(サイカチ物語・第6章・文化祭・3)

 

二 葛西(・・)()系図(・・)

 葛西氏は、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代に紆余曲折があっても約四百年間、源頼朝に貰った所領を守ってきました。そうです。平泉(・・)藤原(・・)時代(・・)()伊達藩(・・・)伊達(・・)政宗(・・)()時代(・・)()()()()葛西(・・)時代(・・)()凡そ(・・)四百年(・・・)()あった(・・・)()です(・・)

 岩手県史に扱われている盛岡葛西系図では次の通りです。

初代・(かん)()天皇(てんのう)、  第二代・葛原(くずはら)親王(しんのう)、 第三代・高望(たかもち)(おう)、 

第四代・(たいらの)良文(よしふみ)  第五代・平忠頼(たいらのただより)、 第六代・(たいらの)将常(まさつね)、 

第七代・(たいらの)(たけ)(つね)、 第八代・平常家(たいらのつねいえ)

第九代・(たいらの)常康(つねやす)、 第十代・(たいらの)常清(つねきよ)    

第十一代・葛西(かさい)(きよ)(しげ)(平姓) 第十二代・葛西(あさ)(きよ)、  第十三代・葛西(きよ)(ちか)

第十四代・葛西(きよ)(とき)、    第十五代・葛西(きよ)(のぶ)、  第十六代・葛西(さだ)(きよ) 

第十七代・葛西高清(たかきよ)、    第十八代・葛西(あき)(きよ)、  第十九代・葛西満信(みつのぶ)

第二〇代・葛西(もち)(のぶ)、    第二一代・葛西(あさ)(のぶ)、  第二二代・葛西(ひさ)(のぶ)

第二三代・葛西政信(まさのぶ)、    第二四代、葛西(はる)(しげ)、  第二五代・葛西(はる)(たね)

第二六代・葛西(ちか)(のぶ)、    第二七代・葛西(はる)(のぶ)、  第二八代・葛西信景(のぶかげ)

第二九代・葛西(はる)(やす)、    第三〇代・葛西(はる)(つな)

 

 私達の藤沢町史は、盛岡葛西系図に倣って葛西時代として第十一代葛西清重から豊臣秀吉の奥州仕置きで所領を没収された第二十七代葛西晴信までを掲げています。

また、葛西氏系図では外に仙台葛西系図(平姓葛西系図)があり若干相違しています。興味のある方は、図書館を利用して岩手県史、宮城県史を見てみましょう。

 なお、葛西氏時代の藤沢の町の城主、館主の系図に深田星氏系図や藤沢岩淵氏系図等があります。藤沢町史・上巻に登載されていますので、見ては如何がでしょうか。

○この下の机に置いた藤沢町史・上巻、五六、五七ページです。(資料三)

 

三 葛西(・・)()最後(・・)()領主(・・)葛西(・・)()()の時代

 葛西晴信は、永禄三年(一五六〇年)から天正十八年(一五九〇年)葛西氏滅亡まで、約三十年間領主として在職しました。

・世は、まさに戦国時代、下克上の時代。

・永禄十二年(一五六九年)、上洛して織田信長に謁見。

・元亀二年(一五七一年)伊達(だて)輝宗(てるむね)(政宗の父)を撃退。伊達家との姻戚関係。伊達政宗との親交有り。

・栗原郡や登米郡の一部、玉造郡、加美郡を所領とする隣国の大崎義隆と数度合戦。

・大籠に製鉄業誘致、製鉄産業隆盛。

・キリスト教伝来。この下の机の上の写真は米川カトリック教会で見られたキリスト像です。(資料四、「位牌の中のキリスト

 像、釈迦を模したキリスト像)

・天正十六年(一五八八年)浜田広綱(陸前高田、米ヶ崎(よねがざき)城主)の乱を鎮圧。大量の鉄砲を使用。

・天正十六年(一五八八年)藤沢の陣。すなわち藤沢城主・岩淵近江守経宣(いわぶちおうみのかみつねのぶ)と大原城主千葉(ちば)飛騨(ひだ)(のかみ)茂光(しげみつ)との合戦。

 これを鎮圧。