(サイカチ物語・第三章・藤沢野焼き祭り・7)
六
美希が学校に行かなくても会いたい。そう思いながら視界を遮っていた崖を右に曲がると、ヘルメットを被り、スーパーカブに跨がって俺を待つ姿があった。嬉しかった。いつもは近づくと停まらずに減速して美希が俺の後ろに付いて来易いようにしていた。今日は違った。俺はホンダPCXを停めるとカブの傍に立った。
「大丈夫か?」。
「うん。学校に行くことにした。だって、その方が楽しいもの」。
首を縦に頷き、そう言う。
「小母さんはどうした?大丈夫か?」。
「うん、お父さんが看てる」。
俺は、カブに跨がったままの美希の口を吸った。坂上で小父さんが見ているとは気づかなかった。
学校の駐輪場に着くと、自転車通学の小野寺君が居て、声をかけてきた。
「お早う」。
応じながらヘルメットを脱いだ。
「大変だぞ。陸上部の佐藤、あいつ昨日の夕方、事故っちゃって」。
「えっ?」。
思わず、声が出た。浩の姿が頭に浮かんだ。
「事故って、どうしたの?」
美希も耳をそばだてた。
「ロード練習に出たんだって」。
それは知ってる。
「校内マラソンコースの関田橋まで行って、帰る途中、徳田の野々田橋からハネトに抜ける坂道のカーブがあるだろう。あそこで千厩に向かう乗用車とぶつかったらしい。
救急車で町民病院に運ばれたって聞いた」。
「ケガしたってこと?」。
美希が間に入った。
「そうだろうけど、程度が判らない」。
「入院してんのかね?」。
俺は役場の先に見える町民病院を見た。校舎への坂道を上りながら、人数が揃わない野球がダメ、ケガ人のでた柔道部もダメ、そして陸上もかと、地区大会等への参加が遠のいていく出来事にイヤな事が続くなと思った。
三時限目が終わった休憩時間に、その佐藤浩が教室に姿を見せたのに驚いた。包帯をした左腕を首に吊っていた。町民病院に寄ってから来たという。車から咄嗟に身をかわそうとしてかばい手になった左手に全体重がかかって手首を骨折したという。足にケガしなかったのは不幸中の幸いだけど、これで彼の二年連続のインターハイ出場は無くなった。彼は悔しいと言ったけど、学校の期待の星だっただけに俺達や先生達の方がもっと残念だ。
授業が終わって、俺は当然、美希と一緒にすぐ帰るつもりでいた。だけど美希は合唱部の練習と、よさこいソーランの練習に参加すると言う。大丈夫かって声を掛けたけど微笑んだ顔を見たら俺は頷いていた。その間、図書室で勉強している。待っているよと言ったら、もっと明るい笑顔を見せた。
そうだ、あと一人。芳賀にアンケートの再提出を頼まなければ。彼が居るはずだと見当つけて図書室を覗くと、彼一人だった。芳賀は俺や熊谷と同じように大学進学希望だ。殆ど毎日、授業が終わると図書室を利用している。何時か彼に聞いたとき、家に帰っても自分の部屋がない。弟妹達と一緒では勉強しづらい。だから図書室の閉まる午後六時までは利用するのだと言っていた。
俺もこれからは美希が戻るまでの時間、図書室利用が常態化するかもしれない。それも悪くはない。小声で彼にアンケートの再提出のことでここに来たと告げた。外に誰も居なかったけど場所のせいか自然と低い声になった。再調査の趣旨を説明し、何々関係に携わりたいとか、何々の方向に進みたいで良いから将来の目標等を書いて再提出して欲しいと頼んだ。思いがけない言葉が返ってきた。
「なぜ再提出しなきゃなんないんだ。まだ分らないから未定と書いて出したんだ、それ以上の何物でも無い」。
俺は説明に窮した。再調査の趣旨はちゃんと説明したのだ。それ以上何も言えない。芳賀の声は外に誰も居ないせいか大きく、きつい言い方だ。彼の感情の高ぶりを抑えられそうになかった。俺はもう一度、協力を頼むと言ってすぐに彼の居る場所から離れた。
彼と大分離れた窓側の席を確保して、芳賀の言葉の意味するところを考えてみた。そういえば、俺はどうなんだ。提出した回答には商社マンなんて書いたけど、今は違う。俺は今やりたいと思うのは歴史学なのか歴史文学なのか、職業としては何んと書くんだろう。学者とは恥ずかしくてとても書け無い。訂正して良いか、熊谷にも京子にも聞いたとして俺の将来の目標は何なんだ。芳賀が分らないというのは今の正直な気持ちを現わす答だ。分るような気がした。
合唱とよさこいソーランの練習を終えて着替えた美希が図書室に姿を見せたのは六時近かった。芳賀は少し前に退室していた。俺は図書室の閉まる時間を気にしていたけど間に合って良かった。身体を動かしてきたせいか美希の顔に紅が差している。
「遅かったね。体の方には影響しないのか」。
「大丈夫、何も変わらない」。
それを聞いて安心な気持ちになった。それから鞄を取りに教室を覗くと梨花達が居た。
「あら、仲が良いわねー」。
梨花の言葉だ。梨花の周りに居た愛や京子、優子(平)が囃し立ててカッコイー、待ってたんだーという。俺は、美希とのキスという皆の知らない二人だけの秘密を持ったせいか、何を言われようと平気な気持ちがしていた。
鞄を取ってきた美希が、彼女達にお先にと言って出入口近くで待っていた俺に続いて教室を出た。誰かが、ナイトね、羨ましい、と言うのが後ろに聞こえた。