(サイカチ物語・第5章・俺の嫁さん・9)

                  三

 今日から美希にまた一つ新たな治療が加わった。五分間の放射線の照射ってどんな感じなんだろう。俺も胸部レントゲン写真は過去に何回か撮ったことがあるけど、数分間、放射線を浴びるってどんな感じなのか、俺には分からない。少なくとも痛み痒みはないだろう。

 美希との待ち合わせを駐輪場で午後四時十分と決めたけど、俺は病院の待合室で待つことにした。外来には遅い時刻なので人影も少ないし、余りうるさくもない。参考書を広げても良いのだ。仮に雨が降り出してもここで待つ分には濡れる心配も無い。

 美樹は四時十分を少し過ぎたところで(病院の)受付窓口(そば)に姿を見せた。美希と声をかけて俺の存在を知らせた。

駐輪場までの道を歩きながら放射線治療がどういう物か聞いた。

「仰向けに寝るの。寝た台の方が動いて、胸部に当てられた一つの光の部分に放射線が照射されたみたい。

 放射線は目に見えないものね。放射線の機械が出す静かな音を仰向けのまま聞いているだけ。圧迫感もないし痛みもないけど緊張する。途中から、照射されている部分が少し暖かくなったような気がする。少し眠くなった」。

 美希の口から抗がん剤の点滴投与の時のような嘆きが聞かれなかった。カブの運転にも支障が無さそうだ。ホッとした。

 

 今日は二十九日水曜日。美希が二回目の抗がん剤投与の点滴を受ける日だ。昨日は、帰り途にいつもの所でバイクを停めた。

レインボースーツのまま軽い抱擁とキスの後、俺は明日二回目だねと言った。一瞬、緊張した顔を見せた美希は、大丈夫、心配しないで。この間みたいなこと無いから、朝だけ頼むね。帰りは少し休んでお父さんの自家用車(くるま)でちゃんと帰るから、と言った。

小降りになった雨の中で傘を差しての会話だった。

 

 今朝は昨日一日の雨模様に変わって朝から良い天気だ。美希は赤いヘルメットを被り、キャンプに行った時のピンクのリュックサックを背にして待っていた。今日の分の教科書等が入っているのだろう。傍に小母さんが付き添って立っているのを俺は想定していなかった。坂の上に、小父さんの姿もある。

「お願いします」。

「はい。任して下さい。帰りは予定通り小父さんの自家用車(くるま)で良いんですね」。

頷く小母さんに、行ってきますと俺は言った。PCXのエンジンを吹かせ、坂の上の小父さんに向かって右手を軽く挙げた。

走り出して間もなく、声を掛けた。さっき会った時、美希は緊張しているなと思った。

「体調はどうだ」。

「普通。変わりない。俊ちゃん」。

「うん?」。

「何でもない」。

「美希」。

「うん?」。

「愛してる。さっき、小父さん小母さんが居たので一回キスを損した」。

 美希が俺の腹回りに回していた手を(ほど)いて俺の背中を軽く右手で叩いた。美希自身が言いたそうで言わなかったのは何だったのだろう。

 

 五時限目の授業が終わると、早退の手続きをした美希は昇降口に回った。治療のことを隠さない、いや正確には隠せないと言った方が良いだろう、クラスの皆が美希の水曜日の点滴を知るところとなっている。

熊谷も梨花も京子も愛も、気むずかしい芳賀も他にも数人が昇降口を出ようとする美希を見送りに来た。美希は平静を装ったけど、皆に見送られるせいか、これから受ける点滴のせいか余計に緊張の色を隠せなかった。

京子や梨花が、元気、元気、頑張ってとかファイトとか言う。

 

 夜七時過ぎ、俺は家に帰ってベッドの端に座りながら電話した。抗がん剤の点滴を受けて、その後に続いて放射線の治療を受けるのは今日が初めてだ。俺は美希のそれが心配だった。

「点滴の後、気持ちが悪くなった。倦怠感がまた襲ってきた。病院の方が配慮して放射線の照射開始を四時五十分からに変更して

 くれたの」。

「今、何してる?」。

「自分の部屋でベッ ドに横になってる、俊ちゃんは?」。

「俺も今、部屋でベッドに腰掛けている」。

「美希の事心配してくれて有り難う」。

「俺だけじゃないよ。クラスの皆もあの通り心配しているんだ。昇降口に皆が来てくれたろう」。

「皆、心配してくれて、優しくって、感謝だね」。

 美希の声が途切れた。

「大丈夫か?」。

「心配しないで。俊ちゃん、ちゃんと勉強して。美希のために受験に失敗したなんてイヤだからね。頑張るのは俊ちゃんだよ。美

 希のためにも頑張って。美希のために一杯時間を無駄にさせてゴメンね」。

「何言ってんだよ。無駄な時間なんて無いよ。一つ一つ美希との大切な時間なんだ。俺はこれからバリバリ勉強するって」。

「うん。ホントだよ。俊ちゃん大好き。でももう切るね。勉強して。美希はお休みなさいだからね」。

 美希が自分から携帯電話を切った。皆が心配してくれて、優しくって、そう言った美希の涙声が耳に残った。

 俺は気持ちを切り替えて机に向かうことにした。