(サイカチ物語・第6章・文化祭・14)

                三

 文面が長いだけに、生徒仲間も町の人達も立ち止まって読んでくれるかなと心配した。だけど、杞憂だった。まず生徒仲間が文化祭が始まる前の午前九時を過ぎたばかりの頃に一等最初に人だかりになった。生徒は何時もの授業がないだけで文化祭初日の今日は休みではない。豚汁作りに直行する生徒もいるけど、殆どの生徒は登校すると一通り文化祭の飾り付け等を見て歩く。

 

 女子生徒も男子生徒も頼朝に所領を貰った御家人の名前が載る奥州郡割図の前で足を止めた。自分の姓のルーツに重ねて、立ち止まって話が弾んでいた。そして次ぎに奥州仕置きで上方軍に対抗するために出陣した陣割りの前で輪が出来た。武将の名を口にして驚いていた。江刺(えさし)薄衣(うすぎぬ)千厩(せんまや)長坂(ながさか)大原(おおはら)(おく)(たま)折壁(おりかべ)気仙(かせん)鱒淵(ますぶち)西郡(にしごおり)など藤沢町周辺の地名と城主館主等の名前を書いたのが大当たりだった。

「凄くない?、こんなの初めて知ったよ」。

俺も俺もと生徒の声が聞かれた。伊達政宗の謀略か、ナデ斬りだって、と口にする言葉も俺の耳に届いた。

よく足が止まったのはもう一つ、古城巡りの写真の前だ。評判が良く、誰と誰が行ってきたのかと作成者五人の名前が載っていることとは関係なく美希に話しかける人も多い。

 

 九時十五分頃に星校長先生や氏家教頭も二階に姿を見せた。間を置かず、細川先生や富沢先生、工藤先生、岩城先生も来た。

父兄や町の人等の来場前に先生達が文化祭会場を巡回するのは何時ものことだ。俺達の展示物前に出来た生徒の人だかりに校長先生等が驚いていた。例年、文化祭のときの廊下には色テープや短冊、花紙等で作られた飾り物や各教室の呼び込みPR紙しか無かった。その廊下の変わりように校長先生等は驚いていた。各催し教室を巡回した校長以下各先生達も、サイカチ物語を観覧した。校長先生が帰りがけに声を掛けて呉れた。

「十分やニ十分では読み切れないね。内容がとても良いと思うよ。また後の時間に改めて観覧させて貰うよ」。

「有り難うございます」。

俺は何時もより丁寧にお辞儀をしたつもりだ。

 

 十一時頃だった。及川が持ち場を離れて一階に居た俺を呼びに来た。二階に戻ると、美希のご両親が居た。両親の傍に立つ美希が俺を紹介した。

「キャンプと古城巡りの時のリーダー。熊谷準君」。

美希のご両親とは初対面だ。挨拶をしていると、そこへ今度は及川のご両親が顔を出した。前に及川から聞いていた事から判断すると、美希のご両親も及川のご両親も野菜類の朝の出荷作業を終えてから来たのだろうと想像した。及川が、二組の両親を連れて俺達の展示物を案内すると言う。了解した。来場者が一階から二階に大分上がり始めた。

 

 午後十二時五十分頃、岩城先生の奥様の姿が見えた。気づいて挨拶すると、軽くお辞儀をして、言った。

「ごめんなさいね、順番があるの。後でユックリ見させて貰うわね」。

 俺達の展示物に目もくれず、茶席の教室に入って行った。一つのお目当てが茶席への参加だったらしい。

 

 一緒に食事して、ご両親を見送ってきたという及川と美希に言った。

「ちょっと前、岩城先生の奥さんが来た。出てこないところを見ると茶席に参加するらしい。俺達の展示物を見て貰うとき、一緒に挨拶しよう」。

 豚汁とおにぎりを食べに行くことにした。先生の奥様は茶席のホスト役を務めているのが俺の母だと知っているのだろうか、階段を下りながら思った。分らない。