(サイカチ物語・第四章・古城巡り・33)

 

「岩城先生の家に行ったことあるの?」。

 俺と京子のやりとりに梨花が入った。熊谷が受けて、今回の古城巡りの発端がそもそもそこにあったと話した。

 梨花が、ズルーイと言う。

「先生の家に今度行くような事があったら、必ず誘ってよ」。

 梨花が口をとがらせた。美希が傍でニッコリした。

 

 俺は梨花と美希に、案内板にある通りここが天正十八年四月十七日、葛西氏家臣団が集まって豊臣秀吉の小田原攻めに参陣するかどうかの軍議を開いた館跡、と言った。

「天正十八年って?」。

梨花が聞く。

「秀吉の小田原城攻撃のあった年だ。葛西家十七代当主葛西晴信に小田原北條攻めに参加して臣下の礼を取れと言う秀吉の軍令が

 あったんだ。だけど、晴信は小田原まで行かなかった。いや、伊達政宗の謀略に引っかかって行けなかったんだ。

  それを話すと長くなるから省略。葛西晴信は行かなかったために江刺(えさし)胆沢(いさわ)(いわ)()気仙(けせん)本吉(もとよし)登米(とよま)桃生(ものう)牡鹿(おしか)の各郡、

 栗原( くりはら)郡の一部、凡そ三十二万石の所領を秀吉に没収された。四百年続いた葛西氏が没落したんだ。

 それが、秀吉の奥州仕置きって歴史に伝えられているものだ」。

「案内板の葛西麾下(きか)の諸将が参集して小田原参陣の是非を議したってあるけど、議論した中身ってわかっているの?、何かし

 ら?」。

 梨花がまた聞いた。

「その内容が何か、古文書に明確に記録として残されていれば良いんだろうけどね。今のところそれを伝える古文書が見つかって

 いない。発見されていないらしいんだ。

  俺が葛西晴信だったら、(織田)信長亡き後の秀吉の権勢を知っていたろうから小田原参陣を前提に話し合ったと思うね。

 日取りと留守中を託せる家老等の人選を諮っていたと思う。岩城先生もなんかそんなこと言っていた。

  所がそこに葛西晴信が参陣出来なかった原因となる伊達政宗の謀略があった。それで話が長くなるので省略と言ったんだ」。

 

 側で聞いていた熊谷が言い出した。

「葛西晴信と伊達政宗が家臣等に宛てた書状が近年発見されている。葛西文書とか伊達文書って言われている。それらを整理突合

 すると新たな事実が分かってくるかも知れない。及川じゃないけど、面白いし、ロマンが有る」。

 

 俺にとって助け船だ。それ以上に梨花の質問に答えられるものを持っていない。だけどもう一つ、披露したいことを思いだした。熊谷が俺より先に口にした。

「この案内板に一言も触れられていないけど、この唐梅館に関係して隠れキリシタンと製鉄にまつわるエピソードがある。

  俺達の藤沢町文化振興協会が発行した『大籠の切支丹と製鉄』の中に、大籠の製鉄産業の始まりとキリシタンの伝来に深く関

 係した人物として浪人、千葉土佐が出てくる。その千葉土佐の妻が長坂太郎の娘ってある。ここがまさに長坂。

  唐梅館館主が代々長坂太郎を称しているんだ」。

 

 熊谷がそこまで言うと、俺は付け足した。

「浪人千葉土佐と千葉宗家の娘との結びつき。なんか凄い興味が沸くなア。大恋愛だったりして」。

「えっ、そんな話あるの?」。

 驚いて美希が聞く。

「うん、岩城先生は、千葉土佐が単なる浪人者とは考えられないって。製鉄産業誘致のために備前岡山に行ってきた旅費、連れて

 きた人達のための住居費や当面の生活費の保障、それに製鉄する窯の整備費などかかった費用等を思えばなおのことだって。

 資金を出すスポンサーが居ないとね。

  しかも千葉土佐はクリスチャンだったんだって。大籠のキリスト教の普及は製鉄に関わり、そこに働く人々を中心に広まった

 と言うんだ。俺は千葉土佐という人物に凄く興味がある。詳しく調べて見たいね」。

 梨花も美希も京子も関心が沸いたらしく、ふーん、って顔だ。

 

 駐車場に戻ると、皆が思い思いに水分補給をして出発した。午前十一時半近かった。日程表の牛の博物館到着目標時刻十二時は守れそうだ。制限速度時速四十キロの道をこれから約二十キロ走る。