(サイカチ物語・第四章・古城巡り・39)

 

 安宅の関は歌舞伎でもお馴染みの勧進帳の場面だ。実物大の人形像になっていた。簑笠着けて顔を隠して座る義経が左。刀の柄に手を掛けて身構える数人の武士と落ち着いた風情で問いかけている関守の富樫何とかが右に立ち、真ん中に勧進帳を持つ弁慶がいる。

「場所は今の石川県の小松市にある安宅の関。源頼朝に追われる身になった弟・義経が平泉目指して逃走する。途中この関所で引

 っかかった。弁慶が嘘の勧進帳を読み、関守の富樫(とがし)泰家(やすいえ)は、勧進帳が偽物で有り、捜索中の義経だと分かりながら同情して見逃

 す。その場面だ」。

 熊谷が説明した。

「テレビで見たことある。弁慶がこの後、関守をだますために心で泣いて、お前のために疑われたと主君・義経を打つ所でし

 ょ」。

 京子が相槌を打った。

「二年前の義経でしょ。滝沢秀明の」。

 美希が続いて言う。

 梨花も見た気がすると続いた。俺は、美希の部屋で見た滝沢秀明のポスターを思い出した。

 

 戻って城柵ゾーンに入ると、城柵はそれぞれに離れた所に三つあった。案内のパンフレットに時代によって城柵の作り方が違うとある。だけど、どの柵も敵の侵入を防ぐための木柵と楼門(ろうもん)櫓門(やぐらもん)物見所(ものみどころ)営舎(えいしゃ)で構成されていて、形や大きさの違いの外に何が違っているのか良く分からなかった。

 それでも帰りの道々、熊谷の説明にまた驚かされた。

「見てきた()(ばり)(じょう)は八世紀から九世紀初頭に宮城県の栗原郡に作られた柵。古代の律令国家が支配権拡大のために蝦夷対策とし

 て作った官権の柵だ。

川崎(かわさき)の柵と厨川(くりやがわ)の柵は十世紀から十一世紀に作られた柵で、逆に律令国家の支配権拡大を防ぐために蝦夷の安倍一族が作った柵だ。

 川崎の柵は今の一関市門崎町(かんざきまち)にあり、俺達藤沢町の黄海(きのみ)の戦いになったときの安倍一族の拠点だ。

 厨川の柵は源頼義と八幡太郎義家親子が安倍一族と戦った柵だ。その頼義と義家が源頼朝のご先祖様だ。

 ご先祖様が百余年前に戦った柵だからと、頼朝が藤原泰時との奥州合戦の時に訪れている」。

 俺は感心した。

「受験生なのに、何時調べている時間があるのかしら」。

 梨花が俺の傍で言う。熊谷に聞こえたかどうかわからないけど、説明した本人はニッコリしていた。

 

 長い道を下って戻り、木々の間を少し上って金色堂(こんじきどう)に行った。金色堂は山を後ろにして遮るものも無く、夏の陽に照らされてまばゆいばかりの黄金の光を放っていた。急に観光客が増えた。綺麗。格好良い。周りに驚きの声を聞いた。

 驚くね。本家を凌ぐんじゃないの。観光客の誰かが言う。シャッター音が響く。見知らぬ観光客同士がシャッター係を引き受けていた。覆堂(ふくどう)に納まっている平泉中尊寺の金色堂しか知らない俺達五人も、剥きだしの金色堂に正直驚いた。

 ここの金色堂をバックに五人で写真に収まった。サングラスをしていた梨花と京子がそれを外した。美希が被っていたキャップの庇を少し上に上げた。

 

 金色堂の内陣を見た。仏像や仏壇、仏具、経机、柱、欄干等はどれも装飾する金と漆の黒のコントラストにあったけど、俺はさすがに本物にはかなわないと思った。数だけで無く、本物のもつ仏像の造形美と柱等に施された蒔絵や螺鈿の美はここには無い。

 パンフレットには藤原清衡が建立した金色堂を創建時そのままに再現しているとあるけど、ここの金色堂は外観だけで良い。その代わり本物の平泉中尊寺と同じように坂のある道。その両側が杉木立。その奥にひっそりと黄金に輝く金色堂が見える。そういうロケーションだったら重厚感と奥ゆかしさが加わっってもっと良かっただろう、そう思う。