(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・21)
十七
美希の家に行くことにする。俺は中断していた昼食を急ぎ済ました。腕時計は一時二十分を指している。
応答の声を聞いて玄関の戸を開けた。小父さんと小母さんがいつものテーブルの前に座っている。小父さん達も昼食を終えたばかりだったろう。美希の姿が無い。ちょっと前まで俺と電話していたのだ。自分の部屋だろう。
小父さんが、上がりなさいと促した。小母さんが、お茶を淹れてくれた。小父さんが病院での美希の診断結果を話してくれた。美希から先に電話があったとも聞いたとも言わないで聞いた。
「大変でしょうけど、俺に出来ることは何でも手伝います」。
小父さんの話が一段落すると、言った。
「ありがとう。美希は部屋だ」。
前に俺が美希の部屋に入ることを許した小父さんは、美希を元気づけて欲しいという気持ちもあったのだろうか、誘導するような言い方だ。
「部屋に行っても良いですか?」。
小父さんは無言のまま頷いた。
ノックをした。返事がない。
「美希」。
返事のないままドアを開けた。美希はベッドの上だ。病院に行ってきたときのままの服装なのだろう白い半そでシャツに紺のスカート、白いソックスだ。枕の方に何か入れているらしく上半身をやや高くしている。ドアに立つ俺の方を見た。
電話ではああ言ったけど、俺が来るのを予測していたかのように驚いた顔を見せない。涙の形跡は無い。俺がベッドの側に立つと上半身を起こした。右手を伸ばして俺の左手を握った。美希の目線に合せようと跪いた。
美希は俺の首に両手を巻いて自分の胸に俺の頭を抱き寄せた。胸の膨らみと体の温もりを左の頬に感じる。そして、俺の唇を求めてきた。俺は跪いたまま美希の上半身を抱きしめ、応じた。
机の上で不意に携帯が鳴った。美希は俺の口を離そうとしない。振動音が気になった。離れ、後ろになる携帯を取った。ディスプレイ画面に発信者の高橋梨花の名だ。
美希の机の椅子に座った。座高が俺と合わない。梨花が美希の診断結果を気にして電話を寄越した。美希は俺に説明したこととは違ってごく簡単に今後の治療等の事を言い、明日から練習に参加すると伝える。
「野焼き祭りで絶対に踊るから、踊るメンバーから絶対に外さないでよ」。
「美希は振りをマスターしているから練習は無理しなくて良い。一緒に踊るよ」。
美希の右耳に当てた携帯から漏れて聞こえる。
「野焼き祭りは十一日。治療の開始は二十日以降だから治療の関係は問題ない。明日から九時の集合時間に遅れないように行
く」。
梨花との電話が終わると、今度は京子だった。間がさほど無かった。京子も診断結果を気にしての電話だ。転移は無かった。美希はそれを強調する。治療に意外と時間を取られるけど外来で済む。学校に通いながらの治療で済むと伝えていた。そして、治療の開始は二十日以降だと付け加えた。
京子との電話が終わると、美希は俺の顔を見た。
「そうだ、俊ちゃん、十一日の土曜日でよさこいソーランは終わりだよ。キャンプの日程を立てなきゃ」。
俺は美希の顔を見返した。
「本当に行くのか?。マジ、体は大丈夫なのか?」。
「うん、大丈夫。行く。俊ちゃんに迷惑かな、ダメ?」。
「いや。ダメなこと無いけど、美希の体が心配だから」。
「平気よ。ねっ、インターネットでお天気の長期予報を見ようよ。キャンプだもの天気が良い日に行った方が良いでしょ。夏休み
が十九日で終わり。よさこいソーランの本番が十一日の土曜日。その間は僅か八日しかないよ。一泊二日、いや折角行くんだか
ら二泊三日ね。それで、天気予報の良い日を選ぶって結構大変かも。調べてみようよ」。
座敷の片隅に置いてあるというパソコンを使うことになった。美希が廊下に出て目の前の座敷を開けた。初めて見る部屋だ。広い。左奥の隅にパソコンと椅子が見えた。木製の袖無しテーブルの上にパソコンと電気スタンド、鉛筆と消しゴム、ボールペンが入った筆箱、メモ用紙が置かれてある。
その横のスチール製の整理棚の上にキャノンのプリンターだ。座敷全体が畳なのではなく、パソコンの置いてある二畳ほどの所は板の間になっていた。昔は箪笥など家具を置く場所だったのだろうか。木製の黒い引き戸を開ければその先が土間のある居間に続くという位置関係だ。
畳の部分は二十畳もある。南側の庭やガラス戸のある廊下と反対側になる北側の真ん中に一間幅の床の間だ。その右に違い棚のある脇床。床の間と脇床の左右に天袋のある襖が建てられている。座敷に入るときに開けた障子の左横が書院造りだ。美希ん家は家にも歴史のある昔ながらの家だなって改めて思った。
俺がパソコンの前に座った。天気予報を見てみようとした。
「そうか、行き先を決めないと天気予報も何もないね」。
二人で少しばかり笑った。