(サイカチ物語・第8章・遂志・20)

 

 小友から回って碁石海岸青少年キャンプ場の駐車場に自家用車(くるま)を停めた。腕時計は午後四時二十分になる。海岸を散策する前に今日の宿を確保しようと、キャンプ場のインフォメーションセンターで近くの旅館、民宿でお奨めの所は何処かと尋ねた。

 すぐ傍の海楽荘という民宿がお奨めだという。キャンプ場近くで、来る坂道の右に見えた民宿だ。歩いて行く。小さな玄関とフロントだ。尋ねると、今日は満室だという。

「この近辺の民宿は土日は空くけど、平日は復興工事関係者でこの数年満室なの」。

「何処か紹介できる旅館はないでしょうか?」。

当てのない私はフロントの女性に尋ねた。

「この四月に出来たばかりの大船渡温泉があるの。そこに電話してみんべ(みましょう)」。

目の前で先方に電話を入れ、部屋を確保する約束をしてくれた。外に出ると雨がパラツキ出していた。碁石海岸沿いの散策は明日の朝にすれば良いと思いながら駐車場に戻って紹介を受けた旅館に向かった。

 

 夜、梨花さんからの電話だ。二日ぶりに聞く彼女の声だ。

「今、お家?」。

「いや、両親に我儘(わがまま)を言って高校時代に回った古城巡りをしている。今日は牡鹿半島を回って来たよ、何処も震災の爪痕がひどくて復旧工事の真っ最中だ。今は今晩の宿、大船渡碁石海岸インター近くの旅館にいる」。

窓の外には大船渡湾が広がっている。

「毎日電話を呉れる約束なのに、昨日は電話がなかったでしょ」。

軽く苦情のジャブを入れて来た。用件があるわけでは無い。会えないときのいつものラブコールの催促だ。私は素直にゴメンと謝った。愛してると言った。

 そして、十年前と大きく変ったこと、収穫は何かあったのかと聞いてきた。特に無いけど昨日、須江山に上れなかったこと、今日の変わり果てた大谷海岸のこと、そのショックが大きいよと私は見てきた状況を梨花さんに話した。彼女も驚いている。

 

 二日間の私の動向の話が終わると、彼女は、式の最後の新郎新婦からご両親への花束贈呈と感謝の言葉をカットして良いかと聞いてきた。式場側の決めているセレモニー通りでなければならないことなんてないよと前にも言った。梨花さんのご両親が早くに他界していること、育ててくれた祖父も三年前に亡くなっていることを考慮して、二人でウエデイングプランナーの説明を聞き終えた後、私は梨花さんにカットして良いと伝えていた。しかし、彼女は私の父母の事を思って心にずっと引きずっていたらしい。 一時、亡き祖父母亡き父母に感謝の手紙をと口にしたけどその是非も考えたのだろう。

 彼女の心の中でやっと踏ん切りが付いたみたいだ。進行役の及川君か京子さんに彼女の出した結論を伝えておく必要もある。

 

「明日はどうするの?」。

「碁石海岸を朝食前に歩いて見ようと思っているけど、天気が良くないし日の出は見えそうにない。雨が酷かったらすぐに一関の大原城址、唐梅館に向かう。今回はそこまでだね。むしろ時間が取れそうなら資料収集のため一関から仙台、仙台市博物館に足を伸ばしてみる」。

岩谷堂も花泉も内陸だから海岸沿いのような震災被害は無いだろう。それに十年前も比較的綺麗に城址を保存していた市町村だ。今も変わりないと思う。