の言っていることは生前の父に窯出しした木炭を買い取って貰う炭焼き子の俊造さんの事だ。
「大したもんだ。今は牛を一杯飼ってんべ。立派な息子を持って俊造さんも幸せだべ。元気でやってっぺが?(やっているか?)」
「はい。親父は今も元気でがす。だども、お袋が寝込んじまって手が掛かってんのしャ。まあ年齢が年齢だがら仕方無ャ。年寄り抱えてんのは俺達だけでャ無ャもんね。あっちもこっちも年寄りが居(る)んべ。こっつ(こちら)の婆さんはお元気でなによりでがす。仁志君が東京がら来て顔を見せんのが楽しみでしょ」
母は笑みを見せながらじっと勝美君の方を見る。その横顔は、はい、そうですと言っているようでもある。
「介護の方が。施設長って、ズーットやってんの?」
私の名刺を手にして顔を上げる。
「いや、現場の施設管理者ということになる。公務員は紙一つで動かされるから二、三年したらまた何処か別な所に異動だろう。定年が近いから後一回、人事異動が有るかないかだね。良い経験をさせて貰っているけどね」
「いや、仁志君にピッタリの仕事じゃねャが。福祉事業だす高齢化社会だァ。これからますます必要だもんな」
「午前中、母と兄の介護問題で相談に行ってきた。施設入所の問題じゃないけど、生活支援に他人の手を借りたくてね。佐々木妙子さんに会ったよ。いや、彼女がケアマネで相談員だった。彼女とあったのは高校卒業以来だから四十年ぶりだ。懐かしかったよ」
「用は足りだの?」
「ウン、取りあえずはね」
「仁志君は三十三(歳)の女の厄を払う時の会は参加す(し)ながったべ。四十二の時の男の厄を払う会の時に佐々木さんに会ってい無ャべが。あっ、そうが、彼女は用事があってあん時、参加でぎねャがったものね。そうが、四十年ぶりが。懐かすがんべ。少すも変わってながったべ。高校時代のぺちゃんこ顔のままだ。若々すくて年齢とって無ャもの」
「そうだね。彼女だとすぐ分がった」
そこから勝美君は一通り田舎に残っている中学生時代の同級生の近況を語り、俺達の還暦祝いをしよう、その準備の名簿作りに協力して欲しいと言う。
「何人がの田舎に残った者同士で集まり名簿作りを始めで(い)る。参加する、す(し)ないの連絡をとん(とる)のに十五年前の男の厄払いの時に作った名簿一覧の修正が必要だべ。故郷さ離れで生活する同級生の現在の住所を把握する作業が大変なのっしャ。(田舎に)残っている者で自分の出身地区の同級生だった人の家に電話す(し)て同級生の現住所の把握に努めでっぺ。
仁志君にも頼みでャのしャ(頼みたい)。上野で集まってンだペ。富美さんに聞いだのしャ。集まってる仲間ど、そっから分がる他の同級生の今住んでいる住所が分がれば教えで欲す(し)いのしャ。田舎の方で調べた情報とダブってもそれはそれで整理すっから」