居間に戻ると、母は席を温める前にすぐに隣近所に挨拶をして来いと言う。
「何時も隣近所に世話になっていん(いるの)だがら、帰ってきた時ぐらい、母がいつもお世話になっていますとお礼を述べて回れ」
良くも悪くも昔から母が自分で決めているこだわりだった。長兄以下姉弟は帰省すると決まって皆そうさせられる。十軒一括りの戦時中の隣組だ。妻が私に持たしてくれた挨拶代わりの狭山茶を配る対象の家々だった。そして、その夜や翌日には隣近所の人々が母のお茶を飲みに三々五々この家に寄る。帰省した姉弟は嫌でも都会等での自分の近況を語る事にもなる。
母の言う通りに七軒の家々を回った。引っ越したとかでまた隣組の一軒が空き家になっていた。私が高校に通っていた頃まではどの家にも子供を三、四人見ることが出来た。私や弟妹の幼馴染みが居た。しかし今では、町役場に勤める息子を持つ右隣の家の外はどの家も老人のみの世帯になっている。
生家の並びや道路を挟んで向いにあった雑貨店も燃料店も米屋も蒲団屋も店を閉じ、かつての商売を続けている家は一軒も無い。左隣の家の大工の棟梁も次姉や三女の姉の担任だったという左斜め向いに住む小学校の元先生も引退して年金生活に入っていた。蒲団屋さんも小学校の元先生も数年前に夫を亡くしている。又、右斜め向いの家には私とよく遊んだ男四人の幼馴染みがいたが彼等は私と同じように都会に出たままだ。彼等の両親が亡くなって家は数年前から誰も住む人が居ない空き家のままになっている。
蒲団屋さんも小学校の元先生も挨拶に回る私に、良く帰ってきたねとか、お母さん元気にして頑張っているよとか、姉の久美ちゃんも一関から来ては良く面倒見ているよと言うのが常だ。日頃から母や姉のお茶飲み話の相手で、私は帰省するとこの二人に何時も心から感謝の言葉を述べる。蒲団屋さんの寡婦は姉の小中学校の同級生だ。
姉と一緒に母が淹れて呉れたお茶を飲む。
「昼食はある物で良いが?」
「ああ、何でも良いよ」
「昼飯を食べだら本家さ(に)顔を出して来(来い」
母と私のやり取りに姉がすかさず言う。
「仁志は正月に来た時に顔を出しているから今回は良いベ。それより今日、仁志が来たのは母ちゃんと智の今後のことをちゃんと決める為だべ。良ぐ話す合って、母ちゃんもどうす(し)て貰った方が良えのが、智の面倒を誰が見るのが話す合わ無ャ(無い)で、まだ来て貰ったのが無駄になるべ、本家の方は今度は行かなくても良いべ」
「余計なごどす(し)てお前が仁志を呼んだんだべよ。仁志も忙しいのに呼ぶごと無ャのに、なすて(どうして)余計なごとすべ(する)」
「丁度、議会も終わったしこの四月は俺の人事異動はない。年度末で職場はバタバタしているけど土日は心配無いよ。明日の夕方には帰るけど本家に顔を出した方が良いというなら行ってくる」
二人の言葉の間に入った。母は行って来いと譲らない。私は、自家用車で片道十五分ぐらいだ、挨拶して少し話をするようになっても一時間、長くなっても一時間半も有れば行って来れるよ、自家用車を出してくれと姉に頼んだ。私は運転免許証を持っているがここ数年ペーパードライバーだ。以前、同僚になる管理職による自動車事故の不祥事が続いた。本庁の局長から内々に管理職の運転自粛が伝達されていた。
私は本家に電話を入れた。これから伺いたいと伝えると、私と知って驚いたようでもあるけど、小母の明るい声が帰ってきた。
「何時来たの?」
「明日の夕方には帰るけど、さっき着いたばかり」
「どうぞ。何もするごどなくて家族で今お茶にす(し)てだ。伯母ちゃん元気でしょ。何も心配すっ(る)こと無ャよ。田舎のことは田舎でヤっ(やる)から。利男も今日は休みだから話すこあっぺす(あるでしょうから)、来て下さい」
私が一時帰省した理由を分かっているような話し方だ。最後の語尾だけが私向けに田舎言葉ではない。一時半頃に姉と一緒に伺うと伝えた。母の指示を得ながら姉が準備した昼食を済ませた。
本家は、宮城県との県境の山間の七曲りという所にある。県道から外れて小さな田んぼと畑のある坂を少し上る。裏山にりんご園と杉林の続く高台に家屋が有る。十年前に建て替えたという家は大きな敷地にゆったりとしている。私が小さい頃に遊んだ記憶のある父の育った家屋敷ではない。都会の一軒家は三十坪程の土地に二階建てが当たり前だが、小母の家は平屋でも優に都会の一軒家の建坪を超えている。一五〇平米はあるだろう。庭に姉の運転してくれた自家用車を停めると、音を聞いて小母が玄関口から出てきた。
「良ぐ来たね」
笑顔だ。南側の庭先に蕗のとうの芽が一杯出ている。空気は冷たくても畑と田んぼと山並に続く空の青さと射す光が春を思わせる。空気が美味しい。
「良い環境だね、羨ましい。こういう所でスローライフをして見たいもんだ」
「田舎はいつでも待っているよ」
家の中に入ると、小母の長男の利男夫婦も待っていた。利男は町役場の事務職員であり、その妻は町が運営する特別養護老人ホームの介護職員である。嫁の方の勤務がシフト制で夫婦が揃って土日に休みになるのは一年に数回、珍しいのだと小母が私達の分のお茶を淹れながら笑みを絶やさず注釈した。
私が正月二日に年始に寄ったときは確かに嫁の由利さんの姿を見かけなかった。時候の挨拶とお互いに家族の近況を話すと、姉が見計らったように度々寄せて貰って申し訳ないと言った。それが母のことを話すキッカケだった。
「ばあちゃん(母)はもう限界なのに、なすて(どうして)あんなに頑張んだが、最近はトイレも間に合わないのっしゃ(のよ)、飯を作んのも面倒(面倒)くさぐなったと言いながら、仁志が来ると、来なくても言い何の心配も無ャって、いつも言ってる事と反対の事を言うんだもの。足引きずって辛そうにすてん(している)のに私が東京さ嘘を言ってるみでャ(みたい)で、俺も困ったもんだよ」
姉の東京さは、東久留米市に住む長兄と板橋区高島平に住む妹、千葉県船橋市に住む弟、埼玉県所沢市に住む私を指している言葉だ。母が言う姉の嘘は私から兄妹に伝わる母の近況を指している。小母が言った。
「気のす(し)っかりした伯母ちゃんだがら息子達に心配掛けめャ(まい)どして言ってんだよ。息子娘の誰がが自分がら実家に帰って来ると言えば伯母ちゃんは迎えるだども、言わない限り自分がら帰って来いと言わ無ャよ。皆が東京で生活出来てんのに田舎さ来ても仕事も無ャ、世話のかかるようになった伯母ちゃんと智さんの面倒を見でくれとは伯母ちゃんは言わ無ャ。伯父つあんが亡ぐなった後、皆子供達が成長すんのを楽すみに頑張ってきたんだもの。
自慢の息子達なんだよ。それに伯母ちゃんは嫁に来る前、若いとき東京で生活していだごどあっぺ。都会でそれなりに生活出来るようになっ(る)と田舎には戻れねェャって伯母ちゃんが何時か言ってたべ」