(サイカチ物語・第四章・古城巡り・7)

 

 玄関口に置いていたのだろう、家の中から取り出した丸椅子を手際よく輪状に六個並べて、座りなさいと指示した。陽はまだ高い。

「かつてはこう()て話すごどもあったけど、今は来てくれる人も居なぐなった」。

 そう言いながら俺達五人の顔を見回した。一人頷いている。

「藤沢だど、葛西領の中だね。葛西晴信は()っていっか(いるか)?」。

 聞くので、葛西晴信が奥州仕置きで所領を没収されたこと、葛西大崎一揆の際に佐沼城で葛西一族がナデ斬りにされたこと、今その佐沼城に寄ってきたこと、そして、この須江山で惨劇があったことは一応、皆頭に入っていますと熊谷が応えた。

「んじゃ、この須江山の現地にかかる(はなす)で良いべ(ね)。時間はどのくらいあん(る)の?」。

「須江山にも上りたいと思っています。佳景山駅に三時ぐらいには戻りたいと思っています」。

 熊谷に代わって俺が応えると、腕時計を見ながら気合いを入れ直した小父さんだ。

「今二時ちょっと前だね。良()(わが)った。天正十九年、一五九一年だね。

  その八月、桃生郡深谷の庄、今の東松島地区にある小野城。そごは伊達政宗の家臣・長江播磨守勝景ながえはりまのかみかつかげ)入道(にゅうどう)(げっ)(かん)(さい)の居城

 だ。

  そごに葛西・大崎一揆に関わったかどうかに関係(ねャ)ぐ葛西一族(いづぞぐ)の旧城主・館主が集められだ。伊達政宗が関白豊臣秀次にとり

 なすて所領を安堵するからどお触れを出()て、それに応ずで集まってきた(ひと)(だづ)だ。

  小野城で政宗の饗応を受けた殿様達は人数も多い()従者も連れでいる。そこで政宗は近くの深谷の庄、須江山に勾配の緩い広

 地がある、そごに移って吉報を待でど言います。

  皆がそごに(うづ)って各々陣幕(ずんまぐ)を張り(のぼり)を立で、吉報はまだがまだがど待って四日。そ()て運命の日、八月十四日になります。

 未(   ひつじの刻だがら午後の二時頃になります。須江山がら騎馬武者、鉄砲隊、槍隊、弓矢隊に徒士(かち)、かなりの数の軍兵が東浜街道

 をやってくるのが見えますた。馬印、旗差し物から政宗の家臣(かすん)である泉田(いずみだ)安芸(あき)が率いる軍兵であるごどが分ります。

  泉田安芸は伊達家中の中でも百戦錬磨の猛将と言われだ人物です。その軍兵の一部が須江山を通り過ぎで行ぎま()た。

 須江山から見ていだ葛西の殿様(だづ)は伊達の軍団の頼も()さを思う反面、さてどう()たのだろうと思います。

  そ()て、軍兵が続々と続ぐ南側の東浜街道から、泉田安芸の大音響の声が響きます。離れだどごろに居る葛西の殿様(だづ)に聞こ

 えだがどうがは関係ありません。要は正当化するための物だったのです。

 『主君、我らが政宗公は、誓約のとおり旧領安堵と助命について関白秀次様に専心嘆願に及び候えども、関白殿のお目見え(よろ)

  からず、一揆の統領は一人残らずはた(・・)()に及ぶべ()と仰せ付けに御座った。よって、今は之までに相成り申した』

 と言います。 はた物とは、はりつけ、討伐を言います。

  そ()て、泉田安芸は『逆縁ながら、政宗公に代わり各々方のお命頂戴仕り申―す』と言います。

  言い終わると同時(どうず)法螺貝(ほらがい)が山野に響き渡ります。

  街道を通り過ぎで行った軍兵は、須江山に集まった殿様だけでなく従者も一人残らず皆殺()にする為に後ろ手に回ったのっし

 ゃ(回ったのでした)。ブオー、ブオーと鳴り響く法螺貝が合図で()た。

  泉田安芸率いる軍兵は一斉に葛西一族の殿様達に襲いかがります。皆さんが歩いできだこの須江山周辺は、当時(とうず)(ひろ)(ぶず)(ぬま)

 いう沼と湿地帯(すっつたい)()た。道は東浜街道一本す(し)かありませんで()た。

  その一本()かない東浜街道に須江山から逃げ出るど、伊達の鉄砲隊が容赦なく撃ってきます。逃げられるどごろが無かったの

 っしゃ(のです)。

  最早これまでと自刃(ずずん)の場に選んだ所が小川の側で有り、今に語り継がれている殿入沢なのっしゃ。首を掻き切る者、刀を差し

 違える者、あるいは切腹する者が居ま()た。

  殺されだ私のご先祖様はこの近在の土地(とず)の梅木と言うところに住んでいた葛西氏家臣桑島掃部(くわしまかもん)(のすけ)政安(まさやす)と言います。わが家

 に残る古文書には殺された城主・館主等の名が残されていんべ(います)。

  葛西氏に縁故のある者と()て桑島家は約四百年間、この地で非業の()を遂げだ人々の霊魂を弔ってきま()た。

  討伐軍の伊達政宗領となって、憤死()た葛西氏ゆかりの人々を表だって鎮魂するごどは出来ません。そこでご先祖様は、氏神

 様を祀る祠を建てお墓の代わりに()ようど考えだのっしゃ(考えたのです)。

  それを拝むごどによって亡くなられた人々の霊を弔ってきたのです。

 これからその氏神様の祠と殿入沢にご案内()ます。何かご質問はあっぺが(ありますか)」。

 俺達の中から、誰も何も発しなかった。

「無ければ行ぐべ(行きましょう)」。

 先頭に立つ桑島さんの後に五人が続く。庭を外れ、山際に僅か十メートル程行った所に一段高くなった四、五坪程の平地があった。その左側が山から続く窪みで水嵩のない小川が流れている。

「皆さんが今、立つ、こごが自刃の場で、殿入沢です」。