(サイカチ物語・第5章・俺の嫁さん・8)

 

 小父さん達が帰った後、ベッド近くに寄った。

 美希が出した右手を握ると、美希は途端に泣きだした。我慢していた感情の何かが堰を切ったみたいだ。反対側に顔を向けて嗚咽を抑えるように左手で自分の口を押さえた。肩が震えている。俺は何をどうしたらいいのか戸惑ったけど、ふと、一階の待合室が頭に浮かんだ。誘った。

「起きられるか、待合室に行こう」。

 美希のためにも相部屋の他の人のためにもそれが良い。そう思った。美希は朝顔の浴衣だ。黄色い帯は一重に左腰に結んでいた。

 

 待合室の電気をつけた。真ん中に置かれたテーブルの花瓶に紫色のトルコキキョウの花が数本活けられてある。窓ガラスはカーテンが引かれていた。出入口から奥の長椅子に並んで座り、美希の肩を抱いた。手にしたハンカチでまだ涙をぬぐっている。左胸に寄せた美希の髪の毛は微かにバラの香りだ。

 抗がん剤投与の後、吐くほどでは無いけど気持ちが悪いと言う。だるく、表現しようのない倦怠感が身を(よじ)るほど襲ってくると言う。言いながらまた点滴の事を思い出したのか感情の高ぶりを抑えられなくなったらしい。

「もう点滴は遣りたくない。抗がん剤はもう良い」。

 そう言って俺の胸に顔を強く押しつけ、また激しく泣き出した。震える肩をしばらく抱いていた。そうしか出来ない。それから言った。

「点滴は六ヶ月続くんだ。点滴をした後の感覚をそのまま先生(医者)に言った方が良い。先生が、抗がん剤の分量かなんかを調整して解決方法を考えてくれるよ」。

 気持ちを悪くさせているのが点滴に含まれているアルコール分なのか、外の何なのか、俺には分からない。ただ、美希の健康の回復のために抗がん剤の点滴投与が六ヶ月続くことは確かだ。その先の現実を思った。

 

「お昼前に退院して、今、家に戻って来たの」。

 学校のお昼時間に合せて美希から俺の携帯への電話だ。学校での携帯の使用禁止は今は糞くらえだ。明るい声だ。メールより良い。俺はホッとしながら待合室で泣いた昨夜の美希を思い出した。

 俺なりに美希の感情のうねりを受け止めてアドバイスして励まして、キスをした。病室に戻って美希が夕食を摂った時は面会時間終了の午後八時を回っていた。調理時間から大分経つので食べて良いのかって言ったけど、お腹空いた。平気、平気と言って、その時にはいつもの美希だった。

 歯を磨いた美希とカーテンの中でそっとお休みのキスをして、俺が病院を出たときは午後八時半を回っていた。

「今日、帰りに美希ん()に寄ろうか」。

「もう大丈夫だから心配しないで。俊ちゃん、ちゃんと勉強して。会いたい気持ちは一杯あるけど我慢する。明日、学校に行く。いつもの所で待っている」。

 キスのつもりだろう、チュッと音がして電話は切れた。