(サイカチ物語・第四章・古城巡り・4)
予定より少し早く出発する。県道三十六号線は次の登米市寺池まで一本道だ。俺と熊谷で登米町寺池桜小路と目的地を調べていたので町の中に入っても迷うことは無かった。
「ようこそ、宮城の明治村へ」の看板が目に入った。観光物産センターのパーキングにバイクを止めて、道路を挟んで有った城址公園を歩いた。葛西氏太守の本拠だというのに古城を忍ばせる遺構らしい物は無い。城址碑が立つ寺池城跡という一部の石垣が残る。
俺と熊谷はこの周辺に国や県の重要文化財の指定を受けた明治時代の建造物が集中して複数あることをネットで知った。二人で見る価値あるねと計画作りの時に話し合った場所だ。女性三人にそのことを話し、有料見学になるけど見て回ろうと誘った。腕時計は間もなく十一時十五分になろうとしている。
俺達は物産センター前に置かれていた観光案内パンフレットを各々手にした。
最初に入った教育資料館にビックリした。今は教育資料館だけど旧登米高等尋常小学校校舎だったとある。そのコの字型の木造二階建て洋風建築は校庭を前にして開放された廊下が設置されていた。建物の二階中央にバルコニーがあって、そこから校舎の教室全体を左右に見渡すことが出来る。貴重な建造物らしく国の指定重要文化財になっていた。
五人共、なぜ現代はコンクリート製の学校なんだろうねって事になった。それほど魅力の有る木造建築の旧校舎だ。
次ぎに武家屋敷通りに入り水沢県庁記念館に行った。その名のとおり明治時代の始めに今の岩手県南部と宮城県北部を治めた水沢県の有った時の県庁舎跡だ。
「水沢県なんて初めて聞いた」。
京子の言葉に、他の女性二人も同調した。
「変った門ね、この門を何て言うの?」
美希の質問だ。カブキモン、冠に木の字の門って書く。
「へーッ」
側で聞いていた梨花が美希の代わりに応えて、聞いた。
「家の造りは?」
「母屋は入母屋造りの純和風、付属棟が平屋の洋風建築で日本独自の和洋折衷建築」。
今度は俺の代わりに熊谷が説明した。水沢県庁廃止の後、小学校や裁判所としても使われたと案内板にある。しかし、中に入って見ると、残されている物が何時の時のものか分らなかった。次の警察資料館も見たいからと時間を気にして見学を急いだ。
五分程歩いて白ペンキ塗りの洋館があった。
「綺麗な洋館。こういう木造の洋館に住んでみたいね」。
京子の言葉に熊谷が、これが旧登米警察署庁舎だと言う。
「えーっ、モダン。素敵じゃない?警察だなんて思わないわよ。バルコニーから何が見えたのかしら」。
その敷地全体もレンガ積みの柱と白ペンキ塗りの木造の塀で囲まれている。家屋の中に入ると、いきなり鉄格子の牢があった。
「えーっ、牢屋?」。
途端に住んでみたいの感想がトーンダウンしたようだ。女性三人が笑い転げた。だけど明治二十二年の洋風木造建築物として十分に評価されるべきだろう。
見学した三つの建造物の閉館は年末年始だけだった。京子が開いていて良かったーと言う。皆が佐沼城での事を思い出して笑った。
ネットでは気づかなかったけど、この歴史建造物周辺の一角は電線も地中化され環境美化の行き届いた街区になっていた。綺麗な町並みを夏の太陽の光が一層引き立てている。
「昼食だね、何を食べようか」。
熊谷の声に、腕時計を見ると十二時を少し回っていた。皆で中華が良いとなった。あそこにしない。他にもラーメン店はあったけど京子が指さすご当地名物定食とラーメンの看板に皆が賛成した。大衆食堂「浜木綿」とある。
店内は二十人ばかりの椅子席のある和風の造りだ。中華は単品のラーメンと焼き餃子しか無くて、アレ?ってなった。定食の写真だというメニューの麺類にも丼物にも大きな油麩が載っている。皆が、麩がこんなに大きいのは初めてと言う。
「ひと山越えると食文化も変わるね」。
熊谷が言う。寺池から遠く離れていないのに大きな油麩を売る店やスーパーを俺達の住む町で見ることはなかった。昼間から油物中心で胃に重くないかなと言っていた梨花も興味を持ってミニ油麩丼を頼んだ。熊谷と俺は「油麩丼とミニはっと汁」のセットにした。京子と美希はラーメンを注文した。