(サイカチ物語・第四章・古城巡り・35)

                   十七

 国道四号線、奥州街道に出て間もなく前沢駅を通過して道沿いのガソリンスタンドに寄った。熊谷が、満タンにしておこうと言う。見上げる空は青々としていた。

 再出発の車列は何時もの通りだ。国道四号線の水沢道下という標識のあるところで県道八号線に入った。標識は岩谷堂方面とある。北上川に架かる桜木橋と新幹線の橋脚下を通って杉の町交差点を左に曲がった。

地図ではそこから信号二つ目の大通りとある標識を右に曲がれば目的地の岩谷堂城址は目の前だ。

 しかし、大通り分岐路の手前から観光バスや自家用車が行く手を阻んだ。平安時代のテーマパークえさし藤原の郷を目指す車の列だ。        

「凄いね、NHKの大河ドラマの影響だよ、間違いなく」。

 後ろの美希に声を掛けた。

「夏休みだもの・・余計に混むよね」。

「(藤原の郷の)施設、建物は出来て十四、五年経つけどNHKの大河ドラマでは今も大概、ロケに使われるからね。人気がある

 らしい」。

 

 間もなく右側に館山史跡公園入口という標識のある前に出た。

 やれやれと思いながらPCXを停めて俺も美希も降りようとすると、先に駐車場に着いていた京子だ。ヘルメットを小脇に抱えたままだ。

「ここも館山公園だって」。

 岩谷堂城址は明治時代まで伊達藩が北の要害としてきた館のあった所だ。上ってみると土塁や空堀の遺構が俺達素人目にもハッキリと分かった。美希が言う。

「こういうのを空堀って言うのよね」。

「この土塁かなりの段差ね」。

 京子が言うと、歩きながら今度は梨花だった。

「ここ二の丸かしら三の丸かしら?」

 女性三人も古城を歩く様が板に付いてきた。彼女達の会話を耳にした熊谷がニッコリして俺を見た。

 土塁や空堀等の緑濃い草地は刈り込まれ綺麗に整備されていた。照る陽は高く暑かったけど歩く道はからっとした空気だ。木々から蝉の声が聞こえて来る。

 本丸入口に藤原氏御館跡の石碑があった。本丸跡は、平泉の藤原文化を築いた藤原(ふじわらの)清衡(きよひら)が生まれ育った豊田館のあった所でもあったという。俺の予備知識では衣川のある平泉は清衡にとって母方の実家だ。

 杉木立の中、東西南北に百メートルぐらいの広さの本丸跡にはかなりの数と種類の紫陽花が植えられていた。一メートルほどの道幅の舗装された通り道だったけど、紫陽花の枝が所々で俺達の左右の肩に触れるほどに伸びている。

 石畳が現れ樹齢を重ねた太い幹の杉林に囲まれた空間に到達すると、真ん中に小さい御堂の館山八幡神社が祀られていた。五人が代わる代わる神社の鈴を鳴らした。その右隣には小さな屋根で守られた古碑があった。

「これ、先生が言っていた葛西氏時代の石碑だね」。

 熊谷が言いながら、デジカメを向けた。俺は目を凝らして石碑の表面を見たけど刻まれた字は潰れていて全く読めない。何が書いてあるのか分からない。