(サイカチ物語・後書)
この一月三日から七十(歳)の手習いによる作品を公開し、皆様にお読みいただくことによって書く自信を持たせていただいておりますが、それよりも今、七十五(歳)になる小生が皆様から生きがいを頂いていることに深く感謝申し上げます。
第一作、短編の「一人暮らしのための条件」は最高アクセス数が日に65件、
第二作、「ほっとゆだ夜話」は最高アクセス数が日に140件、
そして、この「サイカチ物語」の最高アクセス数は日に148を数えました。長編ゆえに何度か日に100を超えるアクセス数を頂いておりますが、人気が高かったのは第二章・葛西一族の滅亡でした。
伊達政宗の計略によって滅亡した葛西一族、千葉一族。小説の舞台と同じ地域に育ち本名が千葉姓にある小生ですが、感心してしまうほどに伊達政宗の人気はやっぱり凄いなと思いました。
第一章・ルーツ、及び第二章・葛西一族の滅亡を書くにあたって参考にさせていただいた書籍、文献等は次の通りです。この紙上をもって関係者の皆様にお礼を申し上げます。
また、凡そ四百年余もの間、須江山の惨劇に遭遇した武将達の鎮魂に当たってきた桑島家、桑島さん。五年前、実際に友人二人と一緒に桑島家を訪問させていただきお話をお聞かせ頂いたのですが、今は横浜に住む娘さんの所に身を寄せているとかでご連絡先も知らず、連絡も取れずに実名・桑島を出しましたこと、紙上をもってお詫びいたします。(五年前にも作品に書かせていただくかもしれないと、その時にお話しさせていただいておりますけども・・)
参考にした書籍、文献
ア、全訳吾妻鏡 貴志正造 新人物往来社
イ、人物叢書 千葉常胤 福田豊彦 吉川弘文館
ウ、豊島氏とその時代―東京の中世を考えるー峰岸純夫、小林一岳、黒田基樹 新人物往来社
エ、葛西左京太夫晴信文書 葛西氏資料、西田耕三編、耕風社(国会図書館所蔵閲覧)
オ、岩手県史第二巻、第三巻
カ、一関市藤沢町史 上。中・下巻
キ、評伝 高橋東皐 小林文夫
ク、俳聖・書聖 高橋東皐 その自然愛と人間愛 藤沢町史談会 及川成一
ケ、日本人の苗字 丹羽基二 光文社
コ、群書類従 塙保己一
サ、日本キリスト教史 五野井隆史 吉川弘文館
シ、大籠の切支丹と製鉄 一関市藤沢町文化振興協会
ス、洞窟が待っていた 仙北隠れキリシタン物語 沼倉良之
セ、仙台領の戦国誌 紫桃正隆、宝文堂。
ソ、私本 奥州葛西記 紫桃正隆
タ、伊達政宗 知られざる実像 小和田哲男 講談社
チ、葛西氏とその家臣団 西田耕三 耕風社
ツ、葛西一族 河北新報社編集局編
テ、葛西没落 佐藤正助 耕風社
ト、伊達政宗文書 仙台市博物館
ナ、浅野家文書
ニ、仙台城と仙台領の城、要害 小林清治
ヌ、大東町の城館 大東町文化財調査報告書第六集 大東町文化財調査委員会
次回作は七十二歳の時の作品、「望郷」を予定しております。約一週間お休みをいただいて七月一日から投稿させていただきます。
なお、お読み下さっている方、お気づきでしょうか。「最終章・遂志」に及川俊明が十年後を語る場面がありません。実は医者になった及川君が同僚を前に医者の道を選んだ動機等を語る、サイカチ物語姉妹編として別途「それぞれの道」という作品にしております。
青春の悲恋物語ですが、その作品の重要部分を内容とする作品を更に別途書き上げ、作品名も変えて某出版社の新人作品募集に、今、応募してございます。故に、事前公開等は応募規定違反ともなりますので「それぞれの道」のブログへの投稿は控えさせていただきます。夏にはその結果が分かります。七十五歳の新人もなく当選作には成らんでしょうから一応待たしてもらって、「望郷」の後に投稿させていただこうと思います。
なお、蛇足ながら、この小説を読むたびに自分自身が思い出すこと、二つをここに書かせていただきます。
一つは、半世紀以上も前の私の家族の事です。小学五年生だったと記憶しています。バスで隣町になる千厩に行き、そこから電車に乗り、着いた駅(何駅か記憶が曖昧)から室根山に登る、春の遠足でした。電車に乗るのも初めてでしたけども、内陸部の山里育ちでそれまで海を見たことがありません。友と広げた手持ちの弁当、おにぎりの先に、大きく青々と広がる気仙沼湾、太平洋を見て興奮を覚えました。
家に帰って父母にそのことを話し、その夏に初めて海水浴に連れて行って貰いました。行先が陸前高田市で、バスや電車に乗っての家族旅行なんて初めてのことでした。妹が四つ下、弟がまだ乳飲み子でした。高田松原の松並木と白波の打ち寄せる砂浜を今も記憶しております。
帰り路に、何がどうしたのか夫婦喧嘩勃発で、まだ炎天の照る道を父親だけが離れて先を行きます。弟を背中に負ぶって父の背中を見やる母でしたが、私は妹の手を引きながら満足を覚えていました。海に遊んだことも、お昼時に刺身の付いた食事が出来たことも小生の心を満たしていたのです。
二つは、この小説の最終章で熊谷準君が十年後に古城巡りの地を自家用車で回る場面です。実際に、小生自身が中学時代の友人とニ泊三日で巡りました。
平成二十九年六月、宮城県仙台市の秋保温泉、かんぽの宿で中学時代の同級生が集まる古希祝の会に参加しました。その後に、東日本大震災の被災地の復興状況がどのようにあるのか、見たい、目で確認したいとの思いで会に参加した友人二人を誘って、車を出して貰いました。小生自身が大震災発生の時に日本赤十字社に勤務し、陸前高田市の介護老人保健施設等の支援に入った経験から、各地の復興状況を確認したいとの思いでした。
災害発生から十日余り。東京都港区にある日本赤十字社本社を出発したのは午前九時。高速道路は利用出来ない、一般道は信号機が使えなくなっている、その中で北に向かいました。
三月もまだ二十日を過ぎたばかりで、内陸にある一関から海沿いの陸前高田市に行くときにはすっかり暗闇の中の山越えでした。午後七時に近かったと記憶しています。信号機も無く怖さを感じる中で月と星の明かりが頼りでした。そして、途中、行く進行方向を確認しようと一旦停車して見たのが高田松原まで七キロの表示板でした。
周囲に目を凝らして驚きました。側を流れる川の岸辺にゴミ、ゴミ、大木、家財道具等々、海の水が引いた後の残骸でした。七キロ先まで海水が逆流してきたのかと、現地に入った時の最初の驚きでした。
着いた陸前高田一中の災害対策本部の黒板という黒板、家族や親戚、友人等の安否を気遣う数えきれない伝言の紙の張り出しに、幾つかを読んで涙を流しました。
翌日の朝、何処の介護施設に支援に入ろうかと、まずは町を見よう、調べてみようと車を出してまた驚くばかりでした。町が無いのです。町が消えていました。残っているのは家々の礎石だけでした。半世紀も前の町どころか、まともな町の姿を今に見ることが出来ませんでした。あの思い出に残る高田松原の松並木も消えていたのです。竹やぶの竹のてっぺんに未だにビニール袋が幾つも引っかかっているのでした。あまりの光景に涙すら出ませんでした。
後になってテレビで報道された一本の松、奇跡の一本松は、寒そうにしていました。
今は「小説・大槻玄沢」の執筆に四苦八苦です。偉人を書くのは通常の小説を書くよりも四倍、五倍に労力と時間を要するのだと初めて知りました。
大槻玄沢の幼少から江戸上り、杉田玄白の所での書生生活、取り巻く前野良沢や、江戸における玄沢の父とも思える仙台藩藩士・工藤平助、友となり経済的支援をする福知山藩城主・朽木昌綱、法眼・桂川甫周、本草家・中川淳庵、杉田玄白の奥様の弟・有坂其馨、ご存知エレキテル・平賀源内等々との交流、エピソード、そして長崎遊学。玄沢が江戸に戻って新たな生活に入るまでを執筆して400字詰め原稿用紙が一千枚に達しました。
書いていて一番驚くのは玄沢が知り合った多彩な人物、人の数です。前記の人物のほかにも現代にも残る数々の言葉、字句、訳語等を作った人々に多く出会っています。金星、木星、土星等の語を残した人物が誰かご存知ですか。速力、動力、浮力、遠心力等の造語に、鎖国の言葉を作った人物が誰かご存知ですか。
前者は本木栄之進(本木蘭皐)で、後者は志筑忠雄(中野柳圃)です、長崎での玄沢は前者の所に下宿してオランダ語の文法(言葉の道)等を学び、ヘーステルの外科書の翻訳等の教えを乞い、また志筑とは僅か四カ月ほどの遊学の間に懇意に付き合い、十数年後、成長した長男、大槻元幹を志筑のもとに預けているのです。
蘭学階梯を表した玄沢は杉田玄白の影響もあって政にも関わっていきます。そして、ゆくゆく江戸城内を杖を付いて歩くことを許されるまでになるのです。小生の知らない大槻玄沢を勉強しながら小説にしております。
先日お亡くなりになられた大江健三郎氏が作家に求められるのは想像力だと語っておりましたが、偉人を書くとなると余計にその通りだなと思います。文献調査に当たり歴史的な事実、残された記録等を尊重しながら作品を書いていますが、こうだったのだろう、こう思い描いたのだろうなと無い頭で色々想像をたくましくして執筆しております。
大槻玄沢に係るこれまでの参考図書、資料等は別紙のとおりですが、次の五つをお読みいただければ凡その大槻玄沢像を知ることが出来るかと思います。
この十年、大腸がん、前立せんがんで二度の手術、昨年夏にはコロナで救急車騒ぎに入院。悩まされた後遺症。人生、何があるか分かりません。残りあと何年生きられるのかなと変なことを数える年齢になりました。興味のある方は小生よりも先に是非に大槻玄沢を読解してください。面白いこと、歴史の勉強になること間違いありません。ネットで日本の古本屋や、お近くの図書館のご利用が便利です。
一、槻弓の春 ―大槻玄沢の横顔― 大島英介 岩手日日新聞社
一、杉田玄白 人物双書 片桐一男 日本歴史学会編集 吉川弘文館
一、大槻玄沢の研究 洋学史研究会編 思文閣出版
一、瓊浦紀行 大槻玄沢著
一、蘭学階梯 大槻玄沢著
文献調査と執筆にあき暮れてもう二年。それで気付いたのですが2027年は大槻玄沢没後200年になります。夢は大きく。小説・大槻玄沢がNHKの大河ドラマになるようにと勝手な妄想を抱きながら執筆しています。
先日には玄沢と同時代を生きた狂歌師・太田南畝の没後二〇〇年を記念する「太田南畝の世界」展、たばこと塩の博物館に行ってきました。入館料が六五歳以上の高齢者とかで半額の五〇円。今時の入館料?と唖然ともしましたが、内容は大いに勉強になりました。(交通費、昼食代の方がはるかに高かったー・・。東京スカイツリーが目の前でした)
「小説・大槻玄沢」執筆―参考にした図書、書籍、文献等一覧
「医学者としての建部清庵」(山形敞一著、日本医史学雑誌第23巻第4号、日本医史学会)
「鷧斎目録」(杉田玄白全集第一巻、杉田玄白著、学蔵会編、生活者出版)
「一関市史」(一関市史編纂委員会編)
「英学と堀達之助」(堀孝彦著、雄松堂出版)
「江戸時代における改鋳の歴史とその評価」(大塚英樹、日本銀行金融研究所・金融研究
1999,9)
「江戸時代に西洋科学を志した人々」(丸山陽彦氏、第92回湘南科学史懇話会、2018年10月20日記録)
「江戸に学ぶ、からだと養生」(伊藤恭子編集、内藤記念くすり博物館)
「江戸のオランダ人―カピタンの江戸参府」(片桐一男著。中公新書)
「江戸の博物学」―島津重豪と南西諸島の本草学―(高津孝著、平凡社)
「江戸の蘭学者」海原亮著、国立歴史民俗博物館研究報告、第116集。2004年2月)
「江戸時代における改鋳の歴史とその評価」(大塚英樹、日本銀行金融研究所・金融研究
1999,9)
「江戸時代の通訳官」(片桐一男著、吉川弘文館)
「奥州奥街道中歩き旅」(インターネット、投稿者不明)
「大江戸地図帳」(人文社編)
「大槻家「家訓」(国立国会図書館デジタルコレクション、座右銘全集:先哲遺訓)
「大槻家の人々」(鵜飼幸子著、宮城の研究5、近世編Ⅲ収録・清文堂出版)
「大槻玄澤に関する二、三の考察」(杉本つとむ。早稲田大学図書館紀要9)
「大槻玄沢の研究」(洋学史研究会編・思文閣出版)
「大槻玄沢集Ⅰ」(洋学編、官途要録。杉本つとむ、早稲田大学出版部)
「大槻玄沢の蘭学観の特徴」(林 潔著、同志社大学学術リポジトリ)
「大槻清準「鯨史稿」と大槻玄沢の「鯨漁叢話」の関係性」(森弘子・宮崎勝則著。九州大学総合研究博物館建久報告NO10.2012年)
「和蘭医事問答」(建部清庵と杉田玄白の往復書簡、杉田勤校)
「阿蘭陀通詞稲部市五郎について(論文)」(イサベル・田中・ファンダーレン著。長崎市長崎研究所紀要「長崎学」第3号)
「オランダ通詞名村氏―常之助と五郎八を中心にー」(石原千里、日本英学史研究第21号、
日本英学史学会)
「阿蘭陀通詞の研究」(片桐一男著、吉川弘文館)
「解体新書」(東京医科歯科大学図書館所蔵)
「解体新書」(酒井シズ訳、講談社学術文庫)
「解体新書と小田野直武」(鷲尾 厚著・無明舎出版)
「解体新書と、付図を描いた小田野直武」(藤本十四秋著、川崎医療短期大学紀要29号、2009年)
「官途要録」(大槻玄沢著、国会図書館所蔵)
「救荒医」建部由正(北海道医報代1029号、小樽医師会札幌宮の沢病院・本間勉著)
「京の医史跡探訪」(杉立義一著、思文閣出版)
「葛の葉抄」(永井路子著、PHP文庫)
「瓊浦紀行」(大槻玄沢著、津本信博編著。近世紀行日記文学集成Ⅱ 早稲田大学出版部)
「GENTAKU~近代科学の扉を開いた人~」(一関市博物館。大槻玄沢生誕250年、一関市博物館開館10周年記念特別展)
「小石元俊」(山本四郎著、吉川弘文館、人物叢書)
「紅毛雑話」(森嶋中良著、解説・注 杉本つとむ。生活の古典双書6。八坂書房)
「江漢西遊日記」(司馬江漢著、芳賀徹、太田理恵子校注、平凡社)
「刻翻 先考行實」(杉本つとむ)
「私家版 馬田氏風説書」(馬田智夫著、暮しの手帖社)
「氏姓歴史人物大辞典、岩手県編」(角川書店編)
「氏姓歴史人物大辞典、宮城県編」(角川書店編)
「実用オランダ語入門」(戸部実之著、泰流社発行)
「18世紀の蘭書注文とその流布」(平成7~9年度科学研究費補助金対象、研究成果報告書。研究代表者、永積洋子(城西大学経済学部教授))
「島津重豪」(芳 即正著、人物叢書。吉川弘文館)
「小説、平賀源内」(飯島耕一著、砂子屋書房出版)
「芝蘭堂のオランダ正月」(レイニーH、ヘスリンク著。矢橋篤訳)
「杉田玄白」(片桐一男著、吉川弘文館)
「杉田玄白140年忌記念特集号」(日本医史学雑誌第8巻第3・4号、日本医史学会)
「清庵と大槻家の人々」(千葉瑞夫編集、岩手日報社)
「関藩列臣録」(関元竜 原著。西田耕三編、耕風社出版)
「仙台藩医官大槻玄沢」(吉田正著、宮城の研究5、近世編Ⅲ収録・清文堂出版)
「仙台藩儒学者芦東山の生涯と関係資料の伝来・構成」(大藤修著、芦東山記念館編)
「仙台藩と飢饉」(仙台・江戸学叢書16.菊地勇夫著)
「仙台藩における蘭学の発足と大槻玄沢・平泉、堀田正敦」(王一兵著、国際文化研究紙収録)
「仙台藩のお家騒動」―四代藩主綱村の伊達騒動―、仙台・江戸学叢書19.平川新著)
「大名と庶民の街道物語」(新人物往来社編)
「只野真葛」(関 民子編、人物叢書。吉川弘文館)
「伊達政宗と慶長遣欧使節」(佐々木徹著、大崎八幡宮、仙台・江戸学実行委員会)
「通詞戸「対訳」辞書―彫り達之助をめぐって」(日本通訳翻訳学会・第十回年次大会基調講演。堀孝彦)
「槻弓の春」(大島英介著、岩手日日新聞社)
「天明の江戸うちこわし」(片倉比佐子著、新日本出版社)
「東海道五十三次」浮世絵全図(歌川広重)
「道中記の旅」(原田伴彦著、芸艸堂)
「長崎絵図帖の世界」(大井昇著、長崎文献社)
「長崎諏訪神社祭礼図屏風に描かれた祭礼と都市長崎」(長崎市長崎学研究所、赤瀬浩著。長崎・平戸 日本の古地図14に掲載)
「長崎唐人屋敷」(山本紀綱著、謙光社)
「長崎出島、オランダ異国事情」(西和夫著、角川書店)
「長崎・平戸 日本の古地図14」(講談社)
「長崎 歴史の旅」(外山幹夫著、朝日選書、朝日新聞社)
「日光道中栗橋宿と栗橋関所」(杉山正司著、久喜市教育委員会編、久喜市の歴史と文化財
1収録)
「年番通詞と江戸番通詞の研究」(片桐一男著。日本学士院紀要第28巻第3号)
「磐水存響・乾坤」(大槻茂雄編集・思文閣出版。蘭学階梯、蔫録、夢遊金華山之記、医家戒語等収録あり)
「磐水先生年譜」(大槻如電稿)
「尾藤二州伝」(白木 豊著、尾藤二州伝頒布会)
「平賀源内「非常の人」の生涯」(新戸雅章著、平凡社)
「復元、江戸時代の長崎」(布袋厚編著、
「武江年表1」(斎藤月岑著、金子光晴校訂、平凡社)
「武江年表2」(斎藤月岑著、金子光晴校訂、平凡社)
「復刻、江戸時代の長崎」(布袋 厚著、長崎文献社)
「堀内文書の研究」(小川 三、大鳥蘭三郎、堀内純一、大塚恭男、酒井シヅ。日本医史学雑誌第18巻第1号、日本医史学会)
「前野良沢―生涯一日のごとくー」(鳥井裕美子著、思文閣出版)
「前野蘭化」Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ。岩崎克己著、片桐一男解説。(平凡社)
「丸める、煎じる。―むかしの製薬道具―」(稲垣裕美著、内藤記念くすり博物館)
「みちのく蘭学事始」(七宮涬三著、新人物往来社)
「宮城の研究」第5巻、近世編Ⅲ。(編者、渡辺信夫、清文堂出版)
「民間備荒録(陸中)建部清庵」(日本農書全集1983年2月、第十八巻。翻刻、現代語訳、解題―我孫子麟、守屋嘉美)
「むかしばなし」(只野真葛著、中山栄子校訂。平凡社)
「横綱物語」(能見正比古著)
「吉雄耕牛」(原口茂樹著、長崎文献社)
「蘭学階梯」(大槻玄沢著、埼玉医科大学図書館所蔵)
「蘭学事始」(杉田玄白著、野上豊一郎 校註。一穂社)
「蘭学、その江戸と北陸」(片桐一男著、思文閣出版)
「蘭学のころ」(緒方富雄著。解体約図等)
「蘭説弁惑」(大槻玄沢著、解説・注 杉本つとむ。生活の古典双書6。八坂書房)