(サイカチ物語・第6章・文化祭・8)
◎謀略その三、一揆煽動により葛西晴信のお家再興の願いを阻止
・政宗は、減封された七、八十万石の所領分の回復のため、木村吉清父子に与えられた葛西・大崎領を
自分の物に出来ないかと画策します。
・葛西領では、主君を失い、突然、家屋敷や田畑を失って路頭に迷うという現実がありました。そこに
新領主木村吉清一派の乱暴狼藉が加わり、それらを原因として旧葛西領内、旧大崎領内に一揆が発生しました。
○葛西晴信は、サイカチの木の枝を門柱や玄関等に目印としてお家再興の吉報を待てと家臣達と約束していました。
サイカチは「葛西」と「勝つ」をもじったものでした。
・この下の机の上にサイカチの木の写真を置きました。知っていましたか?。(資料七、「サイカチ」)
・しかしそこに一揆が起きたらどうでしょう。秀吉方から見みれば一揆騒乱は旧葛西・旧大崎の家臣達であり晴信の
意図するところでなく煽動するところでなくても晴信が関わっているものと判断します。
晴信にとってマイナスに評価されてもプラスになることは有りません。秀吉に再考を願い出て本領安堵を勝ち取るなど
という考えはたちまち雲散霧消になってしまいます。
・ここに、政宗の第三の謀略登場です。一揆勃発のとき政宗が自分の頭にあったのは、まず一揆を拡大させること、煽動
すること。そしてその一揆鎮圧に自分が出動する。マッチポンプです。つまり、自分で火をつけ燃やし、自分で消し止
める。そうすることで自分の手柄にする。
領内を治めることの出来なかった木村親子の失政を浮き彫りにして豊臣秀吉によって改易に追い込む。つまり
木村親子を追い出す。
・そして秀吉から葛西大崎領の加増を自分に勝ち取る。政宗が自分の頭に描いたのはそういう自己の所領を拡大するため
の構図でした。葛西・大崎一揆軍の中に伊達の旗差物が翻っていたと古文書に残されています。
煽動する伊達は一揆勢の仲間だったのです。
・政宗は元々葛西領を自分のものにしたくて、先に記述したとおり胆沢の柏山や三迫の富沢、気仙の浜田、大和田に通
じていました。葛西家重臣の葛西重俊にも内通していました。
・果たして葛西・大崎一揆は、最初に政宗と連絡を取っていた胆沢郡の旧柏山領内から発生しています。
・一揆は、十月初めの胆沢から江刺、水沢、磐井、この藤沢町、気仙、本吉と広がっていきました。
・この下の机の上に、伊達秘鑑の一ページを置きました。木村吉清臣下の乱暴狼藉と、長坂藤沢辺りに居住した上方の
侍どもを残り無く殺した、と書かれています。(資料八、「大崎葛西一揆蜂起之事」)
・同じ頃に、葛西晴信のお家再興を計る相談の書状を会津のお城にあった蒲生氏郷が受け取り、氏郷はそれを伊達政宗に連絡しています。しかし、政宗はこれを全く無視しています。
・一揆勢は、木村吉清・清久父子を佐沼城に閉じ込め包囲します。