(サイカチ物語・第6章・文化祭・1)

 

             第六章 文化祭

                一

 俺は、京子、梨花、美希、及川(俊明)の協力を得て、そして誰よりも一番お世話になっている岩城先生の御陰で葛西一族の滅亡を「サイカチ物語」という表題にして展示発表する準備が出来た。そのために、二階の廊下を長く利用することで文化祭実行委員会の了解も得た。

 実行委員会は農業科から二人、愛と信男(山田信男)。普通科から三人、京子、梨花、(さとし)(千葉哲)。それに総括担当教諭として教頭の氏家先生で構成されている。事務室の朝倉さんが予算、経理上の整理をしていく上でサブメンバーだ。

 

 文化祭名物の一つになっている農産物の出品、販売、豚汁の販売の責任者は今年は金野先生と信男らしい。信男は金野先生と一緒に農業科の生徒の役割分担を指揮し、保健所や消防団のアドバイスを受ける窓口だと聞いている。

 俺のサイカチ物語の展示計画は古城巡りに一緒だった京子、梨花が実行委員会のメンバーだけに諮り易かった。実行委員会から特に質疑も異論もなかった。

 京子と梨花の二人はこの文化祭でも金土の午前十一時と午後の二時、一日二回、講堂でよさこいソーランの踊りを披露することになっている。その練習に忙しかったろうに、俺の展示物の作成にも貼り出しにも大いに協力してくれた。

 及川も、体調をみながらだったけど美希も手伝って呉れた。俺は、皆にはまだ内緒だけど、サイカチ物語は俺達五人の展示物にしようと決めている。

 

 一階の会議室と普通科教室は、農業科自慢の野菜等農産物の展示と即売会場に当てられた。その隣の農業科教室が例年通り豚汁提供の臨時食堂、奥の化学教室は水、ガスが使えることから臨時の調理室に変わった。一番奥の音楽室はそのままだ。

 一年生と二年生の居なくなった二階の空き教室四つは階段を上って一番手前が来場者の参加型生け花教室であり、生徒が活けた花の展示室だ。隣が美術部の作品等の展示室。その隣が無料の抹茶を提供する茶席に拵えられた。視聴覚室兼美術室の手前の教室が高橋元君の寄席席に当てられている。演目「時そば」は午前十時四十分と午後一時四十分から幕にかかる。その二階の四つの教室の廊下の外窓側に俺達の展示物を貼り出した。

 

 貼り出すのはA三判が良いだろうと見当を付けた。それでパソコンの利用をA四判、活字の大きさ三十六ポイント、MSゴシック、余白を狭いに設定して紙一枚分の文書を打ってみて、それを印刷でA三判に拡大コピーしたらどうなるか試してみた。

 活字の大きさは展示物を読む人の視覚を考慮する必要がある。その結果、一行二十文字十五行が適当だと判断した。勿論、展示物の文案は俺が作成した。

 文案が長くなって意外に入力と印刷に時間がかかった。その後が印刷で打ち出したA四判をA三判に拡大コピーして裏面をセロテープで貼って繋ぎ合せる作業だ。丸めれば巻物風になる。本文の内容と並べる関係資料や写真との関係で文面を何処で切るか等を考慮に入れたら、ここに四百年続いた葛西一族は滅亡しました、「葛西、勝つ」とならなかったと(くく)るまでの印刷頁は五十二枚にもなった。長さ約二十二メートル、上下幅約三十センチの貼り出し物になる。

 パソコン入力にも貼り合わせ作業にも京子と梨花に大部助けられた。及川も美希さんも加わって展示と関係資料並べの作業を行った。

 展示物は来場者が読み易いように床から百三十センチを下限として貼り出した。その下には書いた内容に合せて関係資料を置くためにズラーッと三十個の机を並べた。幅六十センチ、奥行き四五センチ、高さ七十センチの普段自分達が使っていた教室の机だ。資料等を置くには丁度具合が良い。

 その後に続いて展示した二十七枚の写真は、A四判一枚の用紙の右端一行に番号と何であるかの表題を活字の大きさ三十六ポイント、MSゴシックで書いて、真ん中に2Lの大きさ(一二七×一七八ミリ)の一葉の写真。その吹き出しの説明文は写真の下又は左の余白に表題より活字のポイント数を落として書くことを原則にして京子と梨花が整理してくれた。

 写真は五人が古城巡りに行ったときにそれぞれに撮ってきたものの中から選んだ。古城巡りを印象づけるために碁石岬での写真等人物の入ったものは展示から全部カットした。梨花が無料体験で撮った平安朝の唐衣を着た写真を展示したがったけど、俺は彼女の提案を没にした。吹き出しのコメントは全て京子と梨花の文案とアイデアだ。

 展示方法として、来場者が見やすいようにと机の高さより更に上に四十センチ間を置いて三段重ね、横に九列で窓や壁に張り出すことにした。三段に重ねる三枚ごとに裏面をセロテープで貼り合わせた。出来上がりは縦に約六十センチだったけど、横に約二メートル七十センチになった。