(サイカチ物語・第5章・俺の嫁さん・6)
二
今日が美希の化学療法の初日だ。出欠をとる岩城先生の声を聞きながら、主の居ない美希の机に目が行った。
昨日の学校の帰り途に、美希は父と母が入院に付き添い十時までに入院の手続きをすると言っていた。午前中に体温、血圧、体重の測定等を行い、午後二時からの抗がん剤投与に備えることになると言った。
投与された後、どんな気持ちになるのか分からない俺は、投与時間の長さだけを聞いても、頑張るしか無いぞ、そう言って励ますしかなかった。
外は雨が激しくなってきた。時折、教室の窓ガラスが吹きつける雨風に揺れる。先生の声が一瞬途切れ、先生も外を見た。五時には点滴も終わるから帰りに必ず寄ってね、約束よ。そう言ってキスを求めた美希を俺は思い出していた。
「私も一緒に行こうかしら」。
昇降口まで付いてきて京子が言う。
「治療は長く続く。これから先、皆の支えが必要だしその時に協力を頼むよ。入院は一晩だけの事だから今日は俺だけにしてくれ」。
昼時間に熊谷と京子と梨花が美希の休んだ理由を知っているかって聞いてきた。それで美希が三人に何も言っていなかった事が分かった。
下る坂道は、さっきまでの激しい雨に洗われ殊更にごつごつした石を浮き出していた。滑りそうな所もあれば足を引っかけてしまいそうな所もある。舗装すればいいのにとも思うが、この約二百三十メートルの坂道が平坦では無い人生を生徒に教える一つだと、あえて舗装していないと聞いたことがある。坂道だけに強い雨が降るとそのたびに土が流れ砂利と大きな石が浮き出てくる。
さっきまで、事務室の朝倉さんが届けてくれた藤高新聞最終号の紙面割の案を熊谷と京子と俺の三人で検討していた。紙面はA三判縦長、見開き裏表四ページになっていた。廃校を迎える校長の挨拶、学校史と言うのか学校創設以来の主な出来事、書画や音楽などの文化活動や、県大会、インターハイに進んだ運動部の活躍などの記録、表彰を受けた部や個人の紹介とその記録、写真、コメント、それに廃校を迎える先生一人一人の思いと写真などが載っていた。
ほぼ原稿の見通しがついたのであの紙面割りになったのだろう。案では校長先生の挨拶とPTAの会長の言葉の後に続いて、三十一ポイントの大きさの「遂志」の活字を一行において俺達最後の三年生の将来の夢、目標が一面から二面に渡って掲載されていた。生徒個々の名前と将来の目標欄は埋まっていたけど、各自の写真が入るところだけが空白になっていた。
特に問題となることも無かった。そのままOKをだすことで三人の意見がまとまった。