(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・10)

 

                七

 今朝も雨は残った。二日続きの雨だ。昨日は南風だったけど今日は北風が吹いている。バイクに乗って風を切ると余計に肌寒く感じる。美希はいつもの場所で待っていた。昨日と同じにピンクのレインスーツ姿で足下もピンクの防水ブーツで固めている。

減速して近づき、行くぞって声を掛けてそのまま俺は加速した。少し走ってカブの音が後ろでしない。PCXを停めて後ろを振りかえると、美希はそのままの位置でカブの横に立っている。

「どうした?」。

そう声を投げたけど、じっとしている。PCXの頭を返して美希の位置まで戻った。下を向いている。PCXに跨がったままだ。

「どうしたの?」。

 また声を掛けたけどそのままだ。俺はPCXを降りて左肩に右手をかけた。美希が目をつむったまま顔を上向きに俺の方に向けた。雨粒の幾つかが顔に当たった。軽くキスをした。そうしたら途端に、行こうって声を出して自分からカブに跨がった。笑顔を見せる。

「遅れるぞ」。

と言う。これがその後の俺と美希のいつもの朝の挨拶になった。

 駐輪場から坂道を上りながら聞いた。

「昨夜、小父さん小母さんと話したか?」。

「病院の先生が言うとおりに来週の水曜日に入院して木曜日に手術を受ける」。

 美希の決心だ。勿論、両親の反対は無かったけど小母さんの涙が止まらなくて困ったという。坂の途中から美希の右手を握った。頑張るしかない、心の中でそう呼びかけた。

 

 お昼の休憩時間に熊谷が勉強の進捗状況を聞いてきた。俺は志望学部を変更しようと思っていると言った。驚いた顔をした。でもその理由を言うと、漠然と進学するより大学も学部も目的を持って選択する方が良いに決まってる、そう言って賛意を示してくれた。

「俺と違って及川は自分で選べるよ」。

 熊谷は医者になることは自分の選択でも半分は父親の職業柄と思っているのかも知れない。言い方が悪かったと思ったのか、彼は言い直した。

「応援するよ。俺も自分の意思で決めたんだ」。

 吾妻鏡を明日交換しようと約束した。元々六月末で熊谷の手にある一巻二巻を俺の方に俺の手にある三、四、五巻と別巻を熊谷に渡すと二人で決めていた。途中、千葉さんの手に渡っていた一巻、二巻は熊谷の手に戻っているという。千葉さんから三巻以降を貸して欲しいと俺には要求がない。

 俺も熊谷も勉強の合間に読んでいる。精読するほどの時間は無い。吾妻鏡が凄い分量だということは良く分った。岩城先生の言うとおりに大学に進んだら改めて読みたい本の筆頭だと思っている。

 雨はやっと午後から上がった。昨日と同じように図書室で待つことにした。赤本の英語の過去問を本番と同じ九十分に設定して解く。その後に解答編を当たって復習していれば美希が図書室に姿を見せる時間になる。

                八

 七月六日金曜日。三日ぶりに朝からよく晴れ上がった青空だ。テレビの天気予報は昨日より気温が五、六度高く、二十四度ぐらいになると伝えている。

 美希は久しぶりに白い半袖シャツに紺のセーラー服、白いソックス姿でヘルメットを被り待っていた。病院へは小父さんと小母さんが美希の決心を伝えに行くことになったと、昨日の帰りに聞いている。PCXを一旦降りて肩を抱いた。そういえばこの時刻、人通りの無いことに今になって気づいた。人口の過疎化が良いのか悪いのか、今は良い。

 教室に入ると、熊谷がお早うと言いながら紙袋を手に寄ってきた。俺は鞄に入れてきた吾妻鏡三、四、五巻と別巻を熊谷に手渡した。鞄はやっと普段の膨らみになった。熊谷が昼飯を一緒に食べようと提案した。約束をした。

 天気が良い。俺も熊谷も弁当を持って裏山に登った。裏山と言ってもこの学校のある山全体が愛宕山だ。講堂の裏口から上履きのまま出て緩やかな坂道を百メートルも上れば頂上だ。標高差は講堂から三十メートルぐらいのものだろう。

 自然のままの坂道は昨日までの雨で濡れ、普段よりも石ころをむき出しにしているが泥濘(ぬかるみ)がない。雑草が砂利と石コロの間の隙間を埋めていた。周りの青々と茂る低木の雑木と雑草はまるで休めていた羽を伸ばすかのように陽を浴びて葉表を光らせている。見上げると、葉桜となって繁る枝の合間から青空が見えた。

 桜と楢の木の林間を通って頂上に出る。三百六十度視界が良い。頂上は尾根道に僅か二間四方ぐらいの空き地があるだけだ。この先、尾根に沿って道幅一メートルにも満たない野道が続く。まっすぐ進めば葉山神社に出る。西の方、遥か遠くに北上山系に入る須川連峰の山並が霞んで見える。

 陽の当たっている適当な大石を選んで俺と熊谷は少し離れて腰を下ろした。会話をするのに十分な距離だ。大石はお尻に暖かい。

 弁当を食べながらだ。熊谷が聞いてきた。

「夏休みは何か予定があるか?」。

「勉強すること以外無いね」。

「それはそうだけど、忙中閑。自分でそういう時間を意識して作らないとタダの受験生になってしまう。計画的に息抜きしよう、

 どうだ?、夏休み終わり頃に岩城先生が推奨していた佐沼城や寺池、須江山に行ってみないか?」。

 熊谷の顔を見た。ニコッとした。

「一泊二日か二泊三日で、バイクで回ろう。ツーリングだ。キャンプと海水浴も良いんじゃないか?。町のイベント(藤沢)野焼 

 き祭りと家々の旧盆の行事が終わってとなるとどうしても出かけるのは夏休み終わり近くになる」。

 岩手県内の学校は小中学校も高校も気候を考慮して夏休みは短く冬休みが長い。毎年、八月も二十日前後には夏休みが終わる。そのことを計算に入れての彼の提案だ。

 しかし、俺は、熊谷も他の同級生も知らない美希のことを思った。

「無理だと思う。考えてはみるけど」。

 御飯が美味い。母の作ってくれた厚焼き卵が妙に甘い。

 熊谷が話題を変えて言った。

「親父が言ってた。この町に古文書を読み解く同好会があるんだって。江戸時代に大肝入りだった旧家に残されている古文書だと

 言うから殆どは江戸時代のものらし良いけど時々天正何年とかの文書が出てくるんだって、凄くない?」。

「えっ。先生が言っていた葛西晴信文書?」。

「うん。そうみたいだ。親父も患者さんを診ること以外、町に貢献することがないから同好会に首を突っ込んでいるんだって。こ

 の間、先生の所で聞いた話の内容を言ったらそんな話になった。驚いたよ。

  親父も今になって鎌倉時代から葛西晴信の時代までの四百年に凄い関心があるって言ってた。親父と話をするまでそんな事知らなかったよ。意外だったね。俺も、その古文書、何時か調べて見たい」。

 戻り道の坂を下り校舎が近くなったところで、俺は、ツーリング、考えてみるよと熊谷に言った。元々、岩城先生に葛西晴信関連の先生お奨めの古城を聞いたのは俺だ。行ってみたい。