(サイカチ物語・第8章・遂志・1)

 

               第八章 遂志

                  一

 招待状が届いて間もなく、彼から直接に電話があった。この三月に無事に大学院を卒業したと言い、この五年間ご無沙汰したけど、研究の中で源頼朝の地頭、荘園制度と奥州藤原氏後の領地支配を中心に卒論をまとめ博士号を得た、四月からは卒業した大学の職員として残り日本の中世史の研究を続けることになった、そして結婚するお相手が高校当時、よさこいソーラン部の部長としても活躍した同級生の高橋梨花さんとの事だった。

 また結婚式の司会は、今は仙台市内で看護師をしている千葉京子さんと、医師になって埼玉県大宮市にある自治医科大学付属さいたま医療センターに勤務している及川俊明君と知らされた。

 藤高新聞の将来の夢・目標欄に小学校の先生と書いた高橋梨花さんは埼玉県所沢市の小学校に勤めているという。看護師と書いた千葉さんは看護師になった。商社マンと書いた及川君は今はお医者さんだ。

 及川君は受験も卒業も間近にしたあの年の暮れに小、中、高校と一緒だった幼馴染みの同級生を若年性乳癌で失い、ショックの余りその後は不登校になり卒業式も欠席した。 

 当時星校長が、卒業まで誰一人欠けることなく自分を磨き生長して欲しい一年だと生徒達を前にして始業式の日に言ったが、校長にも私にとっても願い通りにはならなかった。

 及川君は親しかったというその女子生徒の死に遭遇して思うところがあったのだろう。一年後、岩手県の推薦を受けて自治医科大学に進んだ。浪人したけど自らの強い意志と親しかった熊谷準君や周囲の支えを糧に立ち直ったこと、医師になったことに私は心の中で拍手を送っている。

 

 六月二十四日土曜日、大安の日に予定されている熊谷準君、高橋梨花さんの華燭の典の席で教諭生活最後の年の新聞部所属の三人に久しぶりに会うことになる。

 熊谷君には、あの東日本大震災のあった直後の三月末に、ボランテイアで陸前高田市に行ってきました、これから東京に戻りますと私の所に顔を見せに来た時以来だから六年ぶりになる。生家に戻る度に私と妻に顔を見せていた千葉さんには三年ぶりだけど、及川君には自治医科大学進学以来だから実に九年ぶりになる。

 私にとって、一年に一度の年賀状や暑中見舞いでも長年の教諭生活で担任した生徒達から寄せられる近況報告が、今は楽しみの一つである。誰、彼、連絡があると、該当する卒業アルバムを引っ張り出しては教え子を確認する。そして、人を育成することを本文とする教諭の、教諭冥利に尽きることを実感する。