(サイカチ物語・第7章・旅立ち・2)
及川は美希に癌の転移を聞かされたのが金曜日の学校の帰りだという。美希は水、木、金と学校を休んだ。京子や梨花が、三日続きの美希の休みを心配して金曜日の授業の合間に及川に、美希の事、何か知ってる?と聞いている光景を俺は見ていた。及川は首を横に振っていた。
父と俺の前で言った。
「水曜日の朝、病院に行くので学校を休むと連絡がありました。だけど、木、金と、何時もの通学の待ち合わせ場所に美希さんが居ませんでした。電話もメールも無かったので心配になって金曜日の学校の帰りに彼女ん家に寄りました。
ご両親を前に彼女の口から直接癌の転移を聞かされました。転移の箇所は胸壁、胸椎、肺で、CTでも腫瘍マーカーでも確認されたそうです。
ステージⅣの段階で肝臓への転移も疑われていると言ってます。もう治療はしない。抗がん剤の点滴投与を受けに毎週病院に行く必要も無いと言っています。治療方法も病院も変えたら美希さんは助かるのでしょうか、助けたい」。
癌の再発を聞かされて中一日、及川は悩み苦しみ、俺に電話して来たのだった。美希のご両親と彼女が涙を流しながら及川に伝える情景が頭に浮かんだ。
「乳がんの手術をして抗がん剤やホルモン治療を行なっていても、遠隔転移を完全に予防することは難しい。身体の中を流れる血液やリンパが有る以上、がん細胞は全身に運ばれる危険がある。その転移を無くすためにも早期発見早期治療が重要になる。遅れれば遅れるほど骨や肺など乳房から離れた場所に癌が転移するのは避けられない」。
父の説明を聞きながら、早期発見、早期治療の時は過ぎた、だから及川は来たんだと言いたかった。
「癌と分ったのはいつ頃?」。
「七月の始めです。美希さんが体調不良で検査を受けたのが六月半ばです」。
「その時の癌の進行度、ステージは?」。
「ステージⅡBって聞いています」。
「しこりの大きさは?」。
「四センチだったと思います」。
「大きいね」。
父は指折り数えた。
「五ヶ月経つね」。
沈黙した。それから言った。
「患者やご家族が治療方法等に疑問や不満を抱くなら、それを解くために、納得がいくようにするためにセカンドオピニオンを活用する手がある。つまり、別の専門医の意見を聞くことだ。そうすることによって患者と主治医との間で信頼関係を維持し最善だと思える治療を選択していく。
もう一つは、今かかっている病院から大学病院等に紹介状を発行して貰って、診察、治療を受けることだ。今までの治療経過やレントゲン等の記録も紹介受け入れ先の病院に提供されるから患者さんの身体的精神的負担は軽減される。もう一度診療を最初から受けるということは無い。いずれにしても早期発見のあり方を問われる事があっても、治療の方法は何処の病院に行っても、そう変わらない」。
父の話を良い方に受け取っていいのか、悪い方なのか、聞いていても分からない。及川だってそうだろう。
「兎に角、治そうと出来る限りの治療を行なうことを前提に、美希さんの意思を尊重した方が良い」。
そう言うと、父は厳しい顔だ。俺の部屋に誘ったけど及川はこのまま帰るとアノラックを手にした。表に出ると、PCXの後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
居間に戻ると、父が腕を組んでいた。俺がさっきまで及川が座っていた席に座ると、父はステージⅣの生存率、治療を初めてから五年後に生存している割合はかなり低い。すぐ亡くなるというわけでは無いが、ステージⅣの治療目的は癌を根治することよりも転移に伴う苦痛を和らげる。残された時間を有意義な物にしていく。それが主眼になると言う。
美希が若いだけに進行度合いが早いだろうと言う。及川が居た時に美希の意思を尊重した方が良いと言った父の言葉は、そういうことだったのかと思いながら驚くだけで、何も口に出来ない。
目の前の父が言ったことは及川には言えない、酷だ。京子や梨花に聞かれても言えないことだ。二階の自分の部屋に戻ったけど、寒いのに窓を開けて大声で何か叫びたかった。