(サイカチ物語・第7章・旅立ち・3)

                 二

 今日(月曜日)は美希の姿も及川の姿も学校で見ることが出来なかった。家に帰った午後五時ちょっと過ぎに及川からメールが来た。今、町民病院にいる。美希が入院した。会いたい。会えるか?。俺は、すぐ行く。五時二十分頃には病院に行けると思う。どこで会う。待合室?病室?と返信した。すぐに待合室と応答が来た。

 着替えることもせず普段着のままにマフラーとコートを持って階下に下りた。キッチンに居た母と由美に向かって伝えた。

「ちょっと町民病院に行ってくる。及川から連絡が来た」。

 外は冬の寒さだ。周りは暗い。家々から漏れる明かりと街灯が舗装された道を寒々と照らしていた。病院まで歩いても十分足らずの道だけど、セローに乗って駆けつけた。病院の駐輪場はその建物から少し離れてる。この時間帯ならオートバイ一台ぐらい病院の玄関口に停めても構わないだろう、勝手に判断して駐輪した。

 闇の中に漏れてくる玄関口の灯りはいやに明るい。玄関口をくぐると、及川がこっちと言って右横の待合室から顔を出した。この時期、カンファレンス室が患者や見舞客等が暖を取るための絶対的な臨時の待合室だ。

 

 待合室には及川だけだった。入口ドア近くの長椅子に二人並んで座った。外窓側の右隅でまだダルマストーブが燃やされていた。及川の頬は照明のせいだけでは無い、幾分、痩せて見えた。

「まだ二階の病室に美希のご両親が居る。治療を受けるよう昨日も今朝も美希を説得した。やっと今日の午後二時に入院した。美希は癌のステージⅣがどのくらいの病気なのか何を意味するのかネットで検索していた。それで、治療しても無意味、倦怠感や気持ちが悪くなる思いをしたくない、少しでも長く自分の今の体形を維持したい、乳房も髪の毛も失いたくない、今のままの方が良い、そう主張した」。

 途切れ途切れにそこまで言うと及川は下を向いた。両肩を振るわして嗚咽を我慢している。及川に掛ける言葉も無い。彼の肩を左腕で抱いた。俺も唇を噛んだ。

 

 及川は自分だけで受け止めきれず、今の状況を誰かに吐き出したかった。それで俺に連絡したのだった。少しは気持ちが落ち着いたのだろう、美希の食事が終わったら帰るつもりだと言った。

「美希の両親と一緒に帰ったら、美希はもっと寂しくなるだろう。時間を置いてご両親の帰った後に病院を出る」。

 及川らしい配慮だ。俺はこれから病室に見舞いに行っても、美希の顔をまともに見られそうに無い。また俺を見て、美希にも美希のご両親にも新たな悲しみを呼び込みそうな気がする。病室に行くことを止めた。

「バイク、運転できるか?」。

 街灯のある町中から及川の家までは山間の夜の道だ。ヘッドライトが映し出す視野は狭いし、対向車のヘッドライトに目がくらんだりして思わぬ事故に遭遇する。運転に慣れている及川だけど尋常では無い今の彼の気持ちの揺れを心配した。それには応えず、彼は言った。

「明日、美希のお父さんが学校に休学届けを出しに行く」。

 京子や梨花が朝から美希はどうしたって、また及川に聞くだろう。二人だけではない。日をおかず生徒仲間全員が美希の病状を知る所になるし、皆が驚くだろう。

 

 家に戻ると、何時も通りに七時に夕食だ。食事を終えて篤も由美もまだ食卓に居る前で俺は父と母に少し前までの及川との待合室での事を話した。父はインターネットの便利さと残酷さを口にした。

「ネットは病気の内容を教えて、早期発見早期治療に繋げるために定期検診や早期検査を推奨する。それは良いことだ。しかし、同時に自分の病気を知る告知制度の問題の是非以前に、患者は病気の進行度合いを知り、想像し、病気と闘う意欲を阻害される。マイナス効果にもなる。

 美希さんの場合、その典型的な例だ、恐らく骨転移に伴う腰痛、背部の痛み、肺転移による血痰、呼吸困難、肝転移による食欲不振、倦怠感が増す事など、これから先に起こりうる症状をネットで知ったのだろう。治療を受けても症状の悪化が止められない、健康を回復できないなら治療は無意味だ。ヤル必要が無いと治療意欲が減退したのだろう。

 今でも抗がん剤の点滴投与の副作用で倦怠感があるだろうし、食欲が無いハズだ。余計に自暴自棄の言葉が出てくる。及川君が佐藤さんのご両親と一緒に美希さんを説得したのは立派なもんだよ」。

「女性ですもの乳房を摘出するとか、髪が抜けるという事実はショックですよ。そこに今度は咳が止まらなかったり呼吸困難の症状が出たり、痛みや血痰が見られたら健康な他人(ひと)には分らない痛みですよね」。

 母が感情からの面を言った。由美が泣き出した。篤は真剣な顔をして聞いている。父は唇をかんだ、そして、言った。

「ネットには、乳がんのステージⅣは生存率が低い、治療目的が苦痛を和らげる事にある、と書かれている。残酷だ」。