(サイカチ物語・第四章・古城巡り・38)

 

 そこを抜けると、広い中庭の先の正面に、色鮮やかで朱塗りで太い丸柱の檜皮葺(ひわだぶき)入母屋造(いりもやづく)りの正殿が姿を現わした。

「凄ーい。綺麗」。

「色鮮やかね。平安時代にタイムスリップしたみたい」。

「凄えー」。

 それぞれの感想が漏れた。正殿を中心に左右対称に配置された大きな建物群は観光客の心を掴むのに十分な装いだ。当時の政権の権威を示すと同時に華麗だ。

 

 正殿と脇殿は回廊で結ばれている。その鮮やかな朱色の太い柱の間を通る。梨花の言葉だった。

「平安時代の人の気持ちに成るから不思議ねー」。

十二単(じゅうにひとえ)、完全予約制二万円だって、それを着てこの場所に立ったらきっと絵になるよね、何時か着てみたーい」。

 京子がパンフレットを見ながら言った。

「結婚するときかもねー、それとも女優になって変身する?」。

 梨花が話を引っ張る。美希がニコニコしている。俺と熊谷はいつの間にか女性三人の歩くペースに引っ張られていた。

 

 坂を上って義経(よしつね)()仏堂(ぶつどう)に行くと義経自刃(じじん)の最後の場を弁慶が表に立って守っていた。緊張した場面なのだろうけど、俺はそこから下の方に見える、通ってきたばかりの建造物の景色の眺めの良さに気が行った。大きな緑の枝の先に瓦の屋根。赤い柱が映えている。

 また少し坂道を上って、次に見た茅葺(かやぶ)き屋根の館が(つね)清館(きよかん)だった。十一世紀半ば頃の地方豪族の一般的な館だと紹介されている。寝殿、台所、馬舎(うまや)宿直(とのい)がそれぞれ別棟になっていた。

 次の清衡館(きよひらかん)は寝殿の床が高く、丸柱が使われていて屋根は両端が反った形のとち葺きで寝殿と各別棟の建物が渡り廊下で繋がっていた。寝殿様式とある。

 経清の時代と清衡の時代の館の作り方の違いが良く分かるようになっていた。清衡は平泉に進出するまでこの豊田館と呼ばれていた清衡館に住んだのだと案内板だ。観光客は清衡の館に多く集まっていた。

 

 そこからまた距離のある坂道を上ると、一転して、いかにもすきま風が吹き雨漏りがしそうな粗末な家屋があった。NHKの大河ドラマ「秀吉」の撮影ロケに豊臣秀吉が生まれた尾張(おわり)中村庄(なかむらのしょう)の生家として使われた物だとパンフレットにある。

「実際のテレビ映像だとどのように映っているのかしら、比べてみたいね」。

 隣で美希が言う。梨花が応えた。

「コースの最後にロケ資料館とあるから、そこで見られるかもね」。

 少し戻って、池の見える方角に足を進めた。蓮に半分覆われた池に鮮やかなピンク色の花が所々に咲いている。案内板には池の傍から右に行くと安宅(あたか)(せき)、左に橋を渡って行くと城柵ゾーンとある。俺達は、じっくり体験コースの順路の通りに安宅の関を見て、それから戻って城柵コースに行こうと決めた。