(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・16)

                十二

 七月十七日火曜日。授業が始まる前、梨花が聞いてきた。

「三連休中に及川君は美希のお見舞いに行ってきた?」。

「いや、行っていない」。

 とぼけた。免許取り立て、カブを乗り回したくてウズウズしている京子は熊谷とバイクの話をしている。声が大きい、天気が良かった昨日、一人で気仙沼方面に海を見に行ってきたらしい。夏休みにツーリングで何処かに皆で行こうと周りに聞こえるような声で熊谷を誘っている。熊谷の目が俺と一瞬会ったけど、俺は横を向いた。

 お昼時間、熊谷と並んで教室で一緒に昼食を食べた。この三日間、勉強出来たかと聞いいてきた。美希が心配だろう?と俺が美希を思うことも気にしてくれた。そっと言った。      

「明日退院出来る。明後日には学校へ来るよ」。

 意外だったようだ。俺の顔を見た。

「それは良かった」。

 近づいてきた京子が耳にしたらしい。

「何が良かったの?。美希ちゃんは大丈夫だった?」。

 京子の語尾は俺に向けられた。返事を待つことも無く、美希ちゃんは大丈夫。しっかり支えてあげてねと言う。まるで美希の病状を知っているし俺の行動を知っているような口ぶりだ。熊谷にも京子にも俺は美希の病名を言っていない。

 

 学校の帰り、面会ノートに記帳するのももどかしかった。階段を一足飛びに上がった。腕時計は午後四時を回っていた。ドアの前で深呼吸を一つした。美希に落ち着いた素振を見せようとした。

 ノックした。返事のないままそっとドアを開けると、小父さんと小母さんの顔が一緒に俺を見た。ベッドに近づいて挨拶すると、小母さんが丸イスを俺の方に寄越した。いえ、そのまま座っていて下さいと遠慮したけど、聞き入れなかった。ありがとう御座いますと言って、点滴をしている美希の左腕を前に座った。点滴スタンドが右横にある。

 美希は朝顔柄の浴衣を着て上半身をベッドに起こしている。先日は気づかなかったけど朝顔の花は赤と紺にピンクだ。緑の葉に鮮やかに映えている。微笑む美希の顔色は良かった。

 来る道々で美希と二人だけの空間を想定していたから、ちょっとがっかりした。

 「今打っている点滴が最後だ」。

 看護師からでも聞かされたのだろう。小父さんが言う。

「美希は明日は学校を休むけど、明後日からは普通に学校に通う。朝と夕方の送り迎えを自分がするが、どうしてもそれが出来な

 いときに俊明君に頼むかも知れない、宜しく頼む」。

 丸イスに座ったまま俺に向かってお辞儀をした。小母さんは自家用車(くるま)の運転免許をもっていないという。俺は、美希の顔をちょっと見て小父さんに応えた。

「朝夕の送り迎えは俺が自分のバイクでします。酷い雨の日とかバイクの二人乗りは止めた方が良いというようなときは小父さんの自家用車(くるま)でお願いします」。

 俺は自分からそうしたかった。舗装された道だから振動が大きくて美希の傷口に影響するというようなことは無いだろう。いつもよりゆっくりゆっくり走っても良いのだ。

「ありがとう、そうしてくれると助かる」。

 小父さんは生き物を飼う畜産業ではないから夕方は比較的に時間を自由に計画することが出来るだろう。しかし、朝は葉物野菜等の出荷に向けて収穫と梱包等に時間も人手も取られる。俺の親父と同じ立場だ。

「明日お医者さんに聞いて、それで支障がなければ俊明君に頼む」。

「はい」。

 美希が首を縦に頷いてにこっとした。

 その後、学校の話が出たり、俺の進学のための勉強の話になって午後五時半を過ぎた。小父さんが、途中どこか街中で夕食を一緒に食べようと誘ってくれた。だけど俺は、学校の事で美希に連絡事項があるので、もう少ししてから帰りますとお断りした。

 小父さん小母さんに嘘を言ったのは悪かったけど美希との二人だけの時間を持ちたかった。小父さんは、うんと頷くと間もなく小母さんを促して病室を後にした。

 二人だけの時間を持ちたかったのは美希も同じだ。二人だけになると、丸イスに座っている俺の右手を引っ張った。その右手を美希の肩に回した。愛してる。そう囁くと、美希も愛してると応えて、ベッドに座ったまま上半身を俺の右胸に預けてきた。口を吸い舌を絡める。

 胸元から左胸に手を入れた。ブラジャーをしていない、固く暖かい膨らみが俺の左手に伝わる。しばらくそうさせてくれたけどピクンと身を震わせると右手で浴衣の上から俺の左手を押さえた。心の中の嵐を押さえ込むのに俺は悶々とした。

 間もなく、夕食を伝える、お食事でーすの声が廊下にした。自分で歩ける患者は取りに行くシステムだ。美希に代わって夕食のトレーを取りに行く。美希は自分でベッドから降りて、点滴スタンドを持ってベッドの足元の方から周り床頭台の前のイスに座った。

 俺は窓辺に立った。外はまだ十分に明るい。正面の館山は病院の庭に植えられた大きな松の木に遮られて意外にも頂上の辺りしか姿を見せていない。頂上は繁った夏の杉木立に黒々と覆われている。俺と美希はこれから先どうなるのだろう、そう思いながら俺は何も想像することが出来ない。

 食事を終えて、歯を磨く美希の音に振りかえった。カーテン閉めて良いかって聞いた。タオルで口元を拭いた美希は首を縦に頷いた。カーテンを引いた。それが合図のようにベッドの側に二人で互いに寄った。立ったまま長いキスと抱擁を交わした。俺の心の中の嵐を抑え鎮めてベッドに二人で腰掛けた。

 明日は退院したばかりだから美希は家族と過ごす、俺は我慢して美希の家に寄らない。明後日はいつも通りの時刻、場所で朝、待ち合わせる。天気が酷く悪かったり何かあったら俺の携帯に連絡する。俺の方でも予定外の事が生じたら美希の携帯に連絡を入れる。二人で話し合ってそう決めた。