(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・27)

 

   俺達の席からも薄い板木に一つの火が移されたのが目に入った。歓声とともに一段と大きな拍手があちこちから沸き上がった。その火が中央の六角井桁の櫓に積まれた藁とバタ材に移されると、更に大きな歓声と拍手だ。縄文の炎と呼ばれる巨大な櫓に火が入った瞬間だ。縄文の炎、今は亡くなられた彫刻家の岡本太郎さんの命名だと思い出した。

 

   俺の携帯が鳴り出した。美希からのメールだ。今どこ?って聞いてきた。早いなと思った。両親と一緒なはずだ。俺は、今、熊谷と一緒に藤沢地区のテントの中と打ち返した。駐車場からでもメールを寄越したのだろう、十分とかからず美希が小父さん小母さんと一緒に隣の大籠地区のテントに姿を現わした。

   三人は俺の家族と同じに大籠地区の住民だ。そこに集まる人達に先に挨拶するのは当然だ。美希と目が合った。両親と一緒に地区の人達に一通りの挨拶を終えた美希が一人離れて俺達の方のテントに来た。

   

   美希は浴衣姿だ。病院でも見た薄いピンクがかった地に濃い緑の葉と赤と紺とピンクの朝顔が咲く浴衣だ。帯が赤から幅広い黄色に替わっていた。今日の方が似合っている。化粧もしていた。眉を引き、睫毛がいつもより濃くアイラインも入っている。頬紅を薄く入れ、唇もうっすらと赤い。踊るときには化粧ももっと濃くなるのだろう。長い黒髪も丸めて飾るのだろう。でも俺は今の美希に満足した。美しい。胸がドキドキしてくる。化粧をした美希を見るのは初めてだ。手には花柄のボストンバッグを持っている。よさこいソーランを踊るための衣装や小道具、シューズ等が入っているのだろう。

 

「早かったね、まだ集合時間には一時間近くもあるだろう」。

  声を掛け、俺の座っていたパイプ椅子に座るよう誘った。いつもと違う美希の姿に熊谷も俺の横に立ったままだ。見とれている。

  会場はまた大きな歓声と拍手に包まれた。振りかえると、会場の真ん中で十メートル近くにもなる巨大な火柱だ。縄文の炎が燃えだしていた。

  テントの中が急に慌ただしくなった。二、三メートルほどある長い棒を持った小父さんが五、六人、テントから出て行った。棒の先には油をしみこませた布が巻かれてあるハズだ。窯に火入れを行なうとアナウンスが流れた。

  各地区のテントから出てきた小父さん小母さん達が盛んに燃え始めた縄文の炎に棒の先を突き当てる。暗くなり始めた夕闇に、棒の先に燃え移った火を窯に持ち帰る姿はまるで蛍を追う人影に見えた。

 

   目の前の窯に火が入った。空気穴近くに重ねられた藁と小枝に火が移された。程なく窯の土手では藁に変わって井桁に組まれたバタ材が燃え出した。燃える勢いが徐々に増していく。会場のあちこちの窯も火と煙が立ち上がっている。今年は窯の数が十四基。出品作品が千を超える。熊谷が今年の出品状況を岩城先生の家で言ったことを思い出した。

 

   出品作品の数によって窯の数が年毎に変わることは俺も知っている。これから火を落とす夜の十一時までの凡そ五時間、十四基のどの窯もバタ材を注ぎ足して、また注ぎ足して燃やし続ける。腕時計を見ると七時近かった。美希は窯の土手で藁を燃やすのも、窯に火が入って井桁に組まれたバタ材が土手で燃えるのも、近くで見るのは初めてだと言った。 

この後、俺も熊谷も続けてバタ材燃やしを手伝う。

 

「少しの間になるけど、会場内を一緒に歩いてみるか?」

   俺は美希を誘った。浴衣姿の美希を連れて歩きたい、二人になる時間を持ちたい、そう思った。でも俺の望みは一瞬にして消えた。二人連れで歩き出そうとして、美希、と後ろから声がかかった。声の主は顔を見なくても分かる。梨花の聞き慣れた声だ。美希と一緒に振りかえると、京子も一緒だ。これから踊る美希の仲間だ。二人とも化粧をしていたし同じように浴衣姿だ。二人は髪にリボンを付けている。

 

   結局、空いているパイプ椅子を集めて、テントの外を通るよその人の邪魔にならないよう五人で車座になった。熊谷が、午後九時以降に集まって話す予定だったのを今この時間に切り上げて打ち合わせをやろうと言いだした。

   夕方に俺が手にした日程表が三人に配られた。熊谷が、主なところを読み上げながら説明を始めた。

「一日目は藤沢町から宮城県牡鹿半島の「おしか家族旅行村オートキャンプ場」まで約百三十キロの行程だ。出発は八時半。学校の駐輪場から吉高を通って七曲峠から宮城県に入る。米川カトリック教会を見学。ここに藤沢町で発見された隠れキリシタンの遺物も多く展示されているのでそれを見る。

   その後、佐沼城址と葛西氏宗家の居城だったという寺池城址を見る。寺池には明治時代の建物が残っているというのでそれも見学する。昼食はその寺池で摂る。

   それから神取、和渕に向かう。古戦場の一つだけど見る物が無ければ通過する。その後、佳景山(かけやま)駅にバイクを停めて須江山に行く。山と言っても標高はそれほど無い。藤沢町周辺の城主、館主と葛西氏重臣達の終焉の場となったのが須江山だ。岩城先生も上った山だ」。

俺もだけど、誰も日程表に目を落としたままだ。