(サイカチ物語・第8章・遂志・3)
梨花さんに会ったのも三年前の正月に私の生家に泊まって呉れた時以来だから三年ぶりだった。私が仙台の看護専門学校に通っていた頃も、彼女が就職して暫くの間も、私が上京して私が行きたいところに梨花さんは良く付合ってくれたし、彼女のアパートに泊めて貰ったりもした。
明治神宮や代々木公園、青山墓地に国立の博物館、美術館、それに上野動物園、築地市場、東京スカイツリー、デズニーランド、遠出して夏には鎌倉の町を散策したり、横浜の外人墓地や中華街にも港にも行った。湘南の海で海水浴を一緒に楽しんだこともある。
また反対に、梨花さんが帰省した帰りの途中に、寄るよと連絡してきた時には仙台市内の私の病院の寮に泊めた。そこから二人で青葉城も仙台市博物館も行った。日本三景の一つ松島の島巡り遊覧船にも乗った。東日本大震災前の石巻にも塩竈神社にも行った。夏には栗駒高原にも足を伸ばして高山植物を観賞し高原の中の温泉に浸かった。秋には、こけしの町の鳴子温泉や皇室の御料温泉の一つだったという秋保温泉、広瀬川上流の作並温泉にも行った。冬には宮城蔵王でスキーも楽しんだ。
しかし、私も中堅どころとして看護師の仕事の内容も責任も重くなるにつれて、また梨花ちゃんも大学卒業後、埼玉県内の小学校の臨時教諭から正規職員として任用され勤務するようになって、この三年余は電話でお互いの近況を話すことがあっても、二人がお互いのアパートに泊まって仙台と東京を行き来することは無くなっていた。
三年前の四月に、熊谷君が後期大学院に進んだと梨花さんから電話で聞かされた。同時にその電話で初めて結婚を前提に熊谷君と交際していると知らされた。私は裏切られたような気持ちになった。でも振り返って見れば高校卒業後、私と熊谷君との交流は無い。
熊谷君と身近に話し合う側に居たのは同じ東京の大学に進んだ梨花さんだった。何時だったろう、西武新宿線の東村山駅下車の梨花ちゃんのアパートに泊めて貰った時、W大学に通う熊谷君のアパートは新宿に近い方に向かって二駅隣りの小平駅が最寄駅だと聞かされた。梨花ちゃんはその小平駅を毎日通過して五つ先の西武柳沢駅下車でM大学に通っていた。三年前に結婚を前提に交際していると聞かされたのだから、二人はもっと前から交際していたのだろう。
ボンボンバザールに集まったのは二人の結婚式の司会進行の打ち合わせが目的だった。だけど、集まった四人がそれぞれに高校生の時の事や卒業後の事を語りだすと、お店から出されたサービスのコップ一杯の水だけで一時間近く時間が経過していた。店員が予約いただいているお料理をお持ちして宜しいよろしいでしょうかと確認に来るほどだった。
梨花さんと熊谷君の結婚に一足早く生ビールで乾杯した。食事をしながら、あの十年前の夏休みに五人で実行した二泊三日のツーリング、キャンプが話題になったのはごく自然だった。私にとって忘れることのできないツーリング、キャンプだ。バイクの免許を取って僅か二か月、それで二泊三日、五〇〇キロを超えるツーリングに行ったのだから、今思っても大冒険だった。
山越えで宮城県側のキリスト教会を見に行ったことも、ようこそ宮城の明治村へと横断幕の有った寺池で尋常小学校や警察署の旧建築物を見たことも思い出される。行った佐沼城址、須江山、石巻城址も思い出にあるけど、牡鹿半島に入って、海が見えず杉木立とカーブの続く道にハラハラしながら運転したことを昨日の事のように覚えている。先頭を行く熊谷君が路肩にバイクを停めて安全運転で行こう、速度を時速四十キロから三十キロに落とすと皆に言ったときは正直、ホッとした。
それから、牡鹿半島の御番所公園から見た海、島々に感動した。おしかのキャンプ場で初めてテントに泊まるキャンプを体験した。美希さんの炊き込みご飯の味付けにも手際の良さにも感心した。
二日目は海沿いの道を避けて、コバルトラインとかいう道に変更した熊谷君の判断は正しかった。私達の運転技術では不安だと梨花さんと話し合っていたことだった。それで予定していた女川の原子力センターの見学が無くなったけど、太平洋沿いに神割崎、大谷海岸、気仙の蛇ケ崎を回って目的地、大船渡の碁石海岸青少年キャンプ村までのツーリングを十分に楽しめた。途中に見た神割崎の青い海、白い波、巌、緑濃い松はまるで絵に描いたような景色だった。大谷海岸の駅舎の中にあった小さな水族館のマンボウを前に写真を撮ったことも、その後の海水浴も良い思い出だ。
あの青少年キャンプ場の夜、梨花さん、美希さん、私の女三人を前に及川君が見せてくれたイカのさばき方の解説も覚えている。炊事場だった。包丁でイカの身に切り口を入れる。これが腑、塩辛の素、これが墨、イカ墨の素、破かないように後ろの方に包丁を入れて切り離す、透き通っているこれが軟骨、これを引っ張って取る。軟骨の身に付いている根本部分は固いので包丁で切り離す。ゲソは目の下で切り離し好みの本数に切る。目の間をぐっと押して出てきた黒いのがイカの嘴、後は胴体も食べやすいように切る。人手がないから高校生といえども息子に頼る。小さなスーパーも営む及川君のお父さんの教えだった。
三日目の朝、青少年キャンプ村で海から昇る太陽を初めて見た。海を銀色にも赤くも染める朝陽に感動した。それから、キャンプ場の北の端にあった穴通磯の前で撮った写真も気に入っている。忘れられない思い出だ。
朝飯のおかずに三枚のアジを分け合ったのも、予定時間より一時間ほど早い出発を上手くクリア出来たのも思い出だ。熊谷君が今日は約一八〇キロ、最後の日だ、油断せず安全運転で行こうと言ったのを覚えている。大船渡線を内陸部に回って大原城址、唐梅館、一関に出て東北自動車道に沿って北上する岩谷堂等の古城巡りだった。