(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・29)
大籠地区のテントに父と母と明子の姿が見えた。父母の前に行って、今日はこの後も竃焼きを手伝って帰宅が遅くなると伝え、熊谷を紹介すると言って藤沢地区のテントまで来て貰った。父は、これからも俊明の良い友達で居てくださいと言った。熊谷は突然なことだったので恐縮していた。付いてきた明子が、分けもなくニコニコしていた。
周りはすっかり暗くなった。テントから漏れる光を外れると足回りは暗い。各テントと特設舞台と売店の光が一層闇に浮かび上がって見える。
会場中央の縄文の炎は益々闇の中に煌めき、時折、十メートル程にもなる火柱を立てる。その前に立って見物する人の姿は炎の中に黒いシルエットとなって映し出される。ときおり飛び散る火の粉は一瞬輝き、そしてより深い闇を誘う。
十四基の窯もバタ材の炎を上げ、火の粉が闇を舞っている。見物に立つ人、歩く人、何処を見ても闇の中に浮かぶ。会場一帯は自然の黒い闇と赤々と燃える炎が織りなす、まるで幽玄の世界だ。
俺と熊谷の位置から特設舞台は七、八十メートル先だ。縄文の炎の先に、遠く、そこだけが闇の中に明るい。間もなくよさこいソーランの演舞が始まる。美希達の前の演目、二日町祭神太鼓が会場内に鳴り響いている。
岩城先生夫妻の姿が消防団詰め所の隣にある徳田地区のテントの明かりの中に見えた。誰かと話をしている。野外ステージで踊るべしという先生の奥様のご託宣通りにはならなかった。しかし、京子が必ず見に来て下さいと言った通りの時間に合せて来たらしい。
「岩城先生が来たよ。あそこ」。
指さして熊谷に教えた。バタ材を窯に足していた熊谷の上げた顔は濃くなった闇を背にして一層炎の光に赤い。太鼓の音が止み、観衆の拍手が静まった。それを計っていたようにアナウンスが入った。
「次の演目は藤沢高等学校生徒の有志による、よさこいソーランの演舞です。藤沢高校は来年三月を以て五十九年の歴史の幕を閉じることになりました。今日のこの日のために練習を重ねてきた最後の三年生有志による演舞をご覧下さい」。
会場のあちこちから大きな拍手だ。軽快なテンポの音楽が流れメンバー九人が徐々にステージに現れた。前列五人後列四人、観客席から九人が重ならない体勢にそれぞれのポジションが定まると音楽のテンポも踊りの力強さも増した。
そして、鳴子の音と一緒に時折踊るメンバーが一斉に出す声は若いエネルギーを舞台一杯に発散させた。俺と熊谷の立つ所にも良く聞こえる。
赤と緑のねじりハチマキに髪飾りを着け、黒いTシャツに細身の黒いズボン。末広とかいう扇形の文様があしらわれた前あわせ型の振り袖長半纏、赤と緑の鳴子を持って美希は踊っている。前列の右端だ。他の八人と一緒に舞台狭しと躍動している。俺も熊谷もバタ材の追加の手を休めて舞台に注目した。
遠くても、美希も梨花も京子も縄文の炎に遮られることなく踊るところを見れる。岩城先生と奥様が俺と熊谷の後ろに立ったのに気づかなかった。俺の真後ろで、美希さん頑張ったわねって言う声に、ちょっと驚き、振り向いて奥様と分かった。
挨拶しようとしたら、右手で俺の発言を抑えるようにした。見ましょう、と言う。奥様はその間も特設舞台から目をそらさない。先生も踊る美希達を見ている。俺は急に涙が出そうになった。
特設舞台に向いて閉じた唇に力を入れた。美希は踊った。踊っている。若年性乳がんに冒された少女が踊っているなんて、知っている人はこの会場に何人いるだろう。そう思うと、縄文の炎の先に見える特設舞台が霞む。首に回した手ぬぐいで汗を拭く振りをして涙をぬぐった。
美希達の二十分間の舞台が終わって、町民一般参加の盆踊りが始まった。大きな輪が縄文の炎と十四基の燃える窯との間に出現した。特設舞台でも浴衣姿のご婦人団体が踊っている。よさこいソーランの演舞で終わりではなかった。
俺と熊谷の所に岩城先生ご夫妻を案内したのは先生と同じ徳田地区に家のある同じクラスの佳奈(畠山)だった。俺と熊谷の後ろで先生夫妻と一緒によさこいソーランの演舞を見ていたらしい。奥様は美希の病気の事を夫である先生から聞いていたのだろう。
必ず見に来てくださいと言ったのは京子だ。その千葉さん頑張っていると言わず顔を見たこともない美希さん頑張ったわねって言ったのも先生から美希の経過を聞いていたからだろう。
「良かったわ。良く揃っていたわよ。やっぱり皆、若いわねー。エネルギーが有り余っている感じだわ」。
奥様の感想に、いつも饒舌な先生は首を縦に二度ほど振るだけだ。
「熊谷君も及川君もまだ窯焚きのお手伝い続くの?」。
「はい」。
熊谷と俺の返事が同時だった。佳奈が笑った。
「また遊びに来てね」。
奥様が言うと、佳奈が先になって歩き出した。先生ご夫妻は徳田地区のテントの方に向かった。その先に会場出入口がある。
盆踊りの輪の中に、よさこいソーランを踊った衣装のままの一団が見えた。梨花さん達が舞台を終わってそのまま会場内の盆踊りの輪に加わった。踊りながら徐々に俺達の居るテントの方に近づいて来た。
藤沢地区のテントの中にいた京子のご両親が、良かったよーと言いながら拍手で迎えて、それから自分達も盆踊りの輪の中に入っていった。隣の大籠地区のテントの中で、踊りの輪を離れた美希と小父さん小母さんが何か話している。美希が俺の所に来た。
「帰るね。明日連絡する」。
それだけ言って俺と熊谷に手を振った。それから盆踊りの輪の中の梨花、京子の所に行った。何やら話して、二人に左手を振っていた。帰ると伝えたらしい。