(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・26)

 

 熊谷も俺も藁焼きを続けているよその小父さん達の所に戻った。陽はまだ明るかったけど、藁を焚く炎が熊谷の日焼けした頬を余計に赤くした。

 窯への火入れの儀式は午後六時から予定されている。イベントは午後六時半からだ。プログラムには二日(ふつか)(まち)祭神(まつりじん)太鼓(だいこ)の後の五番目に藤沢高校よさこいソーランと載っている。その後が町民一般参加の藤沢音頭等となっていたから特設舞台で踊るのは美希達が最後になるのだろう。

 美希は、演舞は午後八時半からとハッキリと言っていた。集合は午後七時半。それまでは各自自由。各自夕食を摂って会場に隣接する藤沢スポーツプラザに集合する。そこに祭り本部が用意した臨時の控え室兼更衣室があると言っていた。美希が小父さん達と家を出るのは午後七時ちょっと前ぐらいだろう。

 

 会場案内図の通り大籠地区のテントと窯は藤沢地区と隣り合っている。俺が手伝いの手を出すのは本来なら住まいのある大籠地区の窯焚きだ。なのに、熊谷と一緒に藤沢地区の準備した夕食の仕出し弁当を食べることになった。さっき顔を出して、少しの間だけ居てまた実行委員会本部に戻って行った熊谷のお父さんの配慮だろう。熊谷と一緒に藤沢地区の藁焚きを手伝っている俺に気づいて、ご苦労さんと声を掛け、笑顔を見せていた。

俺の腕時計は午後五時五十分を指している。周りはまだ明るい。気温が高いのと藁を焼く熱に水分が欲しくなる。

 

「交代すっ(する)から食事を摂んべ(摂りなさい)」。

 俺と熊谷は後ろから声を掛けられた。知らない小父さんだ。真っ黒な顔で白い歯を見せている。ねじり鉢巻きも白い。

「そうすっぺ(そうしよう)」。

 熊谷が俺に声をかけた。小父さんにお礼を言いながら何時もの時刻より少し早かったけど食事を摂ることにした。

テントの中の椅子に座ると、よその小母さんが発砲スチール製のお椀に豚汁をよそってくれた。テントの後ろの外に大鍋が拵えてある。小父さんの一人が汗をふけと言ってタオルを呉れた。縄文の炎、藤沢町野焼き祭りと熨斗紙のあるタオルだ。小さなハンカチしか持っていなかったので有り難い。

 

「ビールやるか?(飲むか?)」

「高校生です」。

 まともに応えた。声を掛けた小父さんだって、俺と熊谷が高校生だと分かっている。返事がストレートすぎた。ジュース貰いますと言葉を足した。

 

 会場に目をやると、四、五十人もの男女が特設舞台と本部のテントのある間から出てきた。

 皆、布丈が足下まである袖口が広い赤色地か黄色地の布地を身に纏っている。頭からすっぽり被って着るものらしい。

 布地の前も背中の方にもシャネルのマークのような模様が太く黒く上下に二つ重なっている。炎の字に見える。ラッパ状の袖口にも太く黒い輪が染められていた。

 赤色地の布を纏った者は赤と黒の太紐を、黄色地の布を纏った者は黄と黒の太紐をねじりハチマキにも腰の辺りに巻いて絞める帯にもしている。赤色地と黄色地の布に黒がよく似合う。彼等は会場の中央に積み上げられた井桁の櫓を取り囲んだ。

 

 次ぎにアナウンスで紹介され、縄文人に扮した中学生が十五、六人も出てきた。皆、麻のカマスで出来た着物を身に纏い腰をわら縄で()めている。

 午後六時を合図に現代縄文人の火起こしが会場中央の六角井桁の前で始まった。二人一組になって一人が動かないように凹みのある火きり板を抑え、一人は火きり棒を凹みの中で懸命に回転させる。

 その周りを囲む赤色地と黄色地の縄文人は、ある者は立ったまま、ある者は跪き、皆胸の前に両手を合せて祈りを捧げている。俺と熊谷はテントの中からその光景を見ていた。

 

 俺は、例年、手を抜いて祭り参加を途中からしかしていない。初めて見る衣装であり光景だ。遠く離れているので現代縄文人の手元までは見えない。だけど、何時か氏家先生(教頭)が日本史の授業の時に言っていたことを思い出した。

 火きり棒の受け皿となる火きり板は針葉樹が殆どで乾燥した杉が良い。火きり棒には火がつきやすいアジサイか杉の枝が良い。真っ直ぐな枝を選んで良く乾燥させて使用する。火種を取るのに縄文人は火きり板の凹みにぜんまいの綿や木くずを使い、動物や魚の脂も利用した、と言っていた。

 

 三分も経たず会場中央で一筋の煙が立った。祈りを捧げる縄文人を取り囲んでいた見物客から拍手が沸く。いつの間にか取り囲む見物人の輪は二重、三重になっている。二本三本と現代縄文人の手元から立ち上る紫煙の数が増える。

 紫煙の向こうの青空に鱗雲が張り出している。空はもう秋なのかと、ふと思った。