(サイカチ物語・第8章・遂志・10)

 

「お父さん、お母さん、久しぶりだから病院も高校跡も見て帰りたい」。

「うん、いいよ。お墓参りも、ご報告も済んだんだから」。

「結婚の報告もできたしね」。

 信号の設置されているT字路で別れ、父と母を見送った。高校に通っていた頃は信号がなかった。危ない場所だったなと、今は懐かしい。

 右に郵便局やJAのスーパー、左に特別養護老人ホーム等を見ながら三百メートル程歩いた。かつて通った高校の上り口の交差路に立った。校舎の有った愛宕山を見上げた。

 左側にあったはずの駐輪場は跡形もない。町役場も無くなっている。それらの場所には新しく介護老人保健施設が建てられてある。その先にある病院は一関市国民健康保険藤沢病院と新しい看板だ。町役場の機能は一関市藤沢支所の名称の下に右側に見える保健センターの建物の中に縮小統合されたらしい。案内の看板がそれを表示している。

 

 後で病院に寄ってみよう。そう思いながら今は舗装されている高校跡地への坂を上り始めた。すぐ左側に大きな駐車場が出来ている。介護老人保健施設に用のあるご家族や職員用なのだろうか。まだスペースに余裕があるなと思う。そこから進んで右側には院外処方箋に応じる薬局や鉄工所など、高校時代に無かった店や作業所が並んでいる。

 更に上ると、左側になる溜め池があった辺りには数個の家屋が建ち並んでいた。また少し上って右手にあった高校の運動場はビニールハウスが並ぶ菜園場に変っている。そこから校舎の有った場所に辿る坂道は今も舗装されていないままだ。なぜだろう。先は雑木と杉の伸び放題の枝に昼間なのに薄暗い。

 

 でこぼこ道を上ると、周りにあった桜の木は何故か切り倒されて一本も無い。そうか、経済活動の場は今は運動場のあったところまでなのかと、一人想像した。

 辿り着いた平地に、こんなに狭い土地だったかなと思いながら校舎のあった辺りを散策した。心地良い散策にはほど遠い。膝よりも丈のある雑草と雑木が茂り、無かった竹林がそこここに迫って鬱蒼とした山に変貌している。授業をサボり抜け出して講堂から上履きのまま頂上に抜けた道は最早雑木と雑草に跡形すら無い。故郷の山や川は懐かしいとよく言われるが、今、暫し佇んで私は悲しい。

 

 上った坂を下る道々、正面に館山が見える。町並みの屋根々々の後ろに立つ館山は、杉木立も段々畑も緑濃い。館山の右裾には室根山が緑濃く彼方に見える。左側に見えるはずのお寺の屋根は、近くに繁る松と雑木林の枝に隠れて見えない。その遙か彼方に北上山脈が薄く青白く連なっている。眼下に見える街の屋根々々には白く四角いコンクリート造りが混じり、過疎化の進んだ町でも十年の間の街の移り変わりが知れる。

 

 下って、かつての町役場跡に出来ている介護老人保健施設の前を右に曲がると、一段低くなった左下の地に消防署が出来ていた。一関南消防署藤沢分室の看板が新しい。

 また病院の入り口前にあった築山は小さくなって「忘己利他」の碑が無い。救急専用入口が設けられ、車両の出入りの便宜を図るために築山が縮小されたらしい。病院の玄関口は変っていないけど、院内に入ってすぐ右側にあったカンファレンス室兼待合室は救急専用入口と救急処置室に変っていた。住民の高齢化と共に救急対応のニーズに応じなければならない施設改修だったのだろう。

 用もなく何かを探るように院内を歩き回ったら誤解もされるだろう。商業主義を排除して奉仕の精神と思いやりを説いた「忘己利他」の碑はどうなったのか、それだけが気になった。受付で聞いて帰ることにした。

 碑は、病院の西側に回って館山が正面に見える松の木の側に移されて今もあった。