(サイカチ物語・第7章・旅立ち・16)

                六

 通夜の席は俺達が月の始めに前沢牛を御馳走になった座敷だった。玄関口の左横から庭に回って、廊下から座敷に上がるように設定されていた。床の間が白い布で覆われその前に美希さんの白い棺が安置されている。

 棺の奥にも前にも両脇にも仏壇や仏具が無い。棺の左端と右端に白い胡蝶蘭と花瓶に生けられた花が飾られてある。棺の前に座布団が一つ参列者用に置かれていた。その傍で、白い菊の切り花を参列者ひとり一人に手渡す係の小母さんが居た。

 参列者は棺の前に置かれた白布で覆われたテーブルに白菊を捧げ、手を合せてお祈りして帰りの途につく。一緒に行った俺達三人もひとり一人献花して美希さんの棺に手を合せ、退席した。及川が美希のご両親と親族だろう、その後ろの方に座っているのが分ったけど、俺達三人は声を掛ける機会も無かった。

 庭先に停めていたバイクの前で防寒着を着ながらだった。梨花が驚きを口にした。

「お線香の無い通夜って初めて。どうして?」。

 俺もそうだ。京子が言った。

「私も初めてだけど、美希ちゃん家、クリスチャンなのかもね」。

 そういうことかと俺は思った。頭に白い布を被った三人のご婦人が玄関口に向かって通り過ぎた。

 帰りのバイクは冬の寒気に寒かった。明日の朝の気温は天気予報の通り間違い無く零下になるだろう。風を切る体感温度から余計にそう思う。

 京子の家の前まで約十五分だ。三人で明日十時半に此処に集まろう。午前十一時からの告別式に間に合うねと確認した。

 

 告別式の会場は葬儀会館やお寺ではない。大籠キリシタン殉教公園と道路を挟んで斜め向かいにある藤沢町郷土文化保存伝習館だ。町の隠れキリシタンの歴史を今に伝える場所だけど大籠地区の住民の冠婚葬祭の場所としても良く使われる。

 昨夜の通夜の時と同じようにここでも仏壇や仏具は見られない。白い棺が安置され、それを取り囲むように花籠に盛られた花、花瓶に生けられた花、胡蝶蘭等が幾つも並んでいた。その手前右側に白菊の切り花がお盆の上に沢山盛られてある。参列者は一本一本白菊を手にして棺の前の白布に覆われたテーブルの上に献花する。

 

 喪服姿の美希さんのご両親と並んで、あるいはその後ろに白い布を被って居るご婦人の方が見られる。京子の言うとおりクリスチャンのご親族なのだろうか。学生服姿の及川が後ろの方に立っている。側に見覚えのある妹の明子さんだ。その傍にいるのは確か及川のご両親だと思う。そこが親族席なのか一般参列者席なのか俺には分からない。

 参列者の列は伝習館から表の広場まで続いている。俺達生徒仲間や学校の先生達を含め葬儀の参列者は三百人を超えているだろう。母に持たされた数珠を手に美希さんの棺に安らかに眠るよう心からお祈りした。お坊さんも居ない。読経も聞こえない中での祈りは初めての経験だ。静音の中で不思議な気がする。

 

 葬儀の進行役が誰なのか分らない。司会進行役が居ないようにも見える。弔辞を用意してきた梨花が戸惑い、付き添う京子も俺もどうしたら良いのかと思った。参列者の献花が続く中、俺が聞いてくるよと二人に言った。及川の背後に近づき席を外してもらって事情を話すと、頷き、美希さんのお父さんから案内するようにするとのことだった。及川の目が窪んでいた。頰がこけ、青白かった。

 それからしばらくして棺の前での一般参列者の献花と祈りが途切れた。美希さんのお父さん自らが紹介した。

「故人が親しくしていただいていた、お友達からお別れの言葉をいただきます」。

 梨花が棺の前に立った。用意した弔辞を読み上げながら時折声を詰まらせた。小学校から高校までずっと一緒だったと言い、合唱部で良く歌ったこと、よさこいソーランを一緒に踊ったこと、今年の夏にキャンプに行ったこと、文化祭でのことなど学園生活の中での思い出を語ると参列者の間にすすり泣く声が聞こえた。享年十七、早すぎる死だ。

 梨花が最後に、安らかな眠りにつくことを祈る言葉を美希さんに呼びかけた時には、俺も京子も涙を抑えられなかった。梨花は、代表、藤沢高校三年、普通科、高橋梨花と締めながら泣いていた。岩城先生と参加したクラス仲間二十二人の涙が一緒に流れた。

 その後に、参列者を前に立った美希さんのお父さんの謝辞の中の言葉に俺は驚いた。美希さんは亡くなる二日前に病院の病室でカトリックの洗礼を受けていた。あの学校新聞のゲラ刷り原稿を確認して及川と俺と京子が学校の帰りに見舞いに寄った日だ。その帰った後だった。美希さんは、凡そ一年、教会のミサのある日にはミサに参加し教会の学びのある日にはその講座に参加していたのだと言う。

 神父さんのご支援とご理解を賜わりクリスマスの日の降誕祭の後に、故人の葬儀が教会で営まれると伝えられた。

そして、今日のこの後、美希さんの棺は一旦自宅に帰るのだと言う。参会が告げられた時には、告別式は終了予定時刻の正午をとうに過ぎていた。陽が射す青空なのに、時折、かかる薄曇から雪が舞っていた。粉雪は俺の手のひらですぐに溶けた。