(サイカチ物語・第8章・遂志・8)

 

 地下鉄有楽町線で池袋に回って所沢の梨花さんのマンションに帰ってきた時には、時計は午後九時を回っていた。梨花さんの奨めるままに先にお風呂を貰った。風呂を上がると食卓テーブルの上にコップと冷えた缶ビール、茄子とキュウリと白菜の漬け物、枝豆、ソーセージが用意されていた。先に飲んでいてと言ったけど、梨花さんがお風呂から上がるのを待った。

 梨花さんって太っ腹で大胆で細かなことは気にしない性格といつも思っていたけど、今朝の朝食の手際良い準備といい、目の前の気配りを見て彼女の違った一面を見た気がした。熊谷君と交際するようになって変わったのかなと思った。

 

 二人で乾杯すると、見て来て良かったと思わず口にした。葛西神社や葛西清重のお墓、フーテンの寅さん、荒川の土手、柴又帝釈天参道の寄ったお店、千葉市立郷土博物館の千葉常胤、東京駅と二人で見てきた処で話があちこちに飛んだけど、まだ見たことも聞いたことも無かった梨花さんの香取(かとり)神社(じんじゃ)の話になって私はまた気を引きつけられた。

 茨城県との県境に近い千葉県香取市に香取神社があると言う。その香取神社に残された古文書(こもんじょ)に社殿造営に関する記録が残されていて葛西清重と千葉介常胤が交代で社殿造営の指揮を執ったのだという。

 香取神社の本殿は平安時代には伊勢神宮と同様に二十年ごとに建て替えられていた。三重県の伊勢神宮と茨城県の鹿島(かしま)神宮(じんぐう)、千葉県の香取神宮が日本古来の三大神宮だと初めて知った。また鹿島神宮と香取神宮とその中間にある息栖(いきす)神社(じんじゃ)の三社とで昔から東国三社と呼ばれていて開運のパワースポットなのだという。三社がある所はNHKの小さな旅で何時か見たことのあるアヤメで有名な潮来の水郷近くだと聞いて、行ってみたいと思った。

 香取市には江戸時代に十七年間も全国を測量して回り、現代と変わらない日本地図を完成させた伊能(いのう)(ただ)(たか)の記念館もあるという。隣接する佐原市(さわらし)の旧商家や神社仏閣も含めて香取神社とその周辺を熊谷君と一緒に観て回ったのだと聞かされた。

 そこから旅の話になって、葛西家最後の当主、葛西晴信が前田利家公の食客のまま生涯を閉じたという金沢にも行ってみたくなった。梨花さんもまだ石川県金沢市に行ったことがないと聞いた。北陸新幹線も出来たし二人で二泊三日ぐらいで金沢の街を散策するのも良い。新婚の熊谷君のことも思ったけど、やさしい熊谷君はきっと梨花さんにOKするだろう。

「金沢に行って見ようか。葛西()()のお墓の所在が分かればお墓参りをするよね」。

「行けば、そう思うよね。だけどダメ見たい。熊谷君の調査によると葛西晴信のお墓は行方不明なんだって」。

「えっ」

 梨花さんの説明にただただ驚くだけだった。熊谷君に教えられたと語った。前田家の菩提寺である(ほう)円寺(えんじ)元和(げんな)六年、一六二〇年に今の金沢市内の兼六(けんろく)(えん)東隅(ひがしすみ)から現在地の金沢市(かなざわし)宝町(たからまち)に移転しているという。その時に盛大な法要が営まれ、前田家にまつわる人々のお墓は移設されたのだろうけど、身柄預かりだけの身にあった葛西晴信が慶長(けいちょう)二年一五九七年に亡くなって、仮に移転前の宝円寺に埋葬されていたとしても新しい寺所に移設されたとは思えないという。

 それどころか、葛西家の菩提寺だという宮城県登米市(とめし)龍源寺(りゅうげんじ)さえ葛西家代々のお墓が今は何処にあるのか分からないのだという。一五九〇年に葛西家が滅亡して龍源寺が廃寺の危機に陥った。それは伊達政宗のあの須江山の惨劇の一件と徹底した葛西隠しから想像出来ないものでもない。それまで登米市寺池の北上川沿いに有ったという龍源寺は葛西晴信が亡くなった後の慶長十一年、一六〇六年に川から離れて現在の寺池道場(どうば)の所在地に移転しているのだという。今では、龍源寺に残る過去帳から葛西晴信等の法名が知られるだけだと聞かされた。ショックだった。私は意気消沈したけど、それでもこの夏に夏休みを利用して二人で金沢に行こうと約束した。

 二人が枕を並べて寝る時には日付が変わっていた。特に予定していることも無いから朝寝しても大丈夫。午前九時頃に起きようと言って梨花さんが消灯した。