(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・13)
十一
七月十四日、土曜日。俺が二階に戻ったところで携帯が鳴った。美希からだ。今日から面会が許されたとある。そして、愛してるの言葉とハートの絵文字が五個も並んでいた。
会いたい。遅い朝食を一人で終わったばかりだけどすぐに出かける用意をした。町民病院の面会許可時間は土曜日は確か午前十時からOKだ。そう思い込むと確かな時間を確認しないまま家を出た。
父母はとうに朝食を済ませ小雨の中も野良に出ていた。そういう時は俺か明子が店番だけど、明子が自分の部屋に居るのかどうかも確かめる時間さえ惜しい気がした。一階に降りて少し前までいた食卓の上に美希のお見舞いに町民病院に行きますとメモを残した。見ると腕時計は十時前だ。PCXの吐く音は快調だけどバイクで風を切るには肌寒い日だ。
病院の玄関の手前の築山に「忘己利他」と刻まれた石碑がある。いつもはただ通り過ぎるのに俺は石碑を正面に見て、宜しくお願いしますと手を合せた。何時だったか熊谷が、この病院の初代院長が揮毫したものだと言っていた。自治医科大学の地域医療の確立という建学の精神の上に立った言葉で商業感覚を排除して奉仕の精神と思いやりを説いたものだと父に教えられたと言っていた。
この町民病院は医師の確保を自治医科大学に頼っている。美希の主治医の先生も自治医科大学の出身なのだろう。町民皆の信頼の厚い病院で、全国自治体病院協議会や総務大臣から優良病院表彰を受けているほどだ。
玄関口で備え付けのスリッパに履き替えて廊下に上がった。
「及川さん?」。
白いワイシャツに学生ズボン姿の俺に、年配の看護師さんが聞いてきた。
「はい」。
「私の負けね」。
なんのことか分からない。笑顔を見せて、そのまま事務室前を通り過ぎ院内の奥の方へ向かった。
ノックした。はい。としっかりした声が返ってきた。ドアを開けた。
「ほら、来た」。
「どうしたの?」。
ベッドに起き上がっている美希のもとへ寄った。左腕にはまだ点滴が打たれている。
「小父さん達は?」。
「まだ来ていない。来ると思う。お父さん達と俊ちゃんとどっちが先にここへ来るか、さっきまでここに居た看護師さんと掛けをしたの。お父さん達に先にメールも電話もしたんだよ」。
ベッドの側にあった丸いすに座ろうとした。
「ダメ」。
美希は目を閉じて目の前に唇を突き出した。
俺は両手で肩を軽く抱き、何処にあるのだろう傷口に影響しないか気にしながらキスをした。はだけた胸元から白い左側の胸の膨らみが見える。手前の右胸は浴衣の下だ。点滴したままの左手を動かして、ここよと指さし、ガーゼの当たった右胸は見せられないと言う。
「頑張ったね」。
頷いて自分で言っていながら途端に涙が出そうになった。堪えた。美希は俺の左手に右手を重ねた。
「動かせるんだ」。
「大丈夫、快復力が早いんだって。先生が言ってた」。
美希の顔色に特に変わりは無い。頬にうっすらと紅がさしているくらいだ。
「体温も、もう平熱に戻っているの、血圧も良好だって。食べるものも飲むものも制約はないけど刺激の強いものは避けるようにって言われた。来週水曜日には退院よ」。
「クラスの皆が心配してる。病気が何なのか梨花も京子も知りたがってうるさかった。皆はまだ知らない。面会は小父さん達の要請で控えることって先生から伝えられたから美希に連絡を貰った俺以外、誰も来ないと思う」。
学校での皆の様子を語った。美希は、退院して外来に通うようになるから学校に出たら自分から皆に病名をハッキリ伝えると言う。その方が自分自身気が楽だし、皆の協力も得られると思うと言う。少し緊張した顔で言ったけど、確かめるようにしながら話す言葉はしっかりしていた。